5月18日 オンエア
2000万円か!? 0円か!? 保険会社VS事故の遺族!
 
 
photo  東京都内に法律事務所を構える加茂隆康(かも たかやす)さん。 弁護士として40年以上のキャリアを持ち、保険と交通事故のスペシャリストとして、これまで手がけた依頼案件は3000件以上にのぼる。 そんな加茂さんには、ある忘れられない裁判があるという。
加茂弁護士「ちょっとした油断やごまかしがトラブルを招いて、とんでもない訴訟に発展したケースでした。」
 
 
photo  今から20年以上前… 加茂弁護士にある損害保険会社から裁判の依頼が舞い込んだ。 保険会社の部長は「まったく、余計なことをしてくれたもんだ…」とこぼしていた。 それは、保険のセールスをしている歌代(うたしろ)という女性に対してだった。
 
 
 弁護依頼の3ヶ月前。 歌代さんは、顧客の1人から、バイトの若者が最近バイクの免許を取ったため、良い保険があったら紹介してやってほしいと頼まれた。 厳しいノルマを課されていた歌代さんにとっては、顧客を増やす願ってもないチャンスだった。
photo  真面目で仕事熱心だった彼女は、1つでも多くの契約を結ぼうと、熱心に少年を訪ねた。 その結果、少年は保険に加入することになった。 少年が契約書にサインしたのは、バイクが納車される2日前だった。 その時に、1年分の保険料2万5千円を支払ってもらう約束だったのだが、少年は保険料を忘れたという。 ちゃんと約束したはずだったが、仕方がない。 歌代さんは、2日後までに指定の口座に振り込んでもらうことにした。
 
 
 しかし、期限の当日になっても、いっこうに保険料は振り込まれなかった。 少年の会社にも何度か足を運んだが、外の現場に出ていることが多く、会うことができなかった。
photo  困った歌代さんは、先輩のセールスレディに相談した。 すると…「そんなの立て替えておけばいいじゃない」と言われた。 しかし、保険料の立て替えは会社で禁止されている…だが、先輩は、みんなやっていることだと言うのだ。
 保険業法の中に『立て替え払い禁止』という明確な表記があるわけではない。 現在では、保険業法が立替え払いを禁止していると解釈するのが一般的だが、当時はその解釈がより曖昧だったため、各保険会社が社内の規則で禁じていた。
 
 
photo  この日、歌代さんは少年の名義で保険料を振り込んだ。 そして、その料金を催促しようと、少年が一人暮らしをするアパートに何度か電話を入れたが…いつも留守で伝言を残すことしかできなかった。
 それ以降も、他の顧客に営業をかけながら、時間を見つけては少年に電話をかけたり、会社に足を運んだりした。 しかし、彼女が保険料を立て替えてから1週間以上たっても、少年とは連絡がとれず、会社で見かけることもなかった。
 
 
photo  そこで、歌代さんは少年の実家に電話を入れ、事情を説明した。 すると…母親は保険料のことは息子から聞いているという。
 母親によれば、2週間ほど前、少年は実家に立ち寄り、保険料を払って欲しいと言って、振込先のメモを渡していた。 メモを預かった母親は父親に、仕事の合間にでも振り込んでおいて欲しいと伝えて渡した。 しかし、父親は忙しくて、つい忘れていたという。 一方、少年は親に支払いを頼んだので、すっかり安心してしまい、歌代さんへの連絡を怠ったようだった。
 
 
 母親は、父親にすぐに振り込むように伝えると約束した。 しかし…お金は振り込まれることはなかった。 困ったと思いつつも、ちょうど8月のお盆の時期に差し掛かり、歌代さんは休みをとって、郷里の九州に帰省した。
photo  すると…突然、少年の母親から息子が契約した保険金について知りたいと電話があった。 少年がバイクで転倒事故を起こし、命を落としたのだ! 大きなショックを受けた歌代さんだったが、なんとかお悔やみの言葉を述べ、保険についての説明をした。 少年が契約した保険では、運転中の事故で死亡した場合、2000万円の保険金が降りることになっており、受取人は両親だった。
 
 
photo  保険料が立て替えたままだったため、保険金が降りるのか、母親は心配していたが… 歌代さんは「大丈夫だと思います。」と答えた。
 一人息子を亡くして悲しみのどん底にいる母親のことを思うと、そう答えるしかできなかった。 立て替えている保険料をすぐに払ってもらうよう伝え、電話を切った。 この4日後、2万5千円の保険料は振り込まれた。
 
 
photo  その後、歌代さんは少年の保険金の請求手続きを始めたのだが… 歌代さんは会社の規則を破って保険料の立て替え払いをした。 そのことは、相談した先輩も知っている。 もし相談した先輩が何かの拍子にそれを漏らしたら…会社の耳に入るかもしれない。
 根が真面目だった歌代さんは、少年の保険料を上司に隠しておくことができず、正直に話した。 すると…支店長は激怒!保険金は降りないという。
 
 
photo  少年がサインした保険の契約の内容には、次のように記されていた。
『保険期間が始まった後でも、保険料領収前に生じた事故については、保険金を支払いません』
 このことを歌代さんは、少年側にはっきりと伝えていた。 契約によって保険の期間が始まったのは、少年のバイクが納車された日。 しかし、少年側が実際に保険料を振り込んだのは、事故から4日が経ってからだった。 歌代さんがバイクの納車された日に立て替えてはいたが、保険会社の判断は、それにより保険料が領収されたと見なすことはできない、というものだった。
 
 
photo  歌代さんは、会社側の決定を伝えたが…少年の両親は納得ができなかった。 そのため、保険会社に対して、保険金の支払いを求める訴訟を起こした。 こうして、保険会社本社の部長が加茂弁護士に依頼に来たのだ。
 だが、実は会社側も、立て替え払いを禁止していたものの、現場で立て替え払いが行われていることを黙認していたのだ。 保険料の支払いがズルズルと遅れた少年とその両親。 会社の規則を破って立て替え払いをした歌代さんと、規則破りを黙認していた会社。 様々な油断とごまかしが、思いがけない裁判沙汰の背景にあった。
 
 
photo  裁判で証人尋問に立った歌代さんを、両親側の代理人弁護士は追い詰めた。 証人尋問で相手の弁護士に責められた彼女は、頭が真っ白になって、言葉も出ないほどだった。
 その一方で、少年の父親の証人尋問も行われた。 加茂弁護士は、歌代さんが何度も催促したのに、保険料を支払わなかったこと、 父親が忙しくても、家族の誰かが支払いにいけたことなどを尋問した。 その尋問を通して、加茂弁護士は…両親も保険料を支払わなければいけないことは分かっていながらも、一方で事故になど遭うわけがないと油断していたのだと感じたという。
 
 
photo  両者の尋問が終わると…裁判官は和解勧告の期日を設定した。 実は、ほとんどの民事訴訟では、判決ではなく、裁判官による和解の提案によって解決を図ろうとするという。 裁判官の和解案が気に入らなければ、拒否して判決を求めることもできる。
 
 
photo  そして、およそ1ヶ月後、和解勧告の期日がやってきた。 裁判官が提示した和解案は…解決金として50万円を両親側に支払うというものだった。 50万円という金額は、保険会社側の勝ちを意味していた。
 判決までいった場合、原告の両親側が手にするのは、2000万円かゼロかのどちらか。 和解案の50万円は、2000万円という金額からすれば、圧倒的にゼロに近い。 ゼロではかわいそうなので、人情として50万円支払ってはどうかという和解案だった。 歌代さんは、少年の名義で2万5千円を立て替えていたが、それによって保険料が支払われたとすることはできないと、裁判官は判断したのだと思われた。
 
 
photo  少年側の両親は、裁判官の和解案にショックを受けた。 やがて両親は、弁護士の強い説得で和解を受け入れた。 保険会社側も裁判が長引くことを望んではおらず、和解に応じた。 和解金は、双方の話し合いの結果、最終的に70万円になった。
 加茂弁護士は、当時の少年の両親の心情についてこう話してくれた。
「保険料さえ振り込んでおけば保険金は降りたのにという後悔と、金銭への執着が、前回の期日まではあったと思います。でもやっぱり、息子はお金には代えがたいと思い直したのではないのでしょうか。そういう思いに至ったからこその和解応諾に思えました。」
 
 
photo  一方、立て替え払いをしてしまった歌代さんだが、加茂弁護士によれば、彼女が会社からペナルティを受けることはなかったようだという。 加茂弁護士「会社側も立て替え払いの禁止は建前であって、実質として時々そういうことをしているということは、承知していたわけですね。そして彼女以外の先輩の保険レディたちも、しょっちゅう立替え払いをしているということも、ですから彼女だけペナルティを課すと不公平になるという思いがあったと思います。」
こうして、保険料の立てて替えをめぐる思いがけない裁判は、静かに幕を閉じた。