4月20日 オンエア
桜並木よ永遠に 〜 想いが繋ぐ魂のリレー
 
 
photo  今から33年前、福岡市桧原地区。 当時、福岡市内の銀行に勤めていた、土居善胤(どいよしたね)さん。 多忙を極める日々の中で心の励みとなっていたのが、通勤途中にある9本の桜の木。
 その年も土居は、満開の桜を楽しみにしながら職場へと通っていた。 ところが、ある日…なんと1本の桜が無残にも伐採されていた!
 
 
photo  1972年に政令指定都市となった福岡市は、年々人口も増加していた。 そこで、当時の福岡市長・進藤一馬(しんどうかずま)は、都市部と郊外を結ぶ交通網の整備が急務と判断。 市内の至る所で道路の幅を広げる工事がはじまり、桧原もその対象となっていた。 4メートルほどであった道幅を倍にする計画だったが、片側は池だったため、その反対側の桜をどうしても切らざるをえなかった。
 
 
photo  9本の桜の木は『桧原桜(ひばるさくら)』と呼ばれ、地元の人たちからも深く愛されていた。 樹齢は50年…子供たちは桜と共に成長し、人生の節目節目に桜を見上げてきた。 桧原の人たちにとって、かけがえのない桜並木。 なんとか救う手立てはないものか…
 すると翌日、土居は家族に内緒で家を出た。 向かった先は…あの桜並木。 そして…誰にも気づかれぬよう、そっと桜の幹にあるものを結び付けた。
 
 
photo  土居が結びつけたもの、それは…
『花守り  進藤市長殿
花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を ゆるし給え』桜を哀れむ「歌」…
 「花守り」とは「花の番人」、「二旬」とは「二十日」という意味。 道路工事はやむ得ない。 でもせめて、あと20日間だけ工事をとめ、最後の開花を許して欲しいという陳情だった。
 土居はこれにより何かが変わるとは思っていなかった。 ただ、抑えきれない想いを歌にして結び付けただけ…。
 
 
photo  しかし、その想いはすぐさまある人物に受け継がれる。 偶然、この歌を目撃した男性は、当時、九州電力の社長に就任したばかりの川合辰雄(かわいたつお)だった。
 川合の日課になっていたジョギングコースにこの桜並木はあった。 もし、違うコースを走っていれば…あの日、あの時、土居の歌を目撃することはなかった。 そして偶然に誘われ、川合は土居の想いを受け取ったのである。 しかし…仮に自分から陳情をしても…その内容を理解してもらっても、工事のやり方を変えるところまで踏み込めるのか、さすがに迷惑になるのではないかと思ったという。
 
 
photo  その日の夜、川合は朝 見た歌のことを、ふと別の人物に話してみた。 話した相手は、当時 九州電力の広報担当をしていた部下の大島淳司(おおしまじゅんじ)。 川合のことを1人の人間としても慕っていた大島は、その歌を見てみようと、翌朝、桧原へ足を運んだ。
 桜に貼られた歌を見た大島は、何かを思いついた。 そして、ある男性に電話をし、桧原に行ってみるように勧めたのだ。 土居の想いは川合、大島へと伝わり、さらに また別の人物へと受け渡された。
 
 
photo  数日後のこと…事態は予想だにしない方向へと転がりはじめる。 出社した土居が目にしたもの…それは…新聞の社会面に大写しで紹介されているあの歌だった。
 そうあの時、大島が電話をしていた相手…それは旧知の仲だった西日本新聞の記者、松永年生(まつながとしお)だった。 あの日の電話で大島にこう言われたという。 「新聞記者は足で稼ぐって言ってたじゃないですか、まず現場に行ってみないと」 松永は、大島の秘めたる想いを探るべく、その日のうちに桧原に向かった。
 
 
photo  こうして、土居から始まった桜への想いのリレーは、世間の注目を集める新聞記事へと繋がった。 そしてこの記事は、ある人物の目にも留まることとなる。 当時の福岡市長・進藤一馬。 土居が歌を詠んだ相手、その人である。
 
 
photo  進藤は記事を読んだ時の心境を西日本新聞に寄せた回顧録で次のように語っている。
「行政が進める拡幅工事の公益性は知りつつも、せっかつツボミをふくらませている桜の老樹に。せめてつい(最後)の開花を許してくれと訴えています。風流心とはまさにこのことです。」
 だが、風流だと思う一方で…どうすることも出来ない心情も吐露していた。
「たとえ市長である私がどう思っても、個人としての私情ではどうにもならないことが行政には多々ある。だから、桜の木は切り倒されるかもしれない…」
桜を憐れむ気持ちも分かる…しかし、私情だけでは公共事業をむやみにやめるわけにはいかなかった。
 
 
photo  ところが、記事を見た後日。 桧原の桜を確認しに行った進藤市長の目に飛び込んできたのは…土居の歌に続けとばかりに、新聞記事を見た多くの人たちが花を惜しむ色紙や短冊を桧原桜に寄せていたのだ。
 『桜花 大和心となん言いし 遠久に匂えよ 歌に結ばれ』 桜の花は日本の心、歌によってその匂いは永遠となってほしい。
花を憐れむ1人の男の想いは…いつの間にか大きな世論となっていた。
 
 
 市役所で道路計画課長を務めていた、石井聖治(いしいしょうじ)。 彼は土居の歌を受け、一時的に工事を中止、協議を重ねていた。 桜は植え替えが難しいと言われる植物…移植には相当の予算がかかる。photo さらに、年度末の工事だったため、3月中に終わらせなければならなかった。
 石井のところに進藤市長が工事の進捗を確認しにやって来た。 期日までには工事は終わらせると報告する石井に、進藤市長は驚くべきことを口にした。 「できれば桜を残すことはできんやろか?」
 1人の男の想いは多くの人々を経由し、ついに進藤市長の心にまで届いた。 桜を守りたいという想いが繋いだリレーは、果たしてどんなゴールにたどり着いたのだろうか?
 
 
photo  あれから33年が経った、今年4月。 土居さんに桧原桜があった場所に案内してもらった。 拡幅工事ですっかり広くなった道路。 そこには…今も悠々と咲き誇る桧原桜の姿があった!
 桜がある側に大きく道路を広げる予定を、予算はかかるが池の一部を埋めて広げる方向に変更。 さらに、池側にあった桜も、職人たちの協力を得て、切ることなく全て移された。
 
 
photo  桧原桜の傍らには、土居さんの歌が刻まれた石碑も建てられていた。 その横には…進藤市長の歌も刻まれている。 実はあの時、土居さんの歌を目にし、辺歌を贈っていたのだ。
『桜花(はな)惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん 花の心は』
桜の花を愛しむ、うるわしい日本人の心が桜の匂いと共に永遠に続いてほしい… そんな想いが込められているという。
 一つの歌から始まった桜を巡る奇跡。 それは、想いを汲みとることでつながった心のリレー、そのものだった。
 
 
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「花かげの物語」  土居善胤 著 出窓出版