2月4日 オンエア
国境を越えた愛の物語 〜80年前のシンデレラ〜
 
 
photo  アラビア半島の東端に位置する国、オマーン。 人口わずか280万人程。 我が国とは余り縁がないように思われるが…意外なほど親日家が多い。 実は両国の間には、その絆を象徴する、ある出来事があった。
 
 
photo  今から約80年前。 日本がまだ昭和に入って間もないこの年、オマーン人のタイムール・B・アルサイド(当時47歳)は、かねてから計画していた世界旅行を満喫していた。
 驚くべきは…その豪遊ぶりだった。 大勢の取り巻きを連れて高級ホテルを泊まり歩き、お金を湯水のように使っていたという。 だが…彼は決して、自分の身分を明かそうとはしなかった。
 
 
photo  一方、その頃、兵庫県の神戸税関で働く一人の女性がいた。 大山清子、当時19歳。 すらりとした長身で、その頃の女性としては珍しく160cmもあったという。 彼女は5人兄弟の長女として、兵庫県の山間の村で生まれた。
 父の勘治は、厳格な大工職人。
ごくごく平凡な家庭で、清子は親の愛情をたっぷり受け育てられたという。
 
 
photo  一方、ヨーロッパでの贅沢な旅を終えたタイムールは、日本に降り立ち、神戸へやってきた。 神社や仏閣などを巡り、日本独自の文化に触れる一方、ダンスをこよなく愛していた彼は、その日、あるダンスホールを訪れた。 そんなタイムールの目に、ひとりの女性の姿が…仕事帰りに職場の仲間と、ダンスホールに遊びに来ていた、大山清子。 一目惚れだった。 タイムールは清子にダンスを申し込んだ。 これが、清子とタイムール。2人の最初の出会いだった。 おしとやかな印象…そして細面でいかにも日本的な美しさを持った清子に、タイムールは大いに惹かれていった。
 その日以来、彼は清子に会うためだけに、毎晩のようにダンスホールを訪れるようになったという。 言葉の壁はあっても、その優しさは清子に伝わり、彼女もまたタイムールを意識し始めていた。
 
 
photo  そんなある日のこと・・・タイムールは清子に交際を申し込んだ。 しかし、清子は躊躇した。 それも無理はなかった。 これまで、彼女はまだ一度も男性と交際したことがなかったのだ。 しかもタイムールの年齢は、倍以上も違う47歳。 年の差を考えると、すぐに返事をすることは出来なかった。
 だが、そんな彼女の反応を気にすることなく、タイムールは猛アプローチを続けたのである。 最初は戸惑いの気持ちでいっぱいだった。 しかし、タイムールの熱意と真剣さに、いつしか清子の方も心惹かれ…やがて2人は、強く愛し合うようになっていったという。
 
 
photo  そして、出会ってから3ヶ月後。
2人は結婚を誓いあった。
 だが…清子の両親は、2人の結婚を認めようとはしなかった。 当時の日本人にとって国際結婚は珍しかった。 ましてや、存在すら知らない中東の国の人間。 しかも、オマーンは一夫多妻制の国。 聞けば、すでに3人の夫人が母国にいるという。 両親が猛反対するのも無理はなかった。
 
 
photo  しかし…タイムールも一歩も引かなかった。 その必死な姿に、清子の父親は…「結婚するなら日本に住むこと」という条件を出した。 大切な娘をよく知らない遠い国へ送り出すことはどうしても出来なかったのだ。
 だが…実はこの時、タイムールには清子にさえ打ち明けていなかった〝ある秘密〟があった。 その〝秘密〟のせいで、清子の両親の出した条件に即答することが出来なかったのだ。 そして、ついに彼は答えを出すことなく、清子の実家を後にすると…「もう少し待ってくれるかい?」そういい残し、日本を去って行ったのである。
 
 
photo  タイムールがオマーンへ戻ってから半年が過ぎた、この日。 彼は、再び日本へと戻ってきた。 タイムールは清子と結婚するためにオマーンを離れ、日本で一緒に暮らすことを決意したのだ!
 覚悟を決めたその姿に、両親は結婚を認めざるをえなかった。 そして、出会ってからおよそ1年後、2人はついに結婚。
 
 
photo  お金には不自由しなかったタイムールは、神戸市内に洋館を構え、清子と優雅な生活をスタートさせた。 清子にとって、今までとは比べものにならない、豊かな生活が始まった。 戦前の日本では考えられない、舶来の電化製品。 給仕やメイドも3人いた。
 だが、タイムールはなぜ、これほどまでに裕福な生活を送ることができるのか? しかも彼は日本に移り住んでから、仕事をしている様子もない。 清子が聞いても…自分はオマーンの資産家であり、蓄えが十分にあると言うだけ。 何不自由ない暮らしをさせてくれる夫に不満はなかったため、清子や両親はそれ以上詮索しなかったのだが…
 
 
photo  1年後、2人の間に愛娘「節子」が誕生すると…清子は…タイムールの思いもよらぬ真実を知ることになる。 この日、ある人物が清子とタイムールの家を訪れた。 そこに立っていたのは…アラブの民族衣装に身を包んだ男たちだった。
 なんと男性は、オマーン国王・サイード王だという! しかも、タイムールは彼の父親だというのだ!! そう、タイムールは第12代オマーン国王。 その人だったのである。
 
 
photo  国王の座はすでに5年前、息子に譲っていたものの、王室にいたタイムールが…あの時出された結婚の条件にすぐに答えられなかったのは、当然だった。 前国王であるタイムールが国を離れ、日本に住むということは、必然的に王室を離脱することを意味する。
「王室という絶対的な身分」を選ぶか? それとも「外国のうら若き女性」を選ぶか? 常識的に考えれば答えは明白なはずだった…
 
 
photo  しかし…あの時、オマーンに帰国したタイムールは、宮殿に親族をはじめとする多くの関係者を集めると…静かに語り始めた。 運命的な出会いを果たした清子のこと。 互いに愛し合い、結婚を誓ったこと。 その結婚を両親に反対されたこと。 清子との思い出を包み隠さず語った。
 そして…清子と結婚するために日本に移り住むことを宣言したのだ。 それは、まさにアンビリバボーな決断だった!
 
 
photo  そして、オマーンにいた3人の夫人にも理解を得て、タイムールは日本に移り住むために、邸宅や宝飾品など、そのほとんど全てを息子に譲った。 少しの資産と、その身一つで、清子のために日本へと戻ってきたのだ!
 結婚のために王室の座を捨てたタイムール。 そのことを清子は…娘の誕生を聞きつけたサイード国王がお祝いにかけつけて初めて知ったのだ! この常識では考えられないロマンスを、当時の新聞も大々的に報じた。
 
 
photo  タイムールが清子に自分の身分を明かさなかったのには、こんな理由があった。
「権威とか身分で飾った自分ではなく、裸の自分を愛してくれる人と結ばれたかった」
 こうして純粋な愛の力だけで結ばれたタイムールと清子。 だが、その幸せは長くは続かなかった。
 
 
photo  兵庫県加古郡稲美町。 とある墓石に刻まれた名は…清子アルサイド。享年23。 そう、彼女は結婚からわずか3年後…腎臓を患い、23歳という若さでこの世を去ったのだ。
 清子の死後、タイムールは娘・節子が将来、王族の相続権を得られるよう、彼女を連れオマーンへと帰国。 節子は新たに『ブサイナ』と名付けられ、王族の身分を与えられた。 タイムールは、その後、第二次世界大戦の影響などもあり、日本に戻ることなく、1965年に亡くなった。
 
 
photo  それから13年後。 清子の墓前に手を合わせる一人の女性が…一人娘の『ブサイナ』だった。 彼女は母の墓参りをするという念願を果たし、39年ぶりに母方の親族と再会したのだ。
 日本とオマーン。 両国を密かに結んでいたのは、80年前のシンデレラが体験した〝愛の物語〟だった。
 
 
photo  オマーンの町の人に、二人のラブストーリーについて聞いてみると…
「もちろん知っているよ。素敵なことだよね」
「彼らは日本とオマーンという、全く違う文化を持つ国の架け橋になったんじゃないかな」
 未曾有の被害をもたらした東日本大震災。 海外からもたくさんの義援金が寄せられたのだが…アメリカ、台湾、タイに次いで4番目に多額の支援をしてくれたのが、オマーンだった。 80年前、国境を越え育まれた絆は、今も着実に受け継がれている。