1月8日 オンエア
日本初!戦慄のシージャック!
 
 
photo  今から45年前の1970年に行われた大阪万博。 開催期間3か月で、入場者は実に6400万人。 豊かになった日本を象徴する出来事だった。
 しかし、その一方で、当時 深刻な問題となっていたのが…豊かさを追求する社会への反発。 偏った思想を持つ過激派による、一連の暴力事件だった。
 1970年、赤軍派を名乗る9人によって日本初のハイジャック、「よど号ハイジャック事件」が発生。 そして、2年後にはあの「浅間山荘事件」が起った。 NHKと民放を合わせた総世帯の最高視聴率は、89.7%を記録。 国民の誰もがテレビに釘付になった。
 それと前後するように、またもや過激派による凶悪事件かと、誰もが信じた出来事が起った。 それが…1970年、ひとりの青年が船を乗っ取り、人質を盾に逃亡を繰り広げた、日本初のシージャック事件である。
 
 
photo  事件の始まりは、山口県の国道だった。 追い越し禁止の国道で、前の車を追い越した車両を警察官が取り締まった。 通常なら、違反切符を切るだけで終わるはずだった。 しかし…男達の様子は明らかにおかしかった。
 不審に思った警官がナンバーを照会したところ、彼らの乗った車が盗難車であることが判明。 3人はその場で逮捕され、パトカーと盗難車に分乗して、護送されることになった。 一人はパトカーに、残る2人は警官が運転する盗難車に乗せられた。
 
 
photo  そして、先にパトカーが走り去った直後… 男の1人が警官に銃を向けた! 挙動不審だった理由は、盗難車だっただけでなく、銃を所持していたからでもあったのだ! さらに、男はナイフで警官を刺し、逃走。 警官は命に別状はなかったが、全治2週間の怪我を負った。
 銃やナイフを所持した犯人が逃走。 その事実は直ちに県警本部へと知らされた。 間もなく、パトカーに乗せられた男の供述から、逃亡した二人の名前が判明。 そのうちの一人が、後に日本初のシージャック事件を起こす、杉山直人(仮名)だった。
 県警は800人を超える捜査員に拳銃の携帯を指示。 県内全域の旅館やホテルなど、逃亡犯の潜伏先を探した。 だが、その足取りは一向に掴めなかった。
 
 しかし翌日、銃を持った男たちを見たという、110番通報があった。 この通報により、杉山らが山口から広島市内に移動していることが明らかとなった。 実は彼らは盗難車を早々に乗り捨て、再び別の車を盗み、簡単に検問を突破していたのだ。
 逃亡犯が広島にいる。その連絡は市内をパトロールしている警察官にも入った。 そして現場に向かった警察官がついに杉山らを発見した。
 
photo だが…杉山は通りすがりの軽トラックの運転手を人質に取っていた! この時、隙をみて仲間の男が逃走。 杉山も人質を盾に取り、軽トッラクで逃走した。
 さらに、杉山と思われる人物が銃砲店を襲いmライフル銃と100発以上の弾丸を奪ったということが判明。 しかもそのライフル銃は、ゾウを一発で殺せるほどの威力だという。
 警察は、市民への警戒を呼びかけるべく、ラジオやテレビなど、メディアに事件の報道を依頼した。 銃を持った犯人が広島市内を逃亡している。 かつてない恐怖に、市民は震えた!
 
 
photo  その頃、杉山は軽トラックを乗り捨て、タクシーで逃亡していた。 はぐれていた仲間が逮捕されたというニュースがラジオで流れていた。 今逃げているのは、杉山ただ一人だった。 そこで杉山は、広島港へ向かうことにした。
 午後4時過ぎ、広島港へと辿り着いた。
この時、停泊していたのは、広島〜今治を結ぶ 定期客船〝ぷりんす号〟。
 杉山はライフル銃で船長を脅し、船を乗っ取った。 船長の中向氏は、指示に従いすぐさま船を出港させた。 予定よりも早い出発に、乗客たちも異変を感じていた。
 
 
photo  〝ぷりんす号〟に起きた異変は、すぐに捜査本部にも知らされた。 警察は捜査員を増強、瀬戸内海の各港に配備させた。 また警備艇やセスナを出動させ〝ぷりんす号〟の追跡を開始。 港にはマスコミが押し寄せ、熾烈な報道合戦が始まった。 上空にはスクープを狙う、ヘリが旋回。 一人の逃亡犯によって、日本中が狂騒の渦に巻き込まれていく。
 杉山は警備艇や上空を旋回していたセスナに向かって発砲! 標的まではかなり距離があったが、杉山が放った弾丸は命中! パイロットは無事だったが、緊急着陸を余儀なくされた。 ゾウをも殺すライフル銃…その威力は凄まじかった。
 
 
photo  言い知れぬ恐怖が船内に立ち込めていた。 だが…乗客や乗務員を守るため、中向船長はつとめて平静を装った。
中向船長は、杉山を興奮させないよう、穏やかに話した。 そして船は松山に向け、舵を切った。
 この時、〝ぷりんす号〟には、船長を含め乗組員が11名。 そして…33名の乗客が乗っていた。 彼らは階下で息を潜め、ラジオで事件の動向を伺っていた。
 中向船長は、「なぜこんなことをしたんじゃ」と、ずっと気になっていた質問をぶつけた。 杉山は、「窃盗や強盗、それに殺人未遂。俺は生きていても、仕方ない人間じゃ」と答えたという。 さらに…「いよいよの時は自殺する」と。
 
 
photo  この時、〝ぷりんす号〟は、時速およそ7キロの速度で松山港に向かっていた。 それは、通常の定期客船の運航速度に比べると、はるかに遅かった。
 犯人が船に不慣れであると踏んだ中向船長は、警備艇が追跡しやすく、なおかつ松山港で警察が万全な体制が取れるよう、わざと低速で走らせていたのだ。 そして…この機転が功を奏し、捜査員が船よりも早く松山港に到着。 一般人を避難させるとともに、銃撃戦を想定した準備を整え〝ぷりんす号〟の着港を待ち構えていた。
 中向船長は、自分が人質として残ることを条件に、乗客と乗員の解放を杉山に進言した。 だが…この後 思いもよらぬ事態が〝ぷりんす号〟を待ち受けていたのである。
 
 
photo  港に着く直前、船が突然停止した。 その理由は…すでに松山港に警察が駆けつけ、厳戒態勢がしかれている事がラジオで流れていたのだ。 一縷の希望が…打ち砕かれた。 一体なぜ、この時、警察側の情報がラジオで流れてしまったのか?
 警察には指揮命令権がある。その当時、指揮命令権に乱れが生じ、その結果 マスコミに情報が流れてしまったのだ。 また当時は今と比べ、報道規制などへの意識が低かった時代。 マスコミ各社は、常に熾烈なスクープ合戦を繰り広げていた。 しかし こうした事情が積み重なり、結果的に人質の命を危機にさらしてしまったのである。
 
 
photo  中向船長は給油のため、港には行かなければならないと主張した。 それは、希望を繋ぐための作戦だった。 実はこの時、燃料は十分に足りていた。 だが何としても港に停泊するために、船長は咄嗟に嘘をついたのだ。
 午後9時40分〝ぷりんす号〟は、松山港に到着。 燃料補給を要請するため、船長は港で待機する捜査官のもとを訪ねた。 警察は、燃料補給の隙を見て乗組員に扮した捜査官を船に乗り込ませ、杉山を取り押さえようとしていた。 だが…船長は杉山の警戒心が強いため、それは止めた方が良いと警察に進言。 素直に給油だけ行なえば、人質を解放してくれる可能性はたかい。 だが、もし怪しまれたら、助けられるはずの人質も助からないかもしれないと…
 
 
photo  そこで警察は捜査員を船内に入れるのではなく、ゆっくりと給油を行い、犯人が隙を見せた瞬間、乗り込む作戦に切り替えた。 だが、杉山は銃を握りしめ、警戒を解くことはなかった。
 3時間後、警察は逮捕を断念。 給油作業が終わったことを杉山に伝えた。 間もなく、杉山は中向船長の読み通り、人質を解放。 33人の乗客と未成年の乗組員が、船を降りた。
 そして、〝ぷりんす号〟は、中向船長を含む7名の乗組員を乗せて、ふたたび死と隣合わせの航海を始めたのである。 だが、本当の恐怖はこの直後に待ち受けていた。
 
 
photo  きっかけは、またもやラジオのニュースだった。 警察が給油に時間をかけることで犯人の隙を見て逮捕しようとしていたことが杉山にバレてしまったのだ! 杉山は、追跡してくる警備艇に向けてライフルを乱射。
 さらに、ラジオでは給油の必要がなかったことも伝えていた。 幸い、杉山の耳に届くことはなかったが、もし中向船長の嘘がバレていたら…銃口はどこを向いていたか、分からなかった。
 深夜になっても、海上をさ迷い続ける〝ぷりんす号〟。 周囲を警備艇や巡視船など、20隻もの船が取り囲んでいた。
 
 
photo  実は、杉山に何か明確な目的があるわけではなかった。 初めは車を盗んだ罪から逃れたい、ただそれだけだった。 それが、今では…日本で初となるシージャック事件を引き起こし、警察や海上保安庁の船に追われる立場にまでなってしまった。
 「おい、直人!聞こえるか!返事をしろ、顔を見せるんじゃ!」
その時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。 杉山の父と姉だった。 警察は最後の手段として、肉親による説得を試みたのだ。 だが、杉山は…説得に応じる代わりに、数十発の弾丸を放った。
 
 
photo  このままではいつ、人質や一般市民に危険が及ぶか分からない。
警察は特殊銃要員の派遣を要請。
 特殊銃要員、それは腕利きの狙撃手を意味していた。 これまで日本の警察は、人質事件においてライフル銃を使うことはなかった。 だがこの時初めて、狙撃を目的としたライフル部隊を出動させたのだ。
 シージャックされてから約12時間。 杉山は初めて行き先を指示した。 そこは…〝ぷりんす号〟が最初に停泊していた、広島港だった。
 
 
photo  逃亡する際、ナイフで警官を刺したのは杉山だった。 しかし、報道されるニュースでは、仲間の男が刺したと言われていたのだ。 杉山はその間違いを正しに行くという。
 船長は、広島港に戻ることを警察に告げた。 そして杉山の要望を叶えるために、仲間を港に連れて来るよう依頼した。
 シージャックから16時間後。 〝ぷりんす号〟は広島港に戻ってきた。 しかし、仲間の姿は見えなかった。 確認のため中向船長は、警察が待機している場所へと向かった。
 
 
photo  警察は、杉山の仲間は 広島港に向かっているというが…いくら待っても一向に動きはなかった。 中向船長は、「警察は犯人を捕まえることしか考えていない。友達を連れてくる気はないんだと思った」という。
 警察はこれから犯人に警告を行なうという、警告の声が聞こえたら、船員はデッキに出ないようにと指示された。 この時…船長の脳裏に最悪のシナリオが浮かんだ。 事実、この時、広島港の桟橋付近では、特殊銃要員たちが身を潜め、杉山の動向を伺っていた。
 
 
photo  仲間の姿が見えないことに腹を立てた杉山は、港にいる警官に威嚇射撃を始めた。 すると…警察が杉山に投降するように警告。 しかし、杉山はそれには応じなかった。 これ以上、説得の余地はなかった。
 まだ実弾は十分、船の中に残されている。 杉山が放った銃弾で、広島港では すでに5人が重軽傷を負っていた。 このままでは、人質や付近の住人に死者が出る可能性もある。
 一発の銃弾が、胸を貫いた。 杉山は、すぐさま警察官達に取り押さえられ、病院に搬送された。 その後、手術を受けたが、まもなく死亡。 事件で唯一の死亡者となった。
 
 
photo  テレビで生中継された狙撃の瞬間。 それは国民に大きなショックを与えるとともに、〝これは裁判抜きの公開処刑だ〟という警察を批判する声もあがった。 だが 事件後、杉山の父が語った…
「親として、死んでくれてせめてもの償いができた。警察に抗議するつもりはない」
この言葉から、警察を批判する声は小さくなっていく。
 しかし事はこれで終わりではなかった。 杉山を狙撃した警察官が、一部の弁護士によって殺人罪で告発されたのである。 裁判で のちに正当な行為と認められ、無罪が確定したが、判決まで数年間、彼は精神を病むほど辛い生活を強いられたという。
 
 
photo  事件はなぜ起こったのか? 犯人の杉山に全ての非があるのは言うまでもない。 だが…もしあの時、警察が正しい対応をしていたら… もしあの時、情報の管理が徹底していれば… もしあの時、マスコミに想像力をもつ余裕があったなら… 誰も傷つくことはなかったかもしれない。
 最後に事件の当事者である中向船長はこう語ってくれた。
「(狙撃)は仕方がないなと思った。やむを得ない。ああするより他はなかった。それでなかったら何人の犠牲者が出ているかわからない。何千発も撃ちまくっていたから」
 多くの人の人生を狂わせた、若き青年の無謀な暴走。歴史に「たられば」は存在しない。 しかし、時代が生んだ悲劇と言って割り切ってしまえるものでないこともまた、事実である。