
カリフォルニア州サンディエゴ。この町に住むスティーブン・ロードは、優しい妻と、子供たちに囲まれ充実した日々を送っていた。スティーブンの楽しみは、サッカーが大好きな三男のロバートと遊ぶひととき。

今から14年前、1995年3月15日午後1時。悲劇は父の留守中に起こった。
ロバートは妹と縄ばしごが掛けられた木で木登りをして遊んでいた。しかしロバートが足を滑らせ、頭から落ちてしまったのだ。ロバートの意識ははっきりしていたが、首から下の感覚が消え、自分の意思では、体を動かす事ができなかった。

すぐにサンディエゴ小児病院に運ばれ、検査を行った結果、骨髄損傷だった。医師からは「今後自分の力で歩くことは出来ないだろう」との宣告を受ける。
医師から絶望的な宣告を受けたが、スティーブンは何とか可能性を探りたい、と慣れないパソコンに向かい、脊髄損傷について検索をしてみた。
インターネットには、脊髄損傷に関する情報が60万件も存在した。しかし、大切な情報があるかもしれない!と寝る間を惜しんで、翌日も脊髄損傷について調べ続けた。

そして、事故の翌日の深夜2時…。
見つけたのは、脊髄損傷の実験薬について書かれたレポート。GM-1ガングリオシドという実験薬が発見され(骨髄損傷で)麻痺した筋肉の動力を回復させる可能性があると書かれていた。しかし効果が実証されているのは3日以内の投与!72時間以内だ。だがこの時、既に事故から37時間が経過、タイムリミットまでは35時間を残すのみだった。

翌日、早速スティーブンはその新薬を取り扱うワシントンにある製薬会社に連絡をとった。
当時、GM-1ガングリオシドは、まだ試験薬でアメリカ政府に認可されていない新薬であり、通常の薬のように患者に投与できないものだったが、「思いやり使用」という特例措置をとることで、なんとか使用許可を得る。タイムリミットまで残り22時間となっていた。

スティーブンは再び製薬会社に連絡を取ったが、製薬会社はワシントンにあり、時差があるため既にその日のサンディエゴまでの便はなく、翌日にしか送る事ができないという。これではタイムリミットに間に合わない。
万事休すと思ったそのとき、スティーブンはワシントンに住む友人を思い出す。家族ぐるみで付き合いのある弁護士エレンである。

スティーブンは彼女に電話し、翌朝一番に製薬会社へ行って実験薬を受け取り、空港で航空便に乗せてほしいと頼んだ。これなら明日の13時に間に合うと思われた。
エレンは快諾。翌日彼女は約束通り薬を受け取り、飛行機に乗せた。
しかし空港で待つスティーブンのもとに時間通りに実験薬は届かない。問い合わせると、乗り継ぎのシカゴが大雪で空港機能が滞り、予定の便にのせる事ができなかったというのだ。薬は次の便で到着するという。そうしてついにタイムリミットの72時間は過ぎてしまう。

薬は6時間の遅れで病院に到着した。しかしその間に主治医は薬を開発したドクターと連絡をとり「6時間の遅れであればまだチャンスがある」との言葉を得ていた。
こうして脊髄損傷から78時間。タイムリミットの72時間から6時間遅れて、試験薬『GM-1ガングリオシド』がロバート君に投与された。

薬を投与した翌日から、ロバートくんの体に変化が現れた。上半身の神経が少しずつ回復。指から腕、足が動くようになるなど日に日に改善が進み、さらに、マッサージや筋肉を動かす訓練など、必死のリハビリに耐え、ついに脊髄損傷事故から2カ月が経った5月、彼は歩行器を使わずに自力で歩きだした。退院後には、大好きなサッカーをするまでに回復した。

この奇跡の物語には、さらなるサイドストーリーが存在した。
実は新薬について綴られた、あのリポート。これは、ロバート君の事故の1年前にオハイオ州のある女子高生が書いたモノだった。
当時彼女が付き合っていた二歳年上の恋人クレイトンがバイク事故で骨髄損傷の重傷を負ったのだ。そこで知ったのが、ガイスラー博士が開発した実験薬『GM-1ガングリオシド』。
希望という名のリポートは、その約1年後、息子が脊髄損傷にあったスティーブン・ロードさんによって奇跡的に発見されたのだ。