皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.7 皇位のしるし「三種の神器」
 「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)とは、天皇家に代々伝わる宝物で、鏡・剣・勾玉(まがたま)の三種類があります。鏡は「八咫鏡」(やたのかがみ)、剣は「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)、勾玉は「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)とそれぞれ名付けられています。
 歴代の天皇はこれらの神器を継承することで天皇の地位に就いてきました。神器を譲り受ける儀式こそが、皇位継承の儀式なのです。三種の神器はいわば皇位の証(あかし)といえるでしょう。
 今上天皇(きんじょうてんのう)も、昭和六十四年(平成元年)一月七日、先帝の崩御(ほうぎょ)にともなって、「剣璽等承継の儀」(けんじとうしょうけいのぎ)で、神器を継承され、践祚(せんそ)なさいました。(「崩御」とは、天皇が亡くなること。「践祚」とは、天皇の位に就くこと。)
 現在、八咫鏡は伊勢の神宮内宮(じんぐうないくう)に、草薙剣は名古屋の熱田神宮(あつたじんぐう)に、また八坂瓊曲玉は皇居吹上新御所(ふきあげしんごしょ)の「剣璽の間」(けんじのま)に奉安(ほうあん)されています。(「奉安」とは、尊いものを安置すること。)
 また、八咫鏡の形代(かたしろ)(レプリカ、複製品)は皇居賢所(かしこどころ)に、また、草薙剣の形代は剣璽の間に奉安されています。
 これら三種の神器は、所有者である天皇ですら、直接見てはいけないものとされています。

 では、三種の神器の由来はどのようなものなのでしょう?
 『古事記』『日本書紀』によると、高天原(たかまがはら)で天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋(あまのいわや)にこもってしまったときに作られたのが、八咫鏡と八坂瓊曲玉です。この二つは地上ではなく、神々の住む天空で作られました。
 いっぽう、今度は地上で須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時に、その尾から現れたのが草薙剣です。まもなく須佐之男命が高天原の天照大神の手元に草薙剣を届けたことで、初めて三種の神器が一ヶ所に集まりました。
 そして、三種の神器は天照大神によって邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられ、邇邇芸命が地上に降り立ったことで、三種の神器は高天原から地上にもたらされました。これを天孫降臨(てんそんこうりん)といいます。
 その後、邇邇芸命のひ孫に当たる神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれびこのみこと)が初代の天皇(神武天皇)に即位したことで、天皇が三種の神器を保持することになったのです。
 つまり三種の神器は神話の時代に神が創造し、神によって地上に持ち込まれたもので、その起源は神秘に包まれたものなのです。

 『日本書紀』の仲哀天皇紀(ちゅうあいてんのうき)には、三種の神器の意味を知るために参考になる記述があります。これはある人物が天皇を迎えたときに願いを込めて語った言葉です。(仲哀天皇は第十四代)
 「八坂瓊(やさかに)が曲がっているようにうまく天下を治め、白銅鏡(ますみのかがみ)のようにはっきりと山川海原を見、十握剣(とつかのつるぎ)を持って天下を平定しますように」

 古来より「天皇のいる場所に神器があり、神器のある場所に天皇がいる」という大原則があります。現在剣璽が奉安されている皇居吹上新御所の「剣璽の間」は、天皇の寝室のすぐ近くにあります。
 そして、天皇が行幸(ぎょうこう)するときは天皇の乗り物に必ず剣璽(三種の神器の内の剣と勾玉)が乗せられ、また滞在先には必ず剣璽が奉安されます。このように行幸にあたり剣璽を移動させることを「剣璽御動座」(けんじごどうざ)といいます。(「行幸」とは、天皇が外出すること。)
 終戦からしばらくは剣璽御動座も中止されていましたが、昭和四十九年に一部復活し、現在も続けられています。
 しかし、三種の神器のうち、八咫鏡だけは天皇の代替わりや行幸でも、移動することがありません。なぜなら、『古事記』によれば、天照大神は邇邇芸命に、鏡を「我が御魂(みたま)としてまつるように」命じていて、三種の神器の中でも八咫鏡だけは格別のものとされてきたからです。
 したがって、剣璽は御所の「剣璽の間」に奉安されていますが、八咫鏡は、別の建物(賢所)に奉安されているのです。そして天皇は毎日欠かさず賢所を親拝(しんぱい)なさいます。(「親拝」とは、天皇が参拝すること。)

 皇居の賢所に奉安されている八咫鏡は、終戦後は二回、御動座(移動させること)がありました。
 一回目は平成十六年六月十八日のことです。このときは賢所の耐震性などを調査するための御動座で、「奉遷の儀」(ほうせんのぎ)がとり行われました。戦時中に戦火を避けて地下庫への御動座があって以来、実に五十八年ぶりのことです。
 この調査で、賢所は補強が必要とされ、平成十八年五月二十九日に、ふたたび八咫鏡の御動座がありました。このときの奉遷の儀では、白装束(しろそくたい)姿の宮内庁職員ら約八十人が、八咫鏡を乗せた輿(こし)を担ぎ、約七十メートル離れた仮殿へ奉安しました。

出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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