column コラム

2017年3月31日

ベストリベロ、古賀幸一郎が歩んだこれまでと、歩み続けるこれから。

32歳の今季、連続試合出場の日本新記録を樹立した豊田合成の古賀幸一郎主将。
写真・©Michi ISHIJIMA

 デカすぎる風呂敷を広げることもない代わりに、謙遜もしない。

 連覇を目指すシーズンの始まりに「今季も優勝の自信はあるか?」と問われると決まって、「やってみないとわからないし、そんなに易しいものじゃない」と言い、でも「やるからには勝ちたいし、そのための準備をしてきた」とも言い切る。
昨シーズンは頂点に立つ難しさを知り、今シーズンは勝ち続けることの難しさを知った。

 特に今シーズンの終盤、ファイナル6からファイナル3で3連敗。ただ「負けた」というだけでなく、それまで準備して貫いて来たはずのスタイルを展開することもできないまま試合が終わる。ファイナル3の初戦でジェイテクトスティングスにストレートで敗れた後は、クリスティアンソン監督ですら「今日の試合も、ここまでの3試合もなぜこうなったのか、言葉にして説明することができない」と述べたほどの完敗だった。

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 なぜ、このような結果になったのか。
 記者から浴びせられた質問に、豊田合成の古賀幸一郎主将は心底困った顔でこう言った。

「それがわかれば教えてほしい。僕らは負けたからといって今日の試合を70%や80%で戦っていたわけではなくて、いつも100%で目の前の試合に臨んでいるのは同じなので」

 わずか1日という短時間でもう一度やるべきことを確認し合って修正する。誰がどこを守り、どこまでフォローできるのか。そのためにもっと個々がすべきことは何で、明確にすべきことは何か。ローテーションのマッチアップから、レセプションの範囲、とにかく細かな部分まで納得するまで妥協することなく話し合い、軸となるべき選手が軸となる。そして、ただ言い合うだけでなく、その過程が無駄ではなかったと示すために、絶対勝たなければならない試合で、勝つべき準備をして、試合で実践する。

 ファイナル3の2戦目、そして続いて行われたゴールデンセットは、その成果が実った、まさに会心の勝利だった。

 2年連続、そして天皇杯に続いての決勝で東レアローズに敗れ、豊田合成トレフェルサは準優勝に終わったが、やることはやった。
決勝を終えた直後、古賀の表情は、どこか晴れやかだった。

 32歳の今季、2年連続でサーブレシーブ賞を受賞し、4年連続4回目のベストリベロ賞の受賞。そして、2016年11月20日の刈谷でのFC東京戦では連続試合出場の日本新記録を樹立した。

「ここまで選手として続けられるとは思ってなかった。やりたくてもできなかった人間もいるわけだから、出来る限りはやらないとね」

 蘇るのは、今から9年前。東京・府中市のNECニューライフプラザでの光景。

 全体練習を終え、シーズン中ということもあり、コンディションを整えるためにも早めに自主練習を切り上げて帰る選手が多い中、古賀はいつも駅までの最終バスが出るギリギリの時間まで残って、サーブレシーブの練習を続けていた。

 サーブマシンで場所をずらして1本ずつサーブを打ってもらい、そのボールを拾い、セッターに見立てた選手に返す。10本連続でAパスが返ればOK。少しでもズレればもう一度やり直し。地道な練習を、1本1本、感覚を確かめながら黙々と取り組んでいた。

 古賀が内定選手として入った06/07シーズンからNECブルーロケッツは3年連続で7位となり、リーグの最終戦はセミファイナルやファイナルではなく、チャレンジマッチ。メンバーが一気に若手へ切り替わったことや、大砲と呼べる外国人選手に恵まれなかったことなど、低迷の理由はいくつもある。

 だが、リーマンショックで日本経済も揺れ、野球やアイスホッケー、アメリカンフットボールなど、かつての名門チームも続々と休廃部を発表し、バレーボールも武富士バンブーが解散。実際にブルーロケッツで戦っている選手やスタッフは少しずつでも手応えを感じ、来年こそ、と復活を誓う気持ちに変わりはなかったが、企業からすればスポーツに限らず、なかなか利益や結果の出ないチームをそのまま評価し続けるほどの余裕もなかった。

 2009年5月31日。NECブルーロケッツは無期限の休部を発表。府中の体育館で練習する古賀の姿は、もう見られなくなった。

 豊田合成トレフェルサへ移籍し、ほどなくレギュラーリベロとして試合に出続けた。地道な練習で感覚と技術を磨いたレセプションとディグ。周囲からすればリベロとしての武器はいくつもあるように見えたが、古賀自身は別の思いを抱いていた。

「リベロがやるべきことは、どこまででも行けるところは行く。拾えるボールに対して、ガンガン突っ込んで行くことだ、って思っていました」

 意識を変えたのは、2013年に就任したアンディッシュクリスティアンソン監督との出会い。「ボールが来る場所へ行く」のではなく、「ボールが来る場所にいる」。これまでと真逆の発想でディフェンス力を求め、1人1人に役割を求め、レギュラーだから、ベテランだから、新人だから、と肩書や年齢で分け隔てることなく、誰に対しても平等に、顔を真っ赤にして怒鳴りながら何度でも同じことを叩き込むクリスティアンソン監督の提唱する哲学は新鮮で、知れば知るほど興味深いものばかりだった。

「ボールが来る場所にいる」のが守備システムの大前提とはいえ、たとえば隣でレセプションをするウィングスパイカーがどちらかというと守備が不得手で相手に狙われることが多く、思惑通りに崩され、チームのリズムがつかめない。そんな時、クリスティアンソン監督の怒声が飛ぶのはサーブの的にされている選手だけでなく、古賀も同じだった。

「お前は電信柱か? リベロだろう? リベロが待っている場所にサーブを打ってくるような選手がいると思うか? ただ突っ立っているだけだったら電信柱と一緒じゃないか」

 バックアタックさながらのジャンプサーブに対してはそれぞれのポジションを守ることが最優先で、隣の選手をカバーしようにも限界がある。だが、ジャンプフローターなら話は別。前にブロッカーがいるわけでもなく、勝負するのはサーバーのみ。隣の選手に寄るフリを見せて、反対側にスッと動いてレシーブしたり、打たれた瞬間に隣の選手の守備位置へ入ってカバーする。今ではごく自然に行っているレセプション時のシステムが構築されたのも、クリスティアンソン監督が就任してからだ。

 NECから豊田合成に入り、数年が過ぎた頃、これ以上技術が向上することもないだろう、と思うことや、そろそろバレーも終わりかな、と思うことが何度もあった、と振り返る。

「アンディッシュに出会わなかったら、もうとっくに辞めていたかもしれない。ほんとにありがたい出会いだな、と思うし、ものすごくデカイ存在であるのは間違いないですよね」

 初めて日本一になり、ブランテージトロフィーを高々と掲げた昨シーズン、優勝の喜びを噛みしめながら、古賀はこう言った。

「どれだけ自分たちに手応えがあっても、それを周りから認めてもらえるとは限らない。だからこそ、こうして、結果を残せたということは誇りに思います」

そして、連続試合出場日本新記録を打ち立てた今季、FC東京戦の後にはこう言った。

「支えてくれた人たちはもちろん、僕を信じて使ってくれたこれまでの監督、そしてアンディッシュがいなかったらこの記録はなかった。すべての人たちに感謝したいです」

 2時間の練習にめいっぱいの体力と神経を使い、練習が終わると「自主練習をする気力すらない」と笑う今は、あの頃の自分とは違う。だが、変わらないこともある。

 もっとうまくなりたい。

 Vリーグに入って、バレーボールを楽しいと思ったことは一度もない。なぜならここはバレーボール選手として生きる道を選んだ自分にとっての仕事場で、戦場だから。

それでも、まだ、こう思う。

「もうちょいね、頑張りますよ」

 次に別の選手が日本新記録を樹立するのは、なかなか容易いことではなさそうだ。

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