数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.27

平昌オリンピック、世界ジュニア選手権について

歌子先生に平昌オリンピック、世界ジュニア選手権について伺ってきました。

2018.2.13

長光歌子先生

オリンピックについて

■平昌オリンピックが始まりました、オリンピックとはやはり特別な存在ですか―

 私は、(髙橋)大輔が初めて出場したトリノのオリンピックが初めてでした。その時は事前にトリノ近郊のフランス・グルノーブルでニコライ(・モロゾフ)たちと合宿をした後、日本スケート連盟が用意してくれたクルマヨール市のリンクで練習し、そこからトリノに移動して本番リンクでの練習に入りました。オリンピックと言っても練習はいつもと全く変わらないんですよね。各国の戦友たちやコーチたちもいつも試合で一緒のメンバーですし、練習内容もいつも通り。だから「ああ、世界選手権なんかとあまり変わらないんだな。」と思っていたんですよね。
 でも滑走順抽選会の2日前くらいから何となく雰囲気が変わっていったんですよ。どういう感覚かは中々口では伝えづらいですが、本当に「空気が変わる」という感覚を肌で味わいました。大輔も徐々に緊張していき、本番当日には食事も喉を通りにくかったと言っていました。大輔は場の空気に敏感なタイプなので、特に強く雰囲気の変化を感じたのだと思います。その時、良い意味での「鈍感力」が必要だなと感じました。

■世界選手権などの国際大会との大きな違いは何だと思いますか―

 世界選手権などの大会の宿泊はホテルなど一人部屋があてがわれることが多いですよね。その点オリンピックの選手村は、複数人で同じマンションに宿泊している感じで、リビングやバストイレが一緒だったりと、共同生活というか合宿のような感覚があります。これは選手同士のコミュニケーションを通してお互いを高め合っていけるという所で非常に良いと思いますが、個人競技で個々の空間が大切なフィギュアスケートなどの選手達には厳しい面もあります。でも年々選手村も良くなっていて、バンクーバーオリンピックの時はトリノオリンピックに比べると素晴らしく良い環境でした。平昌オリンピックも競技期間中マンションに選手、役員、コーチ達が一緒に住むようで、バンクーバーの施設に近いと聞きました。ですからフィギュアの選手たちも競技に集中できるのではないでしょうか。
 あとは、やはり色々な競技の方々と触れ合えることも大きな違いですよね。スキーの選手たちと出会う機会は選手村が違うのであまりありませんが、選手村のダイニングに行くと、各国のメダリストを称賛する声があちらこちらから聞こえて来たりします。国家間を超えたそう言ったコミュニケーションを感じられるので、本当に素晴らしい場だと思います。

■オリンピックでの思い出などはありますか―

 トリノオリンピックの時は、気づいたらどんどん進んでいてあっという間に終わってしまった感覚でしたね。私自身雰囲気にのまれていたのかも知れません。あの時はニコライがいてくれて、支えてくれ助けてもらいました。
 あのトリノのパラベラの競技会場は非常に音が響くんです。大輔はショートプログラムの時は第1滑走だったのでそのことに気がつかなかったのですが、フリーでは最終滑走だったので本当に緊張したらしいです。なにせ観客の声援がものすごく響くんです。裏で自分の出番を待っている時に、あまりに観客の声援が大きいので、選手全員がノーミスの演技だったと思ったらしいです。
 でもあの時の経験が生き、その後同じパラベラのリンクで行われたユニバーシアードと世界選手権で優勝できました。音が響くことを知っているから過度な緊張はしなかったようです。
 あとはトリノオリンピックでは、大輔は競技が終わったあとアメリカで一緒に練習していた荒川(静香)さんと一緒に過ごす時間が多かったのですが、荒川さんは非常に落ち着いていて、いつも通り楽しんで演技をして金メダルを取られたので、大輔は彼女のそういう部分に凄く憧れたようでした。次のバンクーバーの時には、荒川さんのように楽しもうと思ったそうです。トリノオリンピックでの経験は、次に確実にいろいろな場面で生きたと思います。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)