PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2017年10月

10月25日(水)

藤本怜央選手

(車いすバスケットボール)

全日本のエースが“パラスポーツ界”発展の為に

藤本怜央選手(車いすバスケットボール)

ティルティングシュート

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「どうですか?この義足かっこいいでしょ?近未来ロボットみたいで」
ハーフパンツから義足を覗かせ笑顔を見せてくれたのはアテネからリオまで4大会連続でパラリンピックに出場してきた、車いすバスケット界のエース。この日は仙台市内の中学校で行われる車いすバスケットボールの体験会に参加していた。
当初、150名近くの生徒たちの表情は固かったものの、藤本選手がプレーを見せた瞬間キラキラとした笑顔に変わり、方々から「すごい!かっこいい!」といった歓声と拍手が上がった。
「障害者と健常者、平等な目線を持ってほしい。障害者への同情は必要ないんだよ。」と伝えるため、週に1回はこうした体験会に参加している。
そして、「この目線こそが今後、日本のパラスポーツ界が発展しうるかどうかのキーポイントになる」と語ってくれた。「ドイツなんかでは車いすバスケ選手に容赦なくヤジも飛ぶし、SNSなどでバッシングされたりもする。でも、観客の肥えた目があるから選手たちのプレーもより高みに上っていける。日本ではまだヤジが飛ばない。やはりこの一線は超えないとダメだと思います」

藤本怜央選手(車いすバスケットボール)

シュート練習中の藤本選手

藤本怜央選手(車いすバスケットボール)

練習準備

藤本怜央(フジモトレオ)
1983年9月22日生まれ 34才 静岡県出身 SUS所属 所属チーム・宮城マックス
小学3年生の時に交通事故によって右脚の膝から下を切断。
中高と普通のバスケットボールをプレー。高校3年生で車いすバスケと出会い、19歳で代表招集。
アテネ・北京・ロンドン・リオパラリンピックと4大会に出場。
2014年からはドイツのクラブチーム、ハンブルガーSVにも所属。
日本の所属チーム 宮城マックスでは2009年から2017年まで日本選手権を9連覇中!

10月18日(水)

芦田創選手

(陸上)

「パラアスリートの価値を上げたい」2020年東京を目指すジャンパー

芦田創選手(陸上)

練習前はリラックス

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「パラアスリートの価値を上げたい」芦田選手の大きな目標は、ここにある。
世の中のパラアスリートに対する関心は、現状決して高いとは言えない。それは、芦田選手本人も分かっている。「確かにパラアスリート、パラアスリートって最近世間からよく言われます。でも、強がったり威張ったりしても、所詮パラアスリートだろうって思う。競技力が高い世界ではない。」そう考えるのは、彼が高校の時、健常者として部活をやる中で、初めて出場したパラ大会で日本記録を出して、優勝したことがキッカケ。
簡単に記録が出せたことに、障がい者でありながら、物足りなさを感じてしまった。
その後、慢心の為、記録が伸び悩み、大学で出会った礒監督の「お前はパラアスリートかもしれないけど、一流のアスリートではない」という言葉で、目が覚めた。自分が低く見ていた世界で、まだトップにもなれていない。その時の悔しさが、今の原動力だ。究極の目標は、2020年のオリンピックに出場すること。
世の中に、パラアスリートをアスリートとして認めさせるには、これ以上ないアピールだ。
その為には発展途上だが、健常者と同等に戦うレベルへと自分を変えていかなければならない。
「スポーツに障害は関係ないし、トップのパラアスリートは一流のアスリートになれる。
そうすれば、みんなのヒーローなれると思っている」
彼はその存在に、絶対になる。

芦田創選手(陸上)

1センチでも前へ

芦田創選手(陸上)

スムーズな加速が大事

芦田創(アシダハジム)
1993年12月8日生まれ 23歳 大阪府出身 トヨタ自動車所属
2016年 リオパラリンピック男子400mリレー 銅メダル
5歳時に右腕に悪性腫瘍を発症。度重なる放射線治療と手術などにより、右上肢機能障害となる。東京パラリンピックでは、自身がメインとする走り幅跳びで金メダル獲得を目指す。

10月11日(水)

田中雄輝さん

(オリンピック・パラリンピック等経済界協議会)

バリアのない社会を目指して!

田中雄輝さん(オリンピック・パラリンピック等経済界協議会)

実際に車椅子に乗ってバリアの状況を調査

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『変わりたいこと、変えたいこと。』をテーマに、2020年へ向けて、今何が課題となっていて、それに向けてどのような取り組みが進んでいるのか。パラアスリート以外に、企業や行政、文化人の皆さんに登場していただく、ユニバーサルな社会の実現へ向けたPARA☆DO!の新しい展開が始まります。
その初回、2020年の東京へ向けてバリアフリーマップの作成に取り組む人たちを追った。バリアフリー作成支援とは、オリンピック・パラリンピック等経済界協議会が自治体と協力しあって街の様子を細かくチェックし、収集した情報を元にバリアフリーマップを作成、誰もがバリアを感じない社会の実現のための地道な支援活動である。取材したのは東京オリンピック・パラリンピックで自転車競技の会場となっている伊豆市でのバリアフリー調査。この街を訪れる障がい者や高齢者にとって不自由な場所はないか、段差や道幅、坂道の傾斜などをくまなく測定する。参加スタッフは交代で車いすに乗り、実際に不自由さを体感しながら地道な調査活動を行った。参加者の一人、富士通株式会社 東京オリンピック・パラリンピック推進本部マネージャーの田中雄輝さんは「バリアフリーマップ作成の活動を通して、今まで意識していなかったことに気付けるようになった」と語る。思いやりのある“心のバリアフリー”を実現するのが最終目標だ。

【バリアフリーマップ作成支援】
オリンピック・パラリンピック等経済協議会が主体となり、自治体と共にバリアフリーマップ作成に取り組んでいる。協議会に参加する企業の従業員がバリア情報などのデータを収集し、オープンデータ化することで、企業・NPOなどによるバリアフリーマップの作成に貢献。誰もが不安なく生活できる情報環境の整備を目指し活動している。

田中雄輝さん(オリンピック・パラリンピック等経済界協議会)

街のバリア情報を集めマップを作成する

田中雄輝さん(オリンピック・パラリンピック等経済界協議会)

トイレのアクセシビリティも調査

田中雄輝(たなかゆうき) 34歳
富士通株式会社 東京オリンピック・パラリンピック推進本部所属
オリンピック・パラリンピック等経済界協議会 バリアフリーマップ作成支援 リーダーとして障がい者や高齢者・外国人などが、いかなるバリアも感じない社会を目指し活動している。

10月4日(水)

別所キミヱ選手

(卓球)

パラ界のリビング・レジェンド

別所キミヱ選手(卓球)

69歳になっても真剣そのもので卓球と向き合う

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今回は、4大会連続となる昨年のリオパラリンピックに日本選手団の中で最年長68歳で出場した『パラアスリート界のリビング・レジェンド』別所キミヱ選手(69歳)が登場。
別所選手と言えば、愛称は『バタフライマダム』。撮影に訪れたこの日も、髪には大量の蝶々が。すると、こんなクイズが出された「今日は何匹着いてると思う?当たったらランチをご馳走します」。一体何匹?
別所選手が住んでいるのは、兵庫県明石市。そこから練習場のある姫路の卓球場までは約40キロ。約1時間弱の距離を自らが運転する車で通っている。
この日の練習中、別所選手が新たに試していたのが、右足の足首を車いすに固定すること。これまでふらふらしていた感じを安定させることで、以前は届かなかった球にも対応しようというのだ。
「私なんて蝶々が止まるようなボールしか打てへんねんもん」。今の別所選手の戦略はズバリ『粘り』。いくら速い球を打っても返ってくるなら、そこで粘って粘って相手に『?』を与える。これまで届かなかった球に対応できたら相手は『?』が増殖してミスをする。小さな微調整が勝負の世界を左右するというのだ。
4時間ほどの練習が終わると、別所選手が立ち寄ったのが、スーパーマーケットの一角のフードコート。お目当ては…1個100円のソフトクリーム。練習の後のお楽しみだとご満悦でした。関西弁で歯に衣着せぬ発言でも人気の別所選手ですが、そんなチャーミングな一面が垣間見られた瞬間でした。
別所選手に2020年の東京パラに向けて『変わりたい事?変えたいこと?』を聞くとー「アホみたいに素振りばっかりしてんねんけど、物足りない。“生きた球”を打てる練習相手が欲しい…もっと練習したい!」69歳になった今も飛翔を続ける『バタフライマダム』が見つめるその先の自分とは?

別所キミヱ選手(卓球)

練習後のおたのしみ、ソフトクリーム

別所キミヱ選手(卓球)

自ら運転し練習場へ向かう別所選手

別所キミヱ(ベッショキミエ)
1949年広島県出身。69歳。広島県立加計高校卒業、敷島製パン入社後、結婚して兵庫県明石市在住。39歳で夫が突然の病死。2年後の41歳の時、骨盤の一部に腫瘍が見つかる難病を患う。二度の手術で生死をさまよう程の大手術を行い、一命を取り留めたが両下肢の麻痺が残り車椅子生活となる。病気から再起し、リハビリのつもりで卓球に取り組んだのが46歳。ラケットを振る時間は体の痛みや障害のことも忘れることができると、熱中。やがて競技力も向上していく。2002年USオープンで優勝すると、女子車いす卓球選手では日本のトップに上り詰め、2004年アテネ大会に56歳で初出場を果たす。2008年北京大会、2012年ロンドン大会では5位。前回のリオパラリンピックでは、日本選手団の中で最年長(68歳)で出場し準々決勝敗退。