PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2017年1月

1月25日(水)

富田宇宙選手

(水泳)

「小さい頃の夢は宇宙飛行士でした」。そう教えてくれたのはパラ水泳の富田宇宙(トミタ ウチュウ)選手。
高校2年生の時、網膜色素変性症になり、次第に視野が狭くなっていった。現在の視野は、中央の極めて小さな部分と両端がかすかに見える程度に。3歳から続けてきた水泳は、網膜色素変性症の影響で高校卒業時には継続困難となり、大学では競技ダンスに取り組んでいた。大学卒業後、パラアスリートとして再び水泳人生を歩むことを決めた富田選手。東京パラリンピックを目指し、毎日厳しいトレーニングに励んでいる。周りには「他の選手よりもガッツある泳ぎをしている」と言われ、その言葉通りスタミナが必要となる400m自由形・1500m自由形の中長距離2種目のアジア記録を保持している。また、週に1度英会話教室に通っている。目が見えない分、語学力を伸ばしたいと思い、外国人の先生とのマンツーマンレッスンを受けている。健常で水泳をやっている人と肩を並べた時に、恥ずかしくない選手でいたいという富田選手。自分に厳しく負けず嫌いな男の挑戦はまだまだ続く。

1989年2月28日生まれ 27歳 熊本県出身
EYアドバイザリー・アンド・コンサルティング株式会社所属
高校2年生の時、病気の影響により視力が低下し水泳を断念する。しかし、2012年にパラアスリートとして再び水泳を始める。
S13クラスの400m自由形・1500m自由形のアジア記録を保持。
現在は週6日以上のペースでトレーニングに励む日々を送りながら、東京パラリンピック出場を目指している。

1月18日(水)

安室早姫選手

(ゴールボール)

筑波大学附属視覚特別支援学校を訪れた際、杖を持たずにこっちに向かって歩いてきたゴールボールの安室早姫(アムロ サキ)選手。学校では杖なしで過ごしている。安室選手は目の病気により1歳の時、両目の視力を失った。そんな安室選手の鞄にはペンギンのアクセサリーがついている。治療を受けるために東京の病院に向かう途中、上野動物園に立ち寄ったことがきっかけでペンギンが大好きになったという。ペンギンの息継ぎ、羽音、足音、泳ぐ音など気配を感じたり音を聞いたりと小さい頃から五感が研ぎ澄まされていった。ゴールボールとの出会いは、学校で鍼灸師になるための勉強をしているとき、顧問の寺西真人先生から「センスがあるからゴールボールをやってみないか」と誘われたことだ。ゴールボールは「音を聞く」競技。そのため試合中、観客は「応援」をしてはいけない。鈴の音、選手の声、足音…そして安室選手には12m先の相手選手が「コートのラインを触る音」まで聞こえるのだという。まさに視覚以外のすべての感覚を研ぎ澄まし戦っている。一番大事なことは感情をコントロールすることだと安室選手は言う。
しかしそれはなかなかうまくはいかない。必死に練習したにも関わらずリオの代表に選ばれなかったときには、声を上げて多くの涙を流した。そんなとき安室選手は澄んだ青い空をイメージするのだという。そうすることで自分自身の心も澄み渡り落ち着いていくのだそうだ。勝つためには絶対に点を取られたくない。2020年東京パラリンピックの日本代表に選ばれ、チームのディフェンスの要になると小さな巨人は誓う。

1993年3月5日生まれ 23歳 沖縄県出身 筑波大学附属視覚特別支援学校所属
1歳の時に両目の視力を失う。中学生の時に英語検定準2級を獲得し、2006年に行われた第37回全国盲学校点字競技大会の中学の部では2位に入賞する。高校の時からゴールボールを始め、次第にディフェンスの才能を開花させていく。夢はスポーツ専門の鍼灸師。2016年3月 ジャパンパラ大会で3位。2016日本ゴールボール選手権では優勝。ディフェンス力が認められMVPを獲得。

1月11日(水)

成田緑夢選手

(走り高跳び)

スポーツ一家に生まれ育ち、1歳からスノーボードを始めていた成田緑夢選手。2006年のトリノオリンピック・スノーボードハーフパイプに出場した兄・成田童夢と姉・今井メロを目標に末っ子である緑夢もオリンピック出場を目指す。しかし、2013年の4月、トランポリンのトレーニング中に着地を失敗。左足ヒザを脱臼し、医者からは歩くことが出来なくなるかもしれないと告げられる。4回の手術を受け半年の入院生活が続いたが、スポーツをやりたいという夢をあきらめず、必死にリハビリに耐え、どん底から這い上がってきた。そして21歳の秋、知人の勧めで“走り高跳び”と出会い、新たな生きがいを見つける。左足ヒザ下の麻痺を抱えながらも、パラアスリートとして目指すものは2020年の東京パラリンピック。
「昨日より1cm高く跳べた」その小さな成長に大きな喜びを感じながら、一歩一歩目の前の目標に挑戦し続けていくことで、気がつけば以前よりもはるかに高い場所へ行けると成田選手は語る。
走り高跳びを始めてまだ1年余り。現在の自己ベストは176cm。今もなお記録を伸ばし続けている。新しく見つけた夢に向かって再び走り出した成田選手の挑戦は、これから始まる。

1994年2月1日生まれ 22歳 大阪府出身 近畿医療専門学校所属
成田3兄弟の末っ子で兄は成田童夢、姉は今井メロ。二人とも2006年トリノ五輪に出場している。
1歳からスノーボードを始め、スキー、スノーボード、ウエイクボード、トランポリンなど多くのスポーツで活躍していた。オリンピック出場を目指していたが、19歳の時、トランポリンの練習中に左足ヒザを脱臼。腓骨神経麻痺に。その後、21歳から走り高跳びを始める。
自己ベストは176cm。現在はスノーボードクロスでも冬季パラリンピック出場を目指している。