PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2016年11月

11月30日(水)

永井崇匡選手

(柔道)

視覚障害者柔道の永井崇匡(ナガイ タカマサ)選手は、1歳の時に両目の視力を失い、その後、小学校1年生の時に柔道を始める。
全盲のため、技を覚えるには時間がかかり苦労したが、妥協を許さない性格と周りからのサポートのおかげで、昨年の「全日本視覚障害者柔道大会」では見事優勝を果たすなど、今やトップクラスの選手へと成長した。組み合ってから始まる視覚障がい者柔道において、永井選手の語る大切なこととは、「僕はやっぱり釣り手の持っている手で相手の肩の位置とか、その動きを察知しています。肩の位置を触っていると、相手の足の位置もだいたいわかるので、それで足払いとか、きたらよけるとか、自分からかけるとか、そういうふうに工夫しています。」得意の寝技を武器に「東京パラリンピックで金メダル」が大きな目標。
そして永井選手のもう一つの目標は、数学の教師になること。
「数学の魅力を伝えたい」と大学では数学科に通いながら教職課程を履修し、柔道の練習も数学の勉強も目標のためには、決して怠ることのない永井選手はまさに文武両道のパラアスリートといえる。
攻めるスタイルの柔道と同じく、力強く語ってくれた永井選手の「2020年の自分へ」のメッセージとは。

1995年1月4日生まれ・21歳 群馬県出身 学習院大学柔道部所属
1歳の時に両目の視力を失う。段位は2段。
2015年 全日本視覚障害者柔道大会73kg級優勝
リオパラリンピック出場はならなかったが、東京では金メダル獲得が期待される若手柔道家。

11月23日(水)

菅野元揮選手

(ウィルチェアーラグビー)

アルペンスキーでオリンピックを目指していたが、14歳の時の全日本選手権での事故で首の骨を4本折り生死をさまよう。奇跡的に回復したが四肢には障がいが残った。
しかし、スポーツへの情熱を捨てられず、障がい者スポーツの道を模索していた頃、医者の勧めで見たウィルチェアーラグビーのドキュメンタリー映画「マーダーボール」が彼の人生を変えた。
車椅子同士がガンガンぶつかり合う激しいスポーツに魅せられ、すぐに専用の車椅子を購入。競技を始めた当初は当たり負けしていたというが、上半身を鍛え抜き、選手として頭角を表す。現在はそのスピードとパワーを生かしたプレーで、全日本選手権5連覇を成し遂げたこともある名門チームBLITZにおいて、なくてはならない存在となっている。
しかし、2016リオパラリンピックでは日本代表には選ばれなかった…。
その悔しさを胸に、今年7月に勤めていた外資系金融会社を辞め、2020年東京パラリンピックに向けて、競技に全てをかけて挑む菅野選手の夢は「世界一の選手」と語る。あくなき戦いが始まった…。

1992年4月15日生まれ・24歳 神奈川県出身 LINE所属
スキー中の事故により頚髄損傷。ウィルチェアーラグビー元日本代表。
2015年第17回全日本選手権優勝など、埼玉のBLITZで3度の日本一に貢献。
日本代表に復帰し、東京パラリンピックで金メダルを取ることが今の目標。

11月16日(水)

山崎晃裕選手

(やり投げ)

どこまでもストイックに…そして4年後に輝くことを夢見ている、やり投げの山崎晃裕選手が登場。
高校生まで健常者と共に野球をし、甲子園を目指していた山崎選手。
その後、障がい者野球日本代表にも選ばれ2014年の「世界身体障害者野球大会」では銀メダルを獲得し、最優秀選手にも選ばれました。
そんな山崎選手がやり投げに転向したのは去年のこと。パラリンピックでは野球が競技種目ではないため、競技転向を決意したのです。やり投げとテコンドーで悩んだ末に、今まで経験してきた野球が活きると思い、やり投げをスタート。やり投げの標準記録を聞いて「自分ならすぐに塗り返る事が出来ると思った」と話す山崎選手は、野球で培った肩の強さと抜群の運動神経を武器に、初めて出場した国際大会で銀メダルを獲得。さらに、日本パラ陸上選手権でも優勝し、一躍やり投げの第一人者となりました。
目標はふたつ。パラアスリートでありながら「健常者の記録を超えること」。4年後の2020年は24歳で、パフォーマンス的にはベストな状態で臨めると。そして「東京で金メダルを取ること」。
休むことなく日々トレーニングを重ねる山崎選手が見据える未来の自分とは…。

1995年12月23日生まれ・20歳 埼玉県生まれ 東京国際大学3年生
先天性疾患による右手間接部欠損による障がいを持つ。
ニックネームは山ちゃん。座右の銘は「継続は力なり」。2016ジャパンパラ陸上競技大会F46クラス優勝。同年、IPCグランプリ(北京)男子やり投げ・銀メダル。
F46クラス日本記録保持者(※)
※日本パラ陸上連盟9月末日現在

11月9日(水)

船水梓緒里選手

(車いすテニス)

車いすテニスの船水梓緒里(フナミズ シオリ)選手は今から三年前、事故で脊髄損傷を煩い、車いす生活を送ることに…。医師の診断では、二度と歩くことはできないと言われながらも懸命にリハビリを行い、二年前のある日、運命を変える出来事が訪れます。
それはプロ車いすテニスプレイヤーの国枝慎吾選手との出会い。
世界で戦う国枝選手のプレーを間近で見て、車いすテニスを始めることを決意します。船水選手にとって、憧れの存在であり、大きな目標となった国枝選手に少しでも近づこうと、練習場所も国枝選手と同じ千葉県の吉田記念テニス研修センターにし、高校も国枝選手の母校である麗澤高等学校に入学しました。偉大なる先輩、国枝選手と同じ環境に身をおいた彼女は、レフティーならではの独特な球筋を武器に、車いすテニスを始めて経った2年の2016年、車いすテニス世界国別選手権にジュニア日本代表として出場、日本ランキングも8位(※)まで上昇しました。
「俺は最強だ!」が座右の銘の国枝選手に習い、女子車いすテニス界、『最強』を目指す16歳の船水選手。その目が見据えるのは、4年後の東京パラリンピックです。
彼女の車いすに賭ける熱い思い、そして、2020年に向けた誓いとは?

(※)日本ランキング8位/10月24日発表

2000年11月8日生まれ 16才 千葉県出身 麗澤(れいたく)高等学校1年
中学一年生の時、事故により脊髄損傷し、中学二年生から車いすテニスを始める。左利き。
車いすテニス世界国別選手権ジュニア日本代表。プロ車いすテニスプレイヤーの国枝慎吾選手を目標に、2020年東京パラリンピックを見据え、女子車いすテニス界『最強』を目指す16歳。

11月2日(水)

藤原大輔選手

(バドミントン/男子シングルス)

2020年の東京パラリンピックから正式種目に加わったパラバドミントンでメダルが期待される全日本チャンピオンが登場。
藤原大輔選手は8歳から姉や友人に誘われバドミントンを始めた。
生まれてすぐに左足に障がいを持ったが、スポーツが大好きな少年はバドミントンのスピード感と勝負の駆け引きの面白さにのめり込んだ。負けず嫌いな性格で部活の練習に打ち込み、メキメキと上達。
バドミントンの魅力は「限られた空間の中で心を読み合う勝負の駆け引き」勝つためには、身体能力やテクニックだけでなく、心の強さや作戦の立て方など、総合力が必要だと感じている。
試合の時は、4手先まで相手の動きを予測してプレーをすると言う。得意技はジャンピングスマッシュ。パワーとスピードで相手選手を圧倒する。現在は、繊細なドロップショットの練習にも力を入れ、緩急のある攻撃力を磨いている。
2020年の目標は、やるからには「金メダル」と力強く答えてくれた藤原選手の今後のさらなる成長に期待。

1994年2月17日生まれ 22歳 高知県出身 LINE所属
左下肢の下腿1/2以上の欠損(SL3クラス)。2015年世界選手権(イギリス大会)SL3男子シングルス5位。同年、日本選手権SL3男子シングルスで優勝。2020年東京パラリンピックから正式種目に加わったパラバドミントンでメダルが期待される。