PARA☆DO!

フジテレビパラスポーツ応援サイト

フジテレビパラスポーツ応援サイト

コラム

vol.14

提供=産経新聞社

2016年9月8日

【月刊パラスポーツ】

車いすマラソン男子・洞ノ上浩太 メダル照準

表彰台を狙うリオ大会に向け、調整する車いすマラソンの洞ノ上 =7月、千葉県富津市の富津臨海陸上競技場(奥村信哉撮影)

表彰台を狙うリオ大会に向け、調整する車いすマラソンの洞ノ上 =7月、千葉県富津市の富津臨海陸上競技場(奥村信哉撮影)

「“出力”今が一番」
車いすマラソン男子の日本記録保持者、洞(ほき)ノ上(うえ)浩太(42)=ヤフー=が、3度目の出場となるリオデジャネイロ・パラリンピックで悲願の表彰台を狙う。2008年北京大会5位、12年ロンドン大会6位のベテランは「まだ速くなっている実感はあるし、“出力”は今が一番いい。メダルを取りたい」と最終調整に励んでいる。(奥村信哉)

1秒差競り勝ち内定

02年から競技を始め「右も左も分からず」に出場した北京では男子5000メートルとともに5位入賞。ロンドンでは表彰台を狙ったが、最後の上り坂で海外勢に仕掛けられ、6位にとどまった。ロンドン後はスプリント力を強化し、13年にはソウル国際車いすマラソンで1時間20分52秒の日本記録を樹立したが、このレースでも、ロンドン銀メダリストのマルセル・フグ(スイス)に競り負けるなど、海外勢の前に苦戦を強いられてきた。

巻き返しを期すリオに向けて取り組んだのは「スピード持久力」の強化。40キロ走の中に短いダッシュを取り入れるなど、高速スピードを2〜4キロ維持する能力に活路を見いだすとともに、レースの駆け引きにも磨きをかけてきた。その甲斐あって、15年に東京マラソンで初優勝。国際レースとなった16年は、副島正純(ソシオSOEJIMA)に1秒差で競り勝って日本人最上位の3位に入り、目標のリオ内定をつかみ取った。

仲間6人でチーム結成

大工だった00年3月、バイク事故で車いす生活となった。入院中に同室となった元日本記録保持者で北京銀メダリストの笹原広喜さんに誘われ、レースの道へ。「スピード感、迫力のあるレースをいずれはプロ野球のように、ビールを飲みながら見てもらいたい。地域の風物詩のような大会が生まれれば」と夢を膨らませる。車いすの指導方法はまだ発展途上とあって車いすランナー6人で「TEAM BLUETAG 2ARM DRIVE」を立ち上げ、“研究”を重ねてもいる。

平坦(へいたん)なリオのコースを攻略するには「10キロまでは我慢し、中盤の早い段階で仕掛けたい」と青写真を描く。46歳で迎える20年東京大会についても「自国開催は奇跡に近い。許してくれるなら出たい」と意欲をみなぎらせる。

最高時速50キロ超でコース疾走
「レーサー」と呼ばれる軽量の競技用車いすで、42.195キロを疾走する。最高時速は50キロ超に達し、男子の世界記録はハインツ・フライ(スイス)の1時間20分14秒。健常者の世界記録、デニス・キメット(ケニア)の2時間2分57秒より大幅に速い。
障害に応じてクラス分けされており、パラリンピックには1984年大会から採用された。日本勢は2004年アテネ大会で男子の高田稔浩、女子の畑中和が金メダルを獲得。リオデジャネイロ大会は男子が洞ノ上、副島、久保恒造(日立ソリューションズ)、山本浩之(Team Heart Space)、女子は土田和歌子(八千代工業)が出場する。