|
日本選手団が出発した9月6日、谷亮子は32歳の誕生日を迎えた。彼女が世界の舞台へデビューしたは、15歳・中学3年生の時だった。それから17年、人生の半分以上の月日を「世界のトップと」して輝き続けている。そんな世界のYAWARAのこれまでのデータを振り返ってみた。すると、あらためて彼女の偉大さを知る事になった。
1990年「福岡国際女子」で世界の大舞台に登場し15歳の世界チャンピオンとなってから、これまで232戦して224勝6敗2分。その勝率は、驚異の9割6分6厘! そして、232勝のうち約60%の139勝が一本勝ちで、実に20種類以上の決め技で勝っている。
「色んな技で色んな形で勝っていかないと、次に対戦する時には研究されてしまいますから」と谷は語る。また、吉村和郎強化委員長も、「同じ相手でも、その度に戦い方を変えている。だから、谷は強い!」とその強さを裏付ける。
また、谷は大きな大会の前になると、まるで試練を与えられたかのように、大きなケガをする事が多かった。
1995年「選抜体重別」:右ひざじん帯部分断裂も、18日後に5連覇
1999年「福岡国際女子」:左手小指骨折も10連覇
2000年「シドニー五輪」:右手薬指じん帯断裂も、初の五輪金メダル
2001年「世界柔道」:右ひざじん帯断裂(全治3ヶ月)も、16日後に5連覇
2004年「アテネ五輪」:左足ひ骨筋腱損傷も、1ヶ月後に五輪連覇
ざっと挙げても、これほどまでの絶体絶命の逆境に打ち勝って来られたのはなぜか? その答えに、女王の強さの真髄をみた。
「本当の絶体絶命っていうのは、まだないですね。それだけの条件が揃っているから優勝できるのであって、色んな状況の中でも最大限に自分の力を発揮してやれる。対応力ですね。例えば、足をケガしている時に、その技で勝てなくても、こういう技だったら足が出せるとか。だから、その時に得意技が1つしか無いと、その技が出せないと、もう試合にも出られないわけですから。やっぱり、色んな技で勝てるというのが、世界一になるための1つの条件だと思います」
今回は、ケガは無いが、出産・育児と練習もままならず、世界の舞台からは「アテネ五輪」以来3年も離れている。
<不安は無いのか?>
「出産という経験をして色んな変化がありましたが、また新しい事にチャレンジ出来るという自分自身に期待していますし、これまで中学3年生からずっとやって来たので、経験してきた事を活かせる場っていうのが今まで無かったんですね。培ってきた経験を活かせる時が、やっと来たなという感じです。体力的にも、こなせなかった練習が、やっとこの頃こなせたりするんですね。20代の時には活かせなかった経験とか総合的な部分が、30代になって本当の力がこれから発揮出来ていくんだと思います」
<では、どこを区切りと考えているのだろうか?>
「今のところ無いですね。区切りをつけてしまうと、その前で失速してしまうと思うんです。<ここで終わり>っていうのは今までも自分の中に無くて、きっと、その区切りというのは付けないと思います」
<という事は、40代も見ている?>
「40代、そうですね。40代といえば、次のロンドン五輪の先ですかね? 機会があれば、やりたいと思います」
きっぱりと言い切った女王の言葉は、「我々の常識」というものからすれば、全くの想定外、“規格外“だが、今回、<ママでも金>が実現したら、その壮大な夢は現実のものとなるのかもしれない。
世界の女王YAWARAは、これまで有言実行してきたのだから。
|