

アテネオリンピックへの出場権をかけた「2004アテネオリンピック バレーボール世界最終予選」が5月(※)に開催される(東京体育館)。全日本の男子チーム・女子チームともに、アテネへの切符を手に入れるための「最後のチャンス」だ。スポーツジャーナリストの吉井妙子が、約4年ぶりに全日本に復帰した成田郁久美選手(旧姓:大懸郁久美)に「バレーボール世界最終予選」直前の心境を聞いた。成田選手が体感した柳本JAPANの雰囲気とは?(4月2日 大阪・貝塚にて)
お帰りなさい。4年ぶりの全日本ですが、他のメンバーと違和感がないですね。実家に帰ってきた感じですか。 私はこう見えても、結構人見知りする方なんですよ。気ぃ遣い屋さんなんです。メンバーは皆知っている人たちなんですけど、なんか初めはチームに入っていけない自分がいて…。選手たちを知っていても、私が全日本にいた頃とはチームカラーが違うし、練習のやり方なんかも違うので、そういう今の全日本の匂いに慣れるのに戸惑ったというか…。 例えば、久光スプリングスに入社する時も、チームメイトは皆知っている子たちばかりだったんですけど、いざ一緒にバレーをやろうとすると、いろいろなシステムが違うこととかあったりして戸惑いました。私がNECでやっていたこととは、やっぱり微妙に違うんですよ。そういうちょっとの違いがたくさんあるので、慣れるのに少し時間がかかるんです。ずっと長いこと一緒に練習をやってきた人たちと、同じようなリズムでできるかといったら、やはり無理ですから。 |
やはり、何かを期待されているから呼ばれたんでしょうけど、自分では、プレイだけでなく、オリンピック経験者として自分がコートで学んだものを若い人たちに伝えるために呼ばれたと思っています。最終予選も2回経験していますしね。勝負がかかった場面で、例えば落ちついて指示を出したりだとか、冷静に判断したりだとか。あるいは練習の最中にも、後輩達に「こうした方がもっといいよ」とポイントポイントで教えてあげるとか。
アトランタの時は訳がわからず出場したんですけどね(笑)。だってまさか、スタメンで出場するとは思っていませんでしたから。その前にアジア予選があって、その韓国戦の時にもスタメンで出たんですよ。でもそれはカモフラージュであって、本当にスタメンは決勝用に隠しておくための作戦でした。
シドニー五輪の最終予選の時、チームのエースでありキャプテンでもあった成田は、まだ24歳だった。当時のメンバーでは唯一の五輪経験者だったせいか、背負い背負わされたものも多く、見ていて痛々しかった。アスリートへの同情は最大の侮辱と思い、口には出さなかったものの、疲労骨折を痛み止めで隠しながらプレイし、メンバーを代表して葛和監督に怒鳴り上げられ、必死に涙を堪えるシーンを何度も目撃した時は、オーバーワークにならなければいいがと心配したものだった。