

アテネオリンピックへの出場権をかけた「2004アテネオリンピック バレーボール世界最終予選」が5月(※)に開催される(東京体育館)。全日本の男子チーム・女子チームともに、アテネへの切符を手に入れるための「最後のチャンス」だ。スポーツジャーナリストの吉井妙子が全日本女子のムードメーカー・高橋みゆき選手に「バレーボール世界最終予選」直前の心境を聞いた。「ニッポンの元気印」と呼ばれる高橋みゆき選手の「元気」の源とは?(4月1日 大阪・貝塚にて)
ワールドカップでは大活躍でした。11試合に出場し123得点を挙げ、スパイク決定率世界4位、総得点でも10位に入った。各部門でベストテン入りした選手は、日本人では高橋選手ただ一人でした。 私的にはレシーブをがんばったかなと思っているんですけどね。以前だったら、そこは私の守備範囲じゃないというボールには手を出さなかったし、迷っている時は「お願い」というのもあったんだけど、ワールドカップの時は「そこは私じゃない。けど、私だッ」とグワーッと突っ込んでいったりした。 栗原や大山が入って来た分、彼女たちのレシーブのカバーは自分がやらなくてはいけないという思いが強かったんですよ。栗原や大山は高校を卒業していきなり最も厳しい環境に入れられ、しかも注目もされている。すごくプレッシャーがあったと思うんです。だからあの子達がスパイクに専念できるようにフォローしてあげれば、思いっきり打てるじゃないですか。まあ、チームの事情もあったんですけど、守備範囲は広くなったんじゃないかな。イタリア戦で強力なスパイクを顔面でレシーブした時は、頭が痺れるくらいに痛かったけど、清原和博バリにがんばってみた。 でも、スパイク決定率が世界4位とか言われちゃうと、私はノーマークだったのかと思ってしまう(笑)。 |
そうッスよね(笑)。昨年6月のエリツィン杯やモントレーの時はレフトだったんですよ。その頃、まだ全日本もメンバーも20人くらいいて、練習試合のAB戦をやる時もレフトが大勢いて、自分でもこのポジションは厳しいかな、とは思っていたんです。でも、モントレーの時に柳本監督から「お前は、レフトもライトもできると思うけど、どっちがいいんだと聞かれ「レフトがいいです!」と答えたら「そうか、じゃあライトな」って(笑)。その一言で決められちゃいました。
そこそこ。それが一番心配でした。だっていつも相手のエースと向かい合うじゃないですか。でも、実際やってみたら、意外と止められたので嬉しかった。上から打たれるとイメージしていたんですよ。ワールドカップの時はロシアがいなかったから、すごく高い地点からバコーンと来るのはキューバぐらいだった。でも、打ち抜かれても対角にはテンさんがいるから必ず拾ってくれると信じていた。実際そうだったし、ブロックチェンジしてレフトに回ることもあったし、最初はブロックが嫌だなと思っていたけど、杞憂でした(笑)。
バレーって、相手との駆け引きも重要なポイントじゃないですか。だから騙せるものは騙したいし、小ずるくやってもポイントを取ってなんぼの世界ですから。普通にやって勝てない相手にはこういう技も使わないと(笑)。
私は大山や栗原のように身長が高くないし、高い二段を打てないから、相手ブロックをブロックアウトやフェイントで交わすしかなかったんです。これができなかったら私は生き残れない。
高橋は小学校3年生の時、交通事故に遭った。下校途中に黄色が点滅した横断歩道を走って渡ろうとして車に撥ね飛ばされたのである。高橋は宙を舞った。舞いながら「あ、街路樹のてっぺんはこうなっているんだ」と考えたという。多分、5メートル近くは飛んだはずだ。目撃者の誰もが大惨事を覚悟した。高橋は宙でみんなの悲鳴も聞いた。だが、空中で瞬時に態勢を整え、クラウチングスタイルで着地に成功。そのまま何事もなかったように走り去ったという。高橋は「車を運転している人から家に送ると言われたんですけど、断った。そんなことより、バレーの練習に遅れると気が気じゃなかった」という。