BASEBALL SPECIAL 2008〜野球道〜
MAJOR LEAGUE BASEBALL LIVE
高木豊コラム
 
 
最後のご挨拶
2011年12月

 ずいぶん長い間、このコラムを更新できなかった。今回、最後のご挨拶をすることになったのは、皆さんもご承知のコーチ人事によるものだ。
 12月のとある日、電話がかかってきた。相手は、横浜DeNAの中畑清新監督からだったが、この時はまだ就任前の出来事だった。
「もしオレが監督をやることになったら、一緒にユニホームを着てくれ」という電話だった。当時は工藤公康の監督就任という報道が大半だったため、実現は難しいだろうなと思っていたし、とにかく九分九厘は工藤監督誕生という状況だったので、私もその時はユニホームを着るに当たっての気構えなど、頭に入ってこなかった。
 しかし、12月5日に工藤の監督就任が破談となった。状況があまり読めないでいたが、その後ふたたび中畑氏から電話があった。「よし、一緒に強いチームを作るぞ」と言われたのだが、球団からは何の連絡もない。この話が実現するのかはまだ不透明な感じがしていた。
 だが、恐らくもう時間もない中で、早急に人事を定めなければならに状況だったはずだ。それからというもの、私の頭の中は「横浜を強くするためには」という事についてクエスチョンマークが幾つも並び、夜寝ていても目が覚め、また繰り返しハテナマークを追っかけていくような状態になった。そして、高田GMからも連絡があり、私はこのコーチ就任要請を受諾することにした。理由はいくつかあるが、一つはやはり中畑監督との信頼関係が理由だった。

 私と中畑氏は、2004年アテネ五輪で戦友だった。当時、中畑氏が監督代行となり、私はコーチだった。その時から、もしユニホームを着ることになったら一緒に、と中畑氏は言っていた。私はずっと、ユニホームを着る時には監督にと思っていたが、中畑氏から言われたのであれば別だ。あのアテネでの戦いから随分長い年月が過ぎたが、彼を支えようと二つ返事でOKすることにした。
 横浜に対しての縁も感じた。OBとしても、チームが弱いというのは肩身が狭い思いがする。何とか横浜に恩返しもしたいし、後輩たちに勝つ喜びを教えたい。そう思ってコーチに就任することにした。転んだから見えた世界もあるだろうが、これからは強い世界を見るために、選手たちと旅をしたいと思っている。
 ヘッドコーチという発表を行った後、周囲からはおめでとうと祝福される毎日だ。やはり野球人として、現場に戻りユニホームに袖を通すということは光栄で、感謝しなくてはならない出来事なのだろうと理解している。しかし、正直怖さがある。本当にチームを強くしてあげられるのか、選手を育てられるのか。色々な思いが心の中を複雑にしているようだ。

 とは言え、キャンプインまであと1か月以上ある。心の整理をつけるのには十分な時間だろう。今は不安と希望とが交錯しているような状況だ。この状況というのは、私がルーキーだった昭和56年、大洋と契約した時の気持ちとよく似ている。
 やること、やらねばならないこと、言わねばならないこと。山積みなような、そんな考えでいる。解説者としてテレビやコラムに登場してきた私だが、解説というものは理想を追う。しかし、理想通り行かないのが現場である。とは言え、その理想に一歩でも近づけなければ、私が解説者として発言してきたことの存在価値がなくなるようにも思う。その理想に向かって、これからは挑戦して行かなければならない。
 仕事というものを、私は熱だと考えている。現役時代、1回目のコーチ時代、いずれも不完全燃焼に終わった。今回、私の中で燃焼するだけの材料が十分あるし、燃焼する火種も持っている。その熱を選手にいかに伝えていくか。そのことに関しては自信がある。今はその自信だけを強く持ち、強い意志と信念で選手たちに挑もうと思っている。

 今まで、このコラムを愛読していただいた皆様には勝手で申し訳ないが、今回を最後にこのコラムから離れることになる。チームは急には変わらない。すぐには強くならない。しかし、来年1年で「変わった」と言われるぐらいの成果は必ず挙げようと思っている。これからも応援をしていただきたいと願いながら、最後のコラムを終えたいと思う。

 今まで長い間、ありがとうございました。

たまッチ!
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