レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#083(03/08/12)インタビュー
「KIKCHY FACTORY」
×高見沢俊彦
2003年7月15日 午后
『堂本兄弟』収録の合間
砧 東京メディアシティ 楽屋でインタビュー

きくち
今までこの連載に出ていただいた人の中で、高見沢さんが一番おつきあいが長いと思うんですよ。 
高見沢
そうだよな、長いよなあ。 
きくち
わたしが『夜のヒットスタジオ』のADのとき、放送2回目ぐらいですでにご一緒してましたから。高見沢さんにはわたしのはじまりから見られてる。 
高見沢
そうそう、足をけがしたりな。あの頃はきくちもいろいろあった。 
きくち
実はそれを、生放送中にアルフィーのセットに足をひかれて。 
高見沢
ええっ!? 
きくち
それで傷口が開いて、辺り一面が血の海に…。本番中。 
高見沢
それ、俺が悪いわけじゃないから(笑)。本当、AD残酷物語だね。でも今は、こんなに立派なプロデューサーになられて。ある意味、人間の進化の過程を見ているようだよ(笑)。 
きくち
(笑)。高見沢さんも、ずいぶん可愛らしい方向に進化しましたね。 『堂本兄弟』で強烈な天然ボケを遺憾なく発揮していますよ。 
高見沢
俺は普通なんだけどなあ。 
きくち
普通の人はカセットテープを靴の中に入れたまま、1か月も…。 
高見沢
いや1週間、1週間。さすがに1か月だったら分かるよ。あのときは急いでいたからね。 
きくち
それでも1週間は気付かなかったと(笑)。…さっきの進化の話に戻りますけど、そもそも高見沢さんが堂本ブラザーズバンドに入ってくれるとは思いませんでした。 
高見沢
まさか俺も引き受けると思わなかった(笑)。でも、「ぜひ、きくちが」って聞いてたんだけど。 
きくち
いやぜひですけど、本当に試しに聞いてみたんですよ。まさかやっていただけるとは…。 
高見沢
こなれたって言い方をしたらおかしいけど、テレビに対する偏見がなくなったというか。5年前だったらやらなかったかもしれない。 
きくち
『LOVE LOVEあいしてる』なんて、本当に出てくれませんでしたもんね。わたし、高見沢さんに会いに何度も行きましたもん。 
高見沢
最後、土下座してたよな(笑)。 
きくち
もう「何でもいいから出てくださいっ!」って(笑)。 
高見沢
苦手だったんだよな、テレビ。ただ(吉田)拓郎さんにはよく「お前テレビ向きだから絶対出た方がいい」って言われてて。「あ、そっかな」と思った。人間って不得意だと思っているものほど得意だったりするしね。 
きくち
その後は上手にテレビと付き合いながら、ここまで進化してきた。 
高見沢
それはやっぱり3人でいるからこそできることで、ソロだったら絶対にできない。いつまで一緒にやれるかわからないけど、ずっと一緒にやっていきたいと思ってる。 
きくち
来年で30周年でしたっけ? 
高見沢
来年で30周年。もう大台。 
きくち
楽しいことやりたいですね。
高見沢
ねえ。もう何してもいい感じがしてさ、それでこんな格好してるし。夏のイベントももう22回目だけど…どこまでやるんだろう? 
きくち
わたし、よく自分で行ってましたね。関係者じゃなかったんで、コンサートに行ったはいいけど、バスの列が動かなくてなかなか帰れなかった。 
高見沢
すごいね! コンサートの時間と同じくらい待ったんじゃない? 
きくち
待ちました。で、バスに乗ってもそのバスが動かない(笑)。あの頃のお台場って何もなかったですよね。 
高見沢
石と草だけで何もない場所に、巨大なセットを作ってさ。ほとんど黒字にはならないコンサート(笑)。 
きくち
10万人超の、当時としては規格外の大きさのコンサートでした。
高見沢
単独でやったのは俺らが最初でしょう。あれで結構、踏ん切りがついたの。こういう数の勝負はやめて、これからは質を高めていこうって。お笑いの質だけ上がってるけど(笑)。 
きくち
いや、そんなことないですよ。…今回、こんな雑談でいいのかな? すごく滑らかにしゃべってるけど。 
高見沢
じゃあ、進化と質を高めるテレビライフ、ということで(笑)。

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