KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#72(03/03/05)


「TV LIFE」と「KIKCHY FACTORY」のこと。

 就職を目の当たりにした大学4年のころ、なんとなくわたしはマスコミを志してはいましたが、テレビ局志望ではなく、自分は「活字」の人間だと思いこんでいました。そのころホイチョイプロダクションズやら「めぞん一刻」やら擁した「ビッグコミックスピリッツ」が大好きで、またちがう思いから学年別学習雑誌「小学○年生」に携わってみたくて、第一志望は小学館。あと阪神ファンだったり観るスポーツ全般が大好きだったりで、創刊されたばかりの「Number」の文藝春秋、あるいは日刊スポーツ新聞社あたりが、当時のわたしの甘っちょろい未来予想図でありました。

 わたしは文学部系だったのですが、仲のよかった政治学部系の友人の半ばおつきあいで、新聞社出身のA木教授が個人的に面倒を見てくれていた、マスコミ志望者の勉強会のようなものに参加するようになりました。毎週1回木曜の夜に先生のお家に集って、宿題の小論文の批評などいただきつつ、お酒など飲みながら親睦を深めるという「勉強会」というよりか「サークル」のような、たのしい集いでした。

 そこでテレビ志望のみなさんといっしょについでに受けたただ1局のフジテレビが、どこを買ってくれたのかわたしを拾ってくれて、自分がテレビマンとは想像もできませんでしたが、『ひょうきん族』が大好きで、さんまさんの『心はロンリー』が大好きで、M宅ディレクターが大好きで、なにより、フジテレビが大好きで、ほんとうに8チャンネル以外まず観なかったわたしでしたから、雑誌からのようにテレビから夢を届けられたらと、わたしなりの志を持ってフジテレビの一員となったのでした。

 縁あって音楽番組の制作に携わることになり、上から16番目の末端ADからスタートして、あこがれの拓郎さんと『LOVE LOVEあいしてる』をつくるところまでたどり着きました。そして番組と連動したリレーインタビューの企画を「TV LIFE」さんからいただいて、スタッフをラブラブオーススターズをずっと継いでいって、それが今のかたちにリニューアルすることになったのが3年前。第1回はわたしのインタビューで構成していただいたのですが、2回目からはやくもわがままを言って、自分で文章をつくらせていただくことになりました。これは正直、ほんとうにうれしかった。テレビでがんばって、雑誌のお仕事ができるとは思いもしませんでした。

 そんなわたしはうれしくって、2週間に一度、昨夜もきっと、24時をまわって日付が発売日になったらすぐに、「TV LIFE」を買いにコンビニに出かけるのです。

フジテレビ きくち



モドル




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