KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#53(02/06/05)



清志郎さんとのあんなこと!そんなこと!

 こないだROSSOの『FACTORY』が終わってからチバくんと廊下を歩いてて、「きくちさんのコラム読んでるよ」って言われてものごっつびっくり!ふぬけたことを書いている場合じゃない。そうなんだよな。もっとしっかりしなくっちゃ。

 民生くんの「ひとり股旅」に出かけたときわたしの実の弟に逢って、音楽誌の編集をやっている彼は清志郎さんにインタビューしてきたばかりで、フジテレビのきくちの実の弟ですと自己紹介したらば、ボスが、「きくちに『しっかりしろ』と伝えてくれ」とおっしゃったとか。そう。こんな今だからこそしっかりしなくちゃ。清志郎さんには前にも著作『瀕死の双六問屋』のなかで喝をいただいたこともありました。

 わたしがずっと下唇の下にひげを伸ばしているのはあからさまに清志郎さんのまね、というかわたしなりのリスペクトの象徴です。今でこそわたしが太っちゃいましたが、痩せてたころにはしばしば似ていると言われました。ボスがJRAのCMソングをうたっていたころ、ちょうどわたしも競走馬にはまっていて、WINS新宿のそばの吉野家で競馬新聞を読んでたら、女子高生がやってきて、「清志郎さんですか?」とまちがえられたこともありました。彼女たちはきゃあって逃げたら終わりだけど、そのまま牛丼食べなきゃならなかったわたしは、もうものごっつ恥ずかしかったです。

 『MUSIC CLAMP』でプロデューサーとしてはじめてお仕事したとき、ちょっとひさしぶりにお逢いした清志郎さんの髪型が、生涯はじめてマッシュルーム(風)にしたわたしとたまたまかぶって、そっくりだったことがあって、そのときはうれしくてならんで写真をとってもらいました。

 『HEY!』に篠原涼子と出演したときには、清志郎さん直々のご指名でベースのトラをやらせていただいたこともあります。そのときリハでスチルさんが撮ってくれた写真はもう宝物なのですが、本番ではボスの強い意向で落武者の格好やらメイクやらさせられて・・・フジテレビの見学者コースのわたしのコーナー(?)に飾られていますから、見かけたら笑ってやってください。

 『堂本兄弟』ではいちばん来ていただきたかったゲストで、テーマの本歌「よォーこそ」を演っていただいてそれは本望でした。ただ放送直前に起こった同時多発テロに配慮して「ジャングルジム」の歌詞の一部を放送できなかったことが心残りです。

 罪滅ぼしによかれと思ってつないだ『木梨サイクル』でのノリさんとのコラボCDがついに発売になりました。いいうたです。

 わたしもしっかりしなくちゃ。がんばります。

−以下 web「KIKCHY FACTORY」のために−

「TV LIFE」ボツ部分原稿30行(笑)

 RCサクセションの音楽をはじめて聴いたのは、拓郎さんとかはっぴいえんどとおんなじ小学生のころ。振りかえると不思議なかんじですが、当時は拓郎さんや陽水さんかぐや姫とかと近しくて、わたしはフォークソングとして認識していました。清志郎さんの強烈に個性的なうたいまわしは、わたしが夢中になるのに充分すぎました。

 はじめてライブを観たのは高校に入ってから、もちろんそのころはもうガリガリのロックバンドで、地元のちっちゃいライブハウスのいちばん後ろのすみっこのほうで、はじめて生で感じたキヨシロー!生の「スローバラード」「雨上がりの夜空に」そのころNHK-FMの『サウンドストリート』をよく聴いていて、渋谷陽一さんがやたらかけてくれてたのを憶えています。

 大学のころはRCの絶頂期、お金がなくてレコードは借りまくり、エアチェックしまくり、新歓コンパからうたいまくりの4年間、イケナイことですが横浜スタジアム「熱きR&Bの一日」とかこっそり録ったテープを今でも個人でたのしんでいます。

 会社に入って坂崎さんとの最初の出逢いも『夜ヒット』の楽屋で坂崎さんが「三番目に大事なもの」か何かを弾いていて聴きいっていたのがはじまり。

 それからかるく5年はかかりましたが、ディレクターとして清志郎さんとお仕事できたときはもう感激でした。


フジテレビ きくち





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