私がフジテレビ音組を名乗りはじめたのは2002年の4月。2月『HEY!HEY!HEY!』を立ち上げた水口チーフPが編成部に異動、そのタイミングで『HEY!』の神原Dが『メントレ』のPに、『メントレ』に居た冨田チーフDが『MUSIC FAIR』、『MF』板谷Dが『HEY!』という3角トレードでバランスを取り、歌番組を離れる神原Pが音楽ライブの中継ディレクター担当する際、体ひとつで帰ってくればADなどスタッフはこちらで用意するから、という音楽制作チームが「フジテレビ音組」でした。神原Pはその後『ヘキサゴン』など立ち上げフジテレビに大きく貢献して結果オーライ。が、勝手に名乗った「音組」は編成水口先輩に忌み嫌われ(笑)、コンサートにロビー花を出すのに当時『HEY!』『堂本兄弟』『FACTORY』3番組を束ねて「音組」ロゴを冠して、経費を節減しお花も目立たせる作戦も、水口さんが行かないライブを読んで出したりしてました。
それ以前『TK MUSIC CLAMP』『LOVE LOVEあいしてる』時代は水口一家きくち組と名乗り、その「team KIKCHY」の音楽監督として頼った処から武部聡志さんとの密接な関係性が築かれ、時を経てそれはそのまま「音組」の音楽監督として『僕らの音楽』とその発展形の『FNS歌謡祭』など無二の戦友と成りました。
一昨年の異動で「フジテレビNEXT音組」と成ったあとも『ももいろフォーク村』『あたしの音楽』『スカパー!音楽祭』ありがたいことに武部音楽監督との信頼関係は変わりません。
拓郎さんのライブとユーミンの長いツアーが終わるまで、深い感謝を持ってその次の世代に繋げて行かねばと強く思います。
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