KIKCHY FACTORY

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#33(01/08/29)



大阪で生まれた女じゃないけど

 物心ついたときから阪神ファンでした。阪神が優勝した寅年生まれのわたし、東北の出なのですが、父親の影響もあってか、そして江夏豊という左投手にあこがれて、ずっと阪神タイガースを応援してきました。

 はじめての大阪はかなりおそくて大学1年の夏。音楽サークルの新宮での合宿のかえりに、ひとりで大阪に出かけました。当時の梅田の地下街は今とはずいぶんとちがって、そうとうに混み合ってかなり雑然として、はじめてのわたしに強烈な印象を残しました。剥がしては貼られた壁新聞、夕刊紙やプロ野球速報の大きな文字、勝っても負けても試合が無くても阪神一色のスポーツ新聞の一面。神戸でポートピアが開催されたその年から、大学でつくった阪神タイガースファンクラブの連中と、夏のツアーを続けています。21世紀になった今年が21度目の夏。

 フジテレビに入社した85年、ぺーぺーのADだったわたしは、阪神タイガースの実に21年ぶりのリーグ優勝を、こともあろうか(?)神宮球場のレフトスタンドではなく「夜ヒット」の生放送のスタジオでフミヤくんやマッチとかと迎えるのでした。歌番組のプログラムをとばしての神宮生中継!その春から2時間になった「夜ヒットDX」のその年の番組最高視聴率!関西テレビでは瞬間最高視聴率が70%を超えたとかそうじゃないとか。芳村真理さん古舘伊知郎さんと、野球中継終了後残った時間が30分ばかり。ベテラン五木ひろしさんの提案でふだん出演されることのすくない俳優さん女優さん3人だけが歌って、ほかの出演者の代表曲をリレーしてうたう「オープニングメドレー」を最後に演奏して終了。この夜が岡田有希子さんの最後の「夜ヒット」出演にもなりました。

 ディレクターになってある程度自分でスケジュールが切れるようになってからは、当時会社から近かった神宮の阪神戦にはしばしば出かけました。売れる前のシャ乱Qを連れて。売れる前のYUKIちゃんとTAKUYAを連れて。売れる前のしのはらを連れて出かけました。みんなちゃんと夢がかなったから、わたしのなかではそんなゲンをかつぐ場所にもなっています。

 今でもいちばんもりあがるのは、アントラーズでもシューマッハでもなく、阪神が強いとき。メインのお仕事ふたつとも超一流の関西人とやっていて、ボス;M口さんをはじめスタッフも関西人が多くて、打合せも関西弁がとびかって。阪神ファンも多いので、去年の1日天下、おととしの1週間天下はめっちゃもりあがってました。これで光一が阪神ファンだったらなあ(笑)


フジテレビ きくち



モドル




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