レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#132(05/07/20)インタビュー
×吉村由美 (PUFFY)
2005年7月5日午後
『堂本兄弟』収録のあいま
砧 東京メディアシティ 楽屋でインタビュー

きくち
デビュー曲から衝撃的だったよね。ああいう狙いは当時なかったし、これでもいいんだって(笑)。
由美
(笑)。今考えても強烈でしたもんね。奥田(民生)イズムみたいな。
きくち
わたしは「これが私の生きる道」が大好きなんだけど、やりたい放題めちゃくちゃ。民生さんがわかっててつくってるのがカッコよかった。それからはもうエライことになって。
由美
そうですね。そのころ『saku saku (morning call)』と『パパパパパフィー』やって、レコーディングもあって、ドラマにもちょこっと出てたんですよ。
きくち
むちゃくちゃ忙しかったよね。
由美
よく頑張ったと思います(笑)。
きくち
あのころのPUFFYってなんだったのかな?アーティストでなく、アイドルでもなく…。
由美
アイドルをやるには年齢的に無理があったんですよ(笑)。
きくち
だいじょぶ だいじょぶ(笑)。
由美
で、別に2人とも音楽ずっとやってたわけでもない。…ただ「なんかわかんないけどなんでもやってみたいんです」みたいなのはあったかな。
きくち
それで9年だもん。「これが私の生きる道」の歌詞じゃないけど、旬のものと世間は思ってただろうに(笑)。
由美
まあ、本人たちも(笑)。
きくち
(笑)。もぎたての果実が今はアーティスト。カッコイイね。
由美
しぶとく頑張ろうかなと。
きくち
(笑)。
由美
昔からの知り合いに言われたんですけどね。でも「しぶとい」って言葉、キライじゃないですね。
きくち
そういう意味だと、わたしもしぶといプロデューサーかも(笑)。でもPUFFYはホント、カッコよくなった。ただ、音楽自体はローファイなままで変わらないね。
由美
基本は変わらないですね。ただ昔は2人でやってるって感じだったのが、今はバンドみんなでやろうぜって認識になったぐらいで。そこはすごい変わったなあと思いますね。
きくち
でも先を見据えていた。結果として戦略的だったよね。忙しかったあの時期から海外ではじめてたわけだし。
由美
でも私たち自身は別に深い考えはなかったですね。面白そうだからやってみたら、ライブができちゃって、ツアーもできて。びっくりですね。
きくち
アメリカでやる感じってどうなの?ちっちゃい子も来るの?
由美
来ますね。後半は疲れちゃう子もいるけど、知ってる曲になったらぐわーっと盛り上がったりして。こっちも(テンションが)上がるぐらいなんですよ。アメリカって面白いですね。
きくち
カッコイイね。「SUMMER SONIC」ももう、出ててあたりまえ。
由美
実はフェスものってあんまり出たことなかったんだけど、最近増えてきて。今年はすごい多いんですよ。
きくち
わたしたちの「GIRL POP FACTORY 05」もよろしくね。
由美
あれはどんな感じなんですか?すごいドキドキしてるんですけど。
きくち
今年はわたしも想像つかないなあ。この2年とは、また別のイベント。
由美
なんか年々ドキドキするんですよ。もうわからないじゃ済まされない年齢だし(笑)。『僕らの音楽』もどうなんだろうと。基本的にみんな、自分で詞とか曲を書く人じゃないですか。
きくち
そうね。
由美
で、そうじゃなければ歌のうまい、すごい聞かせる人が出てて。
きくち
今井美樹さん、松田聖子さん。
由美
そう、でもうちは聞かせるのが持ち味ではないので。Mr.Childrenの回を見て、これはまずいと。
きくち
PUFFYの前の週は、坂本龍一さん(笑)。
由美
まずい。なんか違うねって言われないようにしないと(笑)。


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