レポート

TV LIFE 連載:KIKCHY FACTORY
#113(04/10/20)インタビュー
×小室哲哉さん
2004年10月3日 夕方
『僕らの音楽』収録のあと
砧 東京メディアシティ 楽屋でインタビュー

きくち
なんかようやく小室さんにご登場いただけたかんじですね。ひさしぶりにお仕事できてよかった。 
小室
そうだね。このへんがだいたい…僕ときくちヒストリーの第3期に入ったかんじなんだろうね。第2期のはじまりは…trf(のちに TRFに改名)を出してほしいって頼んだ頃かな。 
きくち
よく覚えてます。わたしが『MJ』って番組をやってたときで、小室さんが trfを売り出したいと。あのころ、ちょうどブレイクしかけの…。 
小室
そうそう。あの頃は僕が頼むことのほうが多かったよね? 
きくち
そのあと、わたしが頼むほうが多くなっちゃった(笑)。
小室
まあね(笑)、いつのまにか立場が逆転しちゃった。グレイシーみたいにジワジワと…“きくち柔術”にハメられるかんじ。粘るというか、あきらめないんだよね(笑)。 
きくち
(笑)。でもだいたいは、いっしょにやった仕事は結果的に悪くなかったでしょう? 
小室
だから僕も折れちゃう。『TK MUSIC CLAMP』は僕も粘ったけど、最後には負けたし(笑)。鳥越俊太郎さんは(『僕らの音楽』のインタビュアーを)二つ返事で引き受けたの? 
きくち
そうですね、比較的すんなりと。なにしろ最初にお逢いしたとき、鳥越さんは夕陽をバックにしていて、それが後光を差しているようで。もうこれはアリ!って(笑)。 
小室
ジンクス系だよね、で、思い込みも激しい(笑)。 
きくち
(笑)。今日の『僕らの音楽』いいミュージシャンが集まりましたね。山木(秀夫)さんに、今(剛)さんに…。 
小室
僕、今さんにお会いするの23年ぶりなんですよ。 
きくち
そうなんですか。 
小室
今さんのCMのレコーディングで、たまたまキーボードを任されて。 
きくち
ああ、なんかそういう話を聞くと小室さんってミュージシャンですよね。スーパープロデューサーになってからのことしか知らない人も多いし、わたしたちも1995年『TK』のころの、ミリオンセラー連発のイメージがあまりに強すぎるから…。 
小室
あれはまあ、今で言えばバブルだよね。おかしいよね、自分で作っちゃったんだけど(笑)。でも好きな曲と売れた曲って、必ずしも一緒じゃない。だからCDの売り上げが落ち込んでもそんなに悲観的になることもないと思うんですよ。それこそ『夜のヒットスタジオ』なんてミリオン級のヒットはしてなくても、みんなの好きな曲が流れてたじゃないですか。 
きくち
そうですね、おばあちゃんからこどもまで、ってかんじでしたよね。ただ『夜ヒット』で小室さんが打ち込みの曲を生で演ってから、生演奏の意味合いがぼやけたかんじはしますけど。 
小室
まあバンドさんが休んでる画が出ると、これでいいのかなとは思う。僕はミュージシャンだからね(笑)。生演奏といえば『夜ヒット』のとき、僕のシーケンサーの電源が抜けて放送が止まりかけたことあったよね? 
きくち
ありましたね。横浜アリーナができて、そこから生放送したとき。あのときはリスクを回避するために10分遅れの時差生放送だったんでその時差の間に復旧して、途中から完全な生放送になって。当時はドキドキしたりほっとしたり、だけど今は、あのとき最初から完全生放送だったらって考えます。まちがいなくチャンネル止まるじゃないですか(笑)。 
小室
(笑)。まあ、スポーツのほうがドキュメンタリー性があって、面白いじゃない。それと同じことで。地上波デジタル放送なら双方向だから視聴者のリクエストに応えて演奏できたりするし。臨場感のある生放送の音楽番組、やってもいいんじゃないかな。

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