KIKCHY FACTORY
サンスポ 連載:きくち伸話
タイトルも見出しもわたしがキメたわけでは決してありません
オリジナル原稿 #16(03/01/24)


12年ぶりの菊池桃子さんにものごっつ緊張
テレビで12年ぶりも変わらない歌声に大感激


 今週収録の『堂本兄弟』で、菊池桃子さんにご出演いただきました。わたしのフジテレビ入社前の最後のアイドル。というか、こどものころの浅田美代子さん以来の、事実上の最初のアイドルです。『夜のヒットスタジオ』のAD時代には、もうほんとにしょっちゅうお仕事させていただいていました。前日、打合せで12年ぶりにお逢いして、ものごっつ緊張しました。最後にお逢いしたのが、『オールナイトフジ』のディレクターのころ、1991年の3月16日、最終回から2回前の放送にCDのプロモーションでいらしたのが最後で、そのころ彼女はもうテレビでうたう歌手業はやってらっしゃらなかったので、うたのお仕事としては、昭和63年7月20日『夜ヒット』に「ラ・ムー」というバンドのボーカルとして出演されて以来、なんと14年半ぶり!いろんな意味でも感慨深い収録となりました。
 彼女ももう35歳、プロゴルファーの西川選手とご結婚されて、6歳の男の子と1歳3か月の女の子の、立派なおかあさんなのですが、トップアイドルの当時と(わたしの中では)全然変わらなくって、話しかたとか笑いかたとか考えかたとか、あのころのそのまんまかわいらしくて、なんか上手に齢を重ねて、素敵な女性に成長されたなぁ、と個人的に感動しました。
 あのころ『夜ヒット』のトーク取材で「将来こどもが生まれたら、男の子だったら太郎、女の子だったら花子と名付けたい」とか話していたことを思い出しました。そういう名前にはならなかったみたいですが。
 「暗闇が怖くて夜は部屋の灯りをつけたまま眠る」とかも言ってたなぁ。あと、当時の上司の命を受けて、トークのねたとして、高校の運動会の写真を手に入れるべく、通学路で学校帰りの女子高生たちに手当たりしだいに、わたしが声をかけまくったこともありました。結局、手には入らなかったのですが、写真誌とかがまだなかった時代の、ほのぼのとしたエピソードです。
 モーニング娘。のプロデューサーのつんく♂も彼女が大好きで、大昔、つんくの実家に『JAB!』という番組のロケでおじゃましたとき、昔の彼の部屋には、桃子さんのデビューに合わせて創刊された当時のアイドル雑誌「Momoco」が、ずらーっと、保存してありました(笑)。
 大学4年の時にデビューした彼女を、わたしはアイドル「歌手」として好きだったので、彼女が「ラ・ムー」というバンドで発表した楽曲も、立派な女優さんになってから自作曲でつくったアルバムも、全部大好きでした。
 今回の『堂本兄弟』では、彼女が鈴木雅之さんの楽曲にデュエットで参加した平成8年のヒット曲「渋谷で5時」を、レコーディング以来はじめてうたってくれました。テレビでうたうこと自体12年ぶりだということです。変わらない菊池桃子さんのボーカル、2月16日夜10時からの放送でおたのしみください。

フジテレビ きくち
 


モドル



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