NONFIX過去放送した番組

【企画趣旨】

北朝鮮によるテポドン連続発射、そして核実験と核保有宣言、6ヵ国協議における米国の北朝鮮への歩み寄り、大統領選を前にした韓国の対北政策の変化、南北鉄道開通を前に一進一退の南北経済交流…。
朝鮮半島をめぐる情勢は、この1年大きな動きを見せている。

番組では、朝鮮半島を南北に分断する軍事境界線、いわゆる「38度線」に注目。イデオロギーと東西対立の亀裂の象徴として引かれた休戦ラインが、50年の歳月を経て冷戦時代もすでに過去のものとなった現在においては、まるで歴史の遺物のように取り残されてしまっている、そんな「38度線」の「内部」を取材した。

南北4キロの幅を持つ非武装地帯=いわゆるDMZには、韓国人にも知られてないひとつの村がある。そこでは、240人の村人が「コシヒカリ」を作って暮らしていた。どうしてこんな危険な場所に村があるのか?追跡取材の結果、明らかになってきたのはこの村に課せられた特別な役割。その村=「大成洞(テソンドン)」はまさに東西冷戦のタイムカプセルだった。
この“忘れられた村”テソンドンに日本のカメラが入るのは史上初。大変貴重な記録である。

そしてその“密室の村”で生まれ育った一人の少女が今故郷を捨て、外の世界へ飛び出そうとしている。彼女の名は金眠智(キムミンジ)。
密室から飛び出した18歳の少女は皮肉にも離れてみて初めて「38度線」を強く意識することとなる。民族を分断する38度線という壁を追って、DMZ・ソウルそして日本へと18歳の「発見」の旅が始まった…。

【番組内容】

「プロローグ 2006年春。ソウル」

春。新入学の季節。世界中どこの大学でも学生は不安と期待隠すかのように少しかしこまって自己紹介をする。韓国・ソウルの名門私立大学・高麗大学の学生ラウンジでもそんな光景が繰り広げられていた。
そしてお決まりの質問。「出身は? どこ」…ソウル、釜山、大邱、大田…韓国中の地名が次々と語られるうちに一人の女子学生が言った「私は・・テソンドン・・」
その場に居合わせた学生たちは誰もが首をかしげた。
「テソンドン?って」
「DMZ…非武装地帯の中にある村なの。知らないよね」
次の瞬間、学生たちの口から一斉の驚嘆の声が挙がった。
「DMZって38度線の?」
「嘘だろ。あんな所に人が住んでいるの?」

ソウルオリンピックの頃に生まれた彼らは、韓国では「新世代」と呼ばれている。朝鮮戦争はもとより、東西冷戦も北朝鮮の驚異も実感としては教科書の記述に過ぎない。国策として極端な対日・反共教育がなされた世代ではもはやない。祖国を分断している「38度線」は知っていても、それは映画の世界。そこに数奇な運命を背負った村があることなど知るはずもなかった。

第一章「38度線の密室」

取材班は高麗大学の女子学生・金眠智(キム・ミンジ)の案内で38度線に向かった。ソウルからバスで1時間半。そこからタクシーで20分ほど走ると、視界を遮るように鉄条網と金網の壁が現れた。ここが朝鮮戦争の結果、国連が設けたDMZ(非武装地帯)だ。ソウルの市街から意外と近い。
軍事境界線は韓国ではJSAと呼ばれるが、国際的には「38度線」という通称が最も馴染みが深い。
「壁」の途中にはゲートが設置されている。もちろん警備はソウルでは想像もつかないほど厳重だ。
「撮るな! 撮るなと言っているだろう! 身分証明書は!?」
カメラを構えるとすぐに韓国軍・警備隊の若い兵士が駆け寄り気色ばんで制止した。大成洞の住人であるミンジ以外、韓国市民であっても申請がなければ進入を禁止される軍事エリアだ。
30分後、身元と申請の確認が終わり、ようやくゲートが開く。我々は警備兵と共にDMZの内部に足を踏み入れた。

目に映る景色は韓国のどこにでもある田舎…鳥の声が聞こえるだけ。しかし世界のどこでも味わえないような緊張した空気が漂っている。北朝鮮までわずか100メートル。
しばらく歩くと警備兵が突然、指をさしていった。「あの池はもう北朝鮮です」
池の手前の新緑の草むらを見ると古びた小さな「標識」が立っていた。高さは50センチ程度。文字はかすれていたが肉眼でも読める。
「軍事境界線」…今から半世紀前にここに打ち込まれたものだ。標識まで数十メートル、その向こうはまさに北朝鮮。遮るものはなにもない。

若い兵士が軍人口調でこう言った。
「北朝鮮軍もパトロールしています。遭遇してしまった場合の撤退方法は…」

「軍事境界線」をあとに、車に戻り10分ほど走ると水田が、そしてまもなく「忘れられた村」が見えてきた。ミンジの故郷・テソンドンだ。

「大成洞」(テソンドン)はまさに朝鮮半島の「縮図」に他ならない。村は朝鮮戦争では最大の激戦地となった。そして休戦後は対北朝鮮の「宣伝村」として、村人には誰もが羨むような高収入を保証された。だが、その代償として支払ったものも大きかった。

北朝鮮兵士による村人の拉致。
密かに作られた地下トンネルを通じて侵入する特殊部隊による数々のテロ。
北の宣伝村からも流される、大音量で互いの優位性を連呼する「宣伝放送」。
いまだ多く残る地雷原と、夜間外出禁止などの厳しい生活規制。

取材で次々と明らかにされるテソンドンの隠された歴史。長老格の村人はこういった。
「ある時、北朝鮮の若者が境界線を越えて村に逃げ込んできた。まもなく北朝鮮の兵士たちが、若者を追って村に侵入、家探しを始めた。村にはその若者を匿うところもなく、やがて公民館に隠れていた青年は捕らえられ連行されていった。その途中…私はこの眼で見ていたんだが…北の兵士が「裏切り者」と叫びながら、ナイフで若者の腹や背中を何度も刺していたんだ」

生々しい証言の数々…しかし、衝撃を感じたのは我々だけではなかった。この村の出身者であるはずのミンジもまた強いショックを隠せないでいた。
彼女は、この村が負ったそんな「宿命」と、これまで向き合うことなく生きてきたのだ。

第二章「新・韓国人」

戦時下の韓国政府の「肝いり」で作られた“プロパガンダ村”大成洞も、時代の波と無縁ではなかった。以前は徹底した反共教育を行っていた小学校には、今やパソコンがずらりと並び、子供たちの多くはいまこの「宣伝村」を捨て、都会暮らしに憧れを抱いている。
「俺たちは先生に言われて何度も“金日成を殺せ”と合唱したもんだ」という30代の男性の話も、ミンジにとっては初めて聞く話だった。

実は、ミンジたちが入学した頃は小学校での「反共教育」は廃止されていたからだ。彼女は「94年危機」(北朝鮮の核開発疑惑を巡り米朝関係が急激に緊張した)の時にはまだ7歳。村人全員が戦争は避けられないと考え、真剣に脱出を考えたことも知らない。

皮肉にも彼女は、ソウルで一人暮らしをするようになって初めて、自分の故郷のこと、38度線のことを強く意識し考えるようになったという。

「大成洞は日本の出島のようになればいいのに」…とミンジは言う。「出島」とはもちろん長崎の出島。徳川幕府の鎖国政策の中で唯一、ポルトガルなどの外国人の滞在を許した島。実は、彼女は大学で現在「日本学」を学んでいる。そこで教授から習ったのが出島だった。
彼女の中には「二つの日本」がある。インターネットで知り、大ファンになった「キンキキッズ」に象徴される素敵な国。そして、歴史教育で教えられた「祖国を侵略しようとした憎むべき」隣国…。その狭間で揺れる姿はまさに「新・韓国人」そのものだ。

「韓国の教育は一方的なところがある。日本の歴史や文化を多角的に知って初めて日本を知ったことになる」出島を教えてくれた教授の言葉…。彼女は夏休みに日本を訪れることにした。ホームステイ先は東京の在日韓国人家庭。…そして彼女は、日本にあるもうひとつの「38度線」を知ることとなる。

第三章「もう一つの38度線」

「マイノリティーの我々は一刻も早く和解すべきなんだ!」
ミンジのホームステイ先となった方山氏(方=パン 列杰)は、そう主張する。
方山氏は母と妻、そして4人の娘と江東区枝川で焼肉店を営む。
「38度線」からやってきたミンジは、等身大の“在日”の生活を目の当たりにする。日本の朝鮮人が「朝鮮総連」と「韓国民団」に分裂してから半世紀。昨年、歴史的な和解が一旦は成立したが、テポドン騒動で蜜月はわずか2ヵ月で終わった。しかし、実際の彼らの生活は、実は時代とともに変化していた。

方山氏は釜山の出身、つまり韓国人。しかし四女は現在、総連系の「朝鮮学校」の3年生。…いまや朝鮮学校の生徒たちは「民団」も「総連」も混じっているのだ。その教室には「金日成・金正日」親子の写真はない。なぜ韓国人の彼女が朝鮮学校に通うのか? その大きな理由は「ハングルが喋れるようになるから」。日本人帰化を最優先にする韓国人学校では韓国語教育はあまりされないため、在日は学校を自由に選択する。これが現在の在日社会だ。

その朝鮮学校でミンジは「イムジン河」という歌を聞かされる。南北を分断するその河のほとりからやってきた彼女は、韓国では聞くことのないこの歌の美しいメロディとその歌詞に戸惑いの表情を見せる。

「北」と「南」が混じり合って共生しようとしている姿を目の当たりにした少女は、祖国より一足先に和解と共生の道を見出す在日同胞の姿に何を感じるのか? 東京で見た“もうひとつの38度線”に、朝鮮半島の未来図はあるのか?

■制作
情報制作センター
■プロデューサー
宗像 孝
西村 朗
■ディレクター
片山智義
■構成
高橋 修