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- 関野さんを旅に駆り立てる原動力は何ですか。
日本の自分の家は落ち着けていいんですが、何か物足りない。しばらくすると旅に出る。長旅になると日本に帰りたくなる。日本に帰ってほっとすると、また旅に出て行きたくなる。その繰り返しです。前回の「グレートジャーニー」の旅の前に、20年間で5000日、南米を旅しました。山岳民族の人たちなどと付き合ったりしたのですが、いろいろなところで日本はどんなところですかと聞かれました。そういえば、日本のことをあまり知らないなと思ったんです。もっと自分の足元を見つめて、日本人がどこから来たのか知りたくて、「新グレートジャーニー」を始めました。まあ、なんだかんだいって、旅に出たいのですが(笑)。未知の世界、全く違った自然環境、文化に自分をほうりこみ、自分が当たり前だと思っていたことがそうではないという状況に魅力を感じます。
旅をすることにより、自分や日本人がよりクリアーに見えてくる。それを意識して、日本人ってなんだろう、日本人ってどこから来たのだろう、そういう思いで旅をしました。
日本人ほどいろいろなところから来た人々はいません。「新グレートジャーニー」では、そのうちの三つの主要ルートを選んで旅をしますが、日本人がそこからしか来なかったわけではないのです。
日本人のように血液型がA 、B、 AB、 Oと4つもあるのは珍しいんです。アマゾンのある地域の人はO型しかいませんし、アメリカインディアンもほとんどがO型。日本人のように、血液型がこんなに全部そろっているのは珍しいんです。日本人がどこから来たのか答えは出ませんが、僕が言いたいのは、日本人はいろんなところから来て、混じり合ってきたということです。

"北極圏のトナカイ遊牧民とトナカイ"
(サハ共和国ベルホヤンスク山脈)
- 北方ルートを旅して最も苦労した点、印象に残っていることは何ですか。
野生の羊をとっている狩猟民が住むところに行った時です。そこは、世界の中で、人が住んでいる一番寒いところでした。一番寒い時でマイナス70度以下になるところで、私たちが訪れた11月はマイナス40度くらいでした。犬ぞりを引いたり、歩いたりするのもつらかったですが、野生の羊が来るのをじっと待っているのが一番つらかったです(笑)。

"カヤックで北海道を目指す" (ステージ 4)
そして、もうひとつ苦労したことは、手続き上の困難さでした。サハリンの一番南から宗谷海峡をカヤックで渡ったのですが、そこからは日本が見えるくらい軍事的に重要なところで、ソ連時代はソ連人も入れなかったところです。一番南からカヤックで出ることができなかったので、他の場所から出ました。その時は政治的困難さを感じました。
サハリンで印象的だったのは、残留した日本人や韓国人との出会いです。サハリンは40年近く日本の領土だったのですが、知識としては知っていたのですが、戦争のつめあとにじかに出会えたことです。
サハリンで自分が凍りついた経験は、日本人の墓を探していた時、なかなか見つからなくて、あそこだよ、と言われたところに碑があったのです。実はそれは朝鮮人の作った痛恨の碑でした。1945年8月15日以降もソ連がずっと攻めてきて、まだサハリンだけは戦争が終わっていなかったのですが、その時、日本人の軍隊が朝鮮人を集めて、17、18人虐殺したという事実を世界に知らしめたい、ということで立てられた碑だったのです。
自分は朝鮮の人々に憎まれて、ひどいことを言われるかと思ったのですが、出会う人々が皆ものすごく親切で、大歓迎してくれました。
つらい立場にいる人がいたるところで優しくしてくれました。優しさの源は自信があるからだと思います。物質的には貧しくても、生きていけるという自信、誇りだと思います。
サハリンに残留した日本人、朝鮮人の方々と交流したことにより、日本人がどこから来たのかを探しに行った太古の旅が、結局は現代史を後追いする旅となりました。
- ご家族は、関野さんの旅のことをどう思っていますか。
前回の「グレートジャーニー」から日本に帰ってすぐ、家族から渡航禁止令が出ました(笑)。妻から、もう旅は終わりでしょう?と言われたのですが、自分はそう言われると思っていなかったんです。
前回の「グレートジャーニー」でアフリカに入るまでに、「新グレートジャーニー」の旅のことが頭によぎっていました。ベーリング海峡からロシアに入った時、モスクワまで8000キロ、東京まで3000キロという標識を見ました。その時、アフリカまで何万キロもあるけど、日本は近いので、日本に寄っていこうかなと思いました。髙橋プロデューサーや「グレートジャーニー」応援団にその話をすると、とりあえずゴールしてからにしたらと言われました(笑)。アフリカから帰ってきて、毎日のように「(新グレートジャーニーに)行きたいな、行きたいな」と言い続けたら、家族はしょうがないな、とあきらめたようです(笑)。
家族にすまないという気持ちもありますが、旅への情熱はとまらないんです。家族にゴメンナサイといいながら旅をしています。

"北方ルートのゴール・北海道稚内港にカヤックで到着"
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この番組の企画、出演は関野さんです。関野さんが「グレートジャーニー」をやりたくて10年がかりでアフリカにゴールし、やっと家族といられる、と言った舌の根も乾かぬうちに(笑)、日本人はどこから来たのかということを知りたくて立てた企画です。ルートも関野さんが決めています。
関野さんはずっと旅を続けたい人なんだなと思います。フジテレビとしては「グレートジャーニー」が10年でやっと終わって、それが「新グレートジャーニー」の助走に過ぎなかったというのですから、驚きです(笑)。フジテレビは、関野さんが過酷な旅を自分から進んでやっているの を視聴者にわかりやすく見せるお手伝いをしています。
厳しい自然と共に生き、つらい状況で暮らしている人こそ、関野さんをとても優しく迎えてくれます。一番しんどい状況にいる人が一番優しいことに感動しました。たくさんの視聴者の方にこの番組を見ていただきたいです。