2018.02.26更新
2月25日放送の『スポーツLIFE HERO’S』は、フィギュアスケートの羽生結弦選手に密着。平昌オリンピックで2大会連続金メダルを獲得した、羽生選手の強さの秘密に迫りました。
ケガの状態が心配される中、素晴らしい演技でオリンピック2連覇を達成した羽生結弦選手は、幼いころからオリンピックにすべてをかけてきました。「多分、昔の自分だったら、(連覇は)『当然だろ』と言ってると思います。幼いころの自分、ホント厳しいんで」と、羽生選手は笑顔で当時を振り返ります。
「オリンピックで男子は優勝してないので、優勝したいです」と、羽生選手がスケートを始めたのは4歳のとき。男子では珍しいビールマンスピンを武器に、9歳で出場した2004年の全日本ノービス(Bクラス)で全国大会初優勝を果たします。少年時代の羽生選手を指導した都築章一郎コーチは、「本物を作りたいっていうのが私自身にもあって。かなり彼に期待しました。小さいころから、いろんなことをやったつもり」と、羽生少年に、無限の可能性を感じていたと語りました。周囲の期待通りの成長を見せた羽生選手は、13歳で迎えた2008年の全日本ジュニアで、町田樹(当時17歳)や村上大介(当時17歳)といった年上のライバルたちを抑え、見事初優勝。2010年にシニアデビューすると、全日本選手権では表彰台まであと一歩の4位に入ります。
順調に階段を登っていたその矢先、あの東日本大震災が起こります。羽生選手も地元仙台での練習中に被災。「本当に自分がスケートを続けていいのか。そう思ったこともありました」と悩み苦しんだものの、「自分にはスケートしかない」と奮い立ち、劣悪な状況の中で滑ることのできるリンクを探し、必死にスケートに打ち込みました。
そして3年後の2014年、羽生選手はソチオリンピックのひのき舞台に立っていました。ショートプログラムでは「伝説」と呼ばれる圧巻の演技で、史上初の100点超え(101.45)を達成。続くフリーでは、冒頭の4回転サルコウで転倒するなど、不本意な演技ながらもショートのリードを守りきり、金メダルを獲得。しかし、このときの悔しさを、忘れることはありませんでした。
羽生選手の進化はその後も止まりませんでした。2015年NHK杯のフリープログラム「SEIMEI」では、4回転サルコウ、4回転トゥループ、4回転-3回転のコンビネーションをすべて成功させ、世界初の300点台(ショート106.33+フリー216.07=322.40)を記録し、前人未到のスコアで優勝。新たな次元へと突入した羽生選手の存在は、フィギュア界に革新をもたらすことになりました。ほとんどの選手が4回転に挑戦、複数の4回転を跳ばなければ、勝てない時代がやってきたのです。この状況について羽生選手は「4回転を何本跳んでいけるか。そしてその質がどれだけ高いか。(浅田)真央ちゃんの『真』ですね。真実の方の『真・4回転時代』かなって、僕の中では思っています」と、実に彼らしい言い回しで表現します。
昨年の夏、カナダ、トロント。2度目のオリンピックを間近に控え、羽生選手は自らの歩む道を予期するかのように「(スケート人生)18年間のひとつ一つの結晶、1年単位じゃなくて、本当に1日とか1週間とか、そういう単位かもしれないんですけど、そのひとつ一つのカケラをつなぎ合わせて最終的に結晶として、羽生結弦っていうのはこういうものだよっていうのを作り上げるシーズンにしたいなと思っています」と、意気込みを語っていました。そしてショートではショパン「バラード第1番」(3度目)、フリーでは「SEIMEI」(2度目)と、これまでのベストアルバムで勝負することを決めました。ジャンプの種類も、前年に成功させた4回転ループに加え、4回転ルッツも新たな武器に。ところが、羽生選手のジャンプへの飽くなき探求心が、まさかのアクシデントを引き起こしてしまします。11月9日、NHK杯の公式練習中に4回転ルッツの練習で転倒し、右足首を負傷。オリンピックまで、あと3ヵ月。羽生選手は表舞台から姿を消しました。
そして迎えた平昌オリンピック。世界中が注目する中、ショートプログラムに登場した羽生選手は、すべての重圧をはねのけてみせます。「自分にとってはフリーのミスが、やはりここまで4年間頑張って強くなったひとつの要因だと思っているので、また明日に向けてリベンジしたいなという気持ちがとにかく強いです」と、その脳裏には4年前の出来事がよぎっていました。そして勝負のフリー。磨き抜いた4回転ジャンプはケガの影響で2種類に抑えますが、質の高いジャンプを披露、今できる最高の演技を見せました。そして演技終了後、羽生選手は右足首を優しく撫でたのです。66年ぶりのオリンピック連覇、真・4回転時代にケガを乗り越えてつかんだ金メダルは、4年前とはまったく違うものだったといいます。「4年分体重が重くなったような感じですかね。考えている深みとか、そういったものもだいぶ変わったのかなと思っているので、そういった意味での重みもちょっと感じています」。羽生選手の18年の結晶、スケート人生を詰め込んだ金メダルは、光り輝いていました。
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