…八つ墓村…
■今回の事件■

YATSUHAKA'S HISTORY
1566年、世は戦乱の時代。その村には、まだ名前すらなかった。今では有名になった、その恐ろしげな名の由来は、この年にまで遡る。
雲州(今の島根県)、月山冨田城の城主・尼子義久が、毛利元就に降伏した際、その果てに辿り着いたのが、その名もない村であった。
最初、若武者たちは村人から歓迎され、すっかり心を許していた。
ところが、三千両の黄金の存在に気がついた村人たちは、豹変した。
落武者たちの不意をつき、山刀や竹槍を武器に襲撃したのだ。
その殺されようは凄惨極まりなく、無念の若い大将は七生までこの村を祟ってみせる!」と叫び、絶命したほどであったと言う。
事実、村人は肝心の三千両をついに発見できず、その捜索中には不審な事故死が相次いだ。
しかも落武者襲撃の首謀者・田治見庄左衛門が突如発狂し、家人ら四人を惨殺した。その犠牲者の数、あわせて八人。
「たたり」を恐れた村人は、落武者たちの霊を鎮めるために、野ざらしだった遺体を埋葬し、八つの墓を建て明神と崇め奉った。
その後、村は、こう呼ばれた。八つ墓村と…

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