なでしこ隊
- はじめに -

ここに、一枚の写真がある。
1945年4月12日 知覧─。
陸軍特別攻撃隊、いわゆる「特攻隊」の出撃直前の様子を捉えた写真だ。
手前で桜の枝を振り、特攻機を見送る少女たち。少女たちの名は、「なでしこ隊」。
知覧高等女学校の女学生だった彼女らは、特攻隊の奉仕を命じられ、当時、極秘特命任務ゆえ隔離されていた特攻隊員たちの死への旅立ちを最も近くで見送り続けた。

特攻……250キロの爆弾と共に、敵艦めがけて我が身もろとも突っ込む。
それは、追い詰められた大本営が決行した究極の作戦。
薩摩半島の山の中にあるこの小さな町・知覧は、第二次世界大戦末期、特攻作戦を実施する秘密基地と化した。

「なでしこ隊」のリーダー役だった、永崎笙子(旧姓・前田)さんは、当時を振り返りこう証言する。
「極秘任務と言われていた特攻隊員のみなさんは、家族にすらその最期を知らせることが出来なかった。でも、基地での出来事は家族にも話してはならないと言われたんです」と。

戦後何十年が過ぎようとも封印され続けた、特攻隊の最期の瞬間。

家族や恋人にも知らせることが出来ず最期を迎えなければならなかった特攻隊員たち。
多くが二十歳前後という若さで、「人間爆弾」としてその生涯を自ら閉じなければならなかった彼等の心中は色々な思いが交錯した。

「なでしこ隊」の少女たちは、その真実の姿を見届けた。
わずか15歳の少女が直視した特攻隊員たちの「死への旅立ち」の瞬間。
そこには、家族、そして恋人への尽きぬ愛があった。
絶たねばならぬ未来への夢があった。
ただ隊員を見送ることしかできない…そんな無力感に苦しむ笙子を、母親代わりとして、支えたのが、鳥濱トメさんだった。
軍の指定食堂を営んでいたトメは、特攻隊員たちを息子のように可愛がった。
隊員たちもまた、そんなトメを慕い他の誰にも言えない思いを、トメだけには話したという。

当時の新聞は、こう書いた。
「特攻隊員たちは、みんな笑顔で出撃していった」と─。
しかし、少女たちが目撃したのは、出撃にとまどい苦しむ特攻隊員たちの、壮絶なる葛藤の日々だった。「なでしこ隊」の生存者であり、鳥濱トメさんとも親交の深かった永崎笙子さんの証言と、当時の貴重な日記を元にドラマ化。
ドキュメンタリーを織り交ぜながら、少女たちだけが見た封印され続けた特攻隊の真実に迫る。

フジテレビ報道番組部・成田一樹プロデューサーから
永崎笙子(旧姓・前田)さんから

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