短期集中連載
児玉清のひとり言
-きよしあをによし-

最終回「『鹿男あをによし』によせて」

みなさん、こんにちは。早いもので、『鹿男あをによし』も残すところあと1話となりましたね。いったいどんな結末を迎えるのか、みなさんも想像を膨らませて楽しまれていることと思います。ひとつ言えるのは、万城目学さんの原作のエッセンスである神秘性と、ドラマならではのリアリティーが融合した、オリジナルな結末になっているということです。僕が演じるリチャードが依然、人間の欲望を持ち続けるところなんかは、ずい分とコミカルに描かれているはずですし、笑えて、泣けて、感動もある、そんな結末になっているんじゃないかと思っています。

それにしても思うのは、スタッフはこの映像にしがたい原作をよくぞ映像化したなってことです。技術的な難しさはさることながら、この作品は原作からしてエンターテインメントでありながら、インテレクチュアル(理知的)な要素が多いでしょう。鹿、狐、鼠が"神の使い"として現れるなんて、連続ドラマではあまりないことですよね。卑弥呼や邪馬台国という考古学、大なまずが地震を起こすという神話が出てくるというのも、面白いけれど、大変奥が深くて難しい面もある。実際、ドラマが始まった当初は、僕の周囲でも「難しい」なんて声もありましたから。だけど、いつしかそれが「見てますよ」「面白い」なんて変わっていったんです。

1800年の昔から受け継がれてきた儀式や信仰といえば、あまりに遠すぎて、ともすれば【ただの歴史】になってしまう。それが歴史ではなく、【現在につながっているもの】と私たちが信じられるように描くことが肝心なんですね。これほど科学が進歩した現代でも、神秘に包まれ解明されていないことはたくさんあって、そこに人は惹きつけられたり、敬虔な気持ちを持ったりするものですが、そんなところを押さえつつ、リアルな現代劇としても成立させているのが凄いと思うんです。表現するのが難しい幽玄的なニュアンスを、なんともいえない美しい映像で描いているのも見事ですよね。そんなことを今さら僕が言っても、笑われちゃうだけかもしれませんが。

しかし、この作品はこのチームでなければできなかったのではないかと思っています。スタッフもキャストもみんなが、稀有な作品に参加していると感じていたからこそ、激務のなか不平不満を言うこともなく動いていたのでしょう。以前にもお話しましたが、僕自身も、作品に参加できる高揚感を持ちながら、なんとか期待に応えたいと知恵を絞りました。ドラマはまもなく終わりですが、僕の記憶にもずっと残る作品になりそうです。

みなさんにもぜひ、最終回までお付き合いいただき、その後は、また最初から見直していただくなんてことをしてほしい。ただ見るだけではなく、想像力を巡らせることで何倍も楽しめる作品だと思いますから。この連載にも最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう。

もどる
0.鹿男あをによし TOP

(C)フジテレビジョン