平成教育委員会

なつかし写真館 社会

ある偉人が住んでいた地域の写真です。

ある偉人が育った地域なのですが、その偉人は誰だかわかりますか?

このあたりに住んでいた頃の偉人の写真です。

ここで問題!写真の地域で育った偉人はだれでしょう?

正解:北野武

上の写真の現在は、右側の学校が立派な校舎になっています。
下の写真の現在の様子は…染物屋さんがスーパーになりました。

先生が住んでいたあたりは、今ではこうなっています。

東京の西南に位置し、東口には大歓楽街、
西口には東京都庁など超高層ビルが林立する街、『新宿』。
この高層ビル群、いつ頃からあったのでしょう?

時間を巻き戻して見ます。
都庁が完成したのは1991年。

1980年代の新宿はこんな街並みです。

いよいよ1970年代、超高層ビルはまばらになりました。

最初の超高層ビル・京王プラザホテルが完成したのは、1971年。

そして1969年、およそ50年前の新宿は、こんな景色でした。

空からも見てみましょう。
今、紹介した高層ビル群は赤い丸の中にあります。

それ以前の新宿には、その超高層ビル群がすっぽり入ってしまう広大なある施設がありました。

この施設は、とても重要な施設でした。
そのため、1965年になくなったにもかかわらず、当時使われたものが記念に展示されています。

広さは、東京ドーム8個分もある大きな施設でした。

これが浄水場。旧地名から淀橋と名付けられたこの浄水場は、1898年以来、都民に水道の水を供給してきました。

正門があった場所には、浄水場跡を示す石碑が置かれています。

ビルの谷間には、当時使われた排水バルブが展示されています。

この浄水場は1965年に廃止され、跡地は副都心として再開発されていきました。

1971年に完成した京王プラザホテルは、当時日本一高いビル。
47階建て、高さ178メートルありました。

それから、都庁など次々とビルが建ち、現在のような超高層ビル群が出来上がったのです。

以前、浄水場だったことから、新宿の超高層ビル街には大きな特徴があります。

超高層ビルは、浄水場の貯水池の水を抜いて底に建設されました。

そのため、建物の1階は低くなり、この地域は高低差のある、立体的な街となりました。

池の深さが7メートルほどでしたから、ちょうど上の道路までの高さになります。

新宿の南に位置する「渋谷」。
ハロウィンなどイベントがあるたびに、ニュースでその賑わいぶりが話題になる、若者の街。

渋谷の駅前といえば、忠犬ハチ公像。

改札口から出てくる主人を待つ、けなげな姿のはず…なのですが、以前は大通りの方を向いていました。

ファッションの街、渋谷のランドマーク109。
完成したのは1979年のこと。

それ以前に、通りの角にあったのが『三丸』という洋品店でした。
今もここに店を構えるMISTUMARUは、109の原点とも言える店なのです。

ハチ公が眺めていた駅前の交差点。
今ではスクランブル交差点となっていますが、1962年はこんな景色。

さらに10年以上前はこんな街並み。

まだ人気が今ほどでなかった頃、東横百貨店では1951年に、客寄せのため、屋上にある施設を設置しました。
それは・・・ロープウェー。

東口と西口のビルの屋上、75m間を運行する、子ども限定の乗り物でした。
西口では降りられず、行って帰ってくるだけ。
それでも子どもたちは空中散歩を満喫したといいます。

しかし、西口のビルが増築されることになったため、わずか1年半で姿を消しました。

渋谷だけではありません。かつて多くのデパートには、屋上遊園地が作られ、娯楽のない時代、デパートの屋上は子どもたちの楽園でした。

そんなデパートのお楽しみから、問題。
そのデパートは、日本橋三越本店。
日本最初のデパートとも言われる老舗中の老舗です。

ここでは屋上遊園地を設けず、様々なイベントを開催していました。

しかし、遊具メーカーからは、「屋上遊園地がないのは、百貨店でなくて九十九貨店」と非難されました。

そこで、60年前1957年に1ヵ月限定である施設をオープン。
大評判となり、その声を封じ込めました。

それは、今では信じられない施設でした。

千葉県浦安市の東京ディズニーランドが開園したのが1983年、その25年以上前のことです。

その名も、「子どもの夢の国楽しいディズニーランド」。
アメリカの正式な許可を得た、正真正銘のディズニーランドでした。

目的は、この2年前にオープンしたアメリカのディズニーランドの紹介のためだったそうです。

明治神宮の南に広がる「代々木公園」。
原宿からほど近く、道路を隔てた目の前には、NHK放送センター、そして代々木競技場がある都民の憩いの場です。

現在公園になっている所をさかのぼってみると、洋風の家がずらり並んでいました。

しかも、通りを外国人が闊歩していました。

実はここ、この年開催された東京オリンピックの選手村。5000人を超える選手たちの宿舎だったのです。

それを記念して、宿舎が一軒、代々木公園の中に保存されています。
宿舎の中では最も小さいタイプで、オランダ人選手が利用していたものです。

ここで問題。
国立代々木競技場はオリンピックのために建設されたもの。しかし選手村は、新しく造ったのではなく、以前からあった建物をほぼそのまま利用したものでした。
つまり、ここはオリンピック以前は誰かの住居だったのです。

オリンピック以前、1948年の写真を見てみると、アメリカ軍人の住居は広範囲に渡り、その数およそ800戸ありました。

この区域は『ワシントンハイツ』と呼ばれ、日本人は立ち入り禁止でした。
東京の真ん中にアメリカがあったのです。
しかし、1961年選手村に利用するということで、日米が合意に達し、ワシントンハイツは日本に返還されました。

真ん中を走る道路を境に、北側は選手村に南側は代々木競技場、そしてNHKに姿を変えました。

オリンピック終了後、選手村は解体され、代々木公園となり、昨年開園50周年を迎えました。

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