2008.1.22
<2008年2月15日(金)21時〜22時52分放送>
昨年(2007年)2月6日、東武東上線ときわ台駅の踏切で、ひとりの警察官が、踏切自殺を図った女性を救うために線路に飛び込み亡くなった。
他人の命を助けるために自らの命を犠牲にした痛ましい事故は、その警察官が事故から6日間もの間、死と戦い続けたこともあり、事故直後のショッキングな映像とともに、繰り返し報道された。
警察官の名は、宮本邦彦警部(事故当時・巡査部長)。享年53。宮本警部は、ホーム下の避難スペースに女性を押し込み、自らはスペースの外に残されたまま、電車にはねられた。
フジテレビでは宮本警部の命日(2月12日)に近い2月15日(金)の金曜プレステージ・千の風になってドラマスペシャル『死ぬんじゃない!〜実録ドラマ・宮本警部が遺したもの〜』<21時〜22時52分>で放送する。番組では宮本警部の半生を知る人々にあらためて取材、検証するとともに、事故後、撮影された映像によるドキュメンタリー部分と取材をもとにしたドラマをあわせて構成する。
宮本警部の勇気ある行動をドラマ化するフジテレビ情報企画部の大野高義プロデューサーは「宮本さん亡き後、『(踏切に飛び込むという行動を)宮本さんならやりかねない』という方が数多くいらっしゃいました。また、都会の駅前交番の“おまわりさん”が地元の方々にちゃんと名前を知られている。自分の家の近くの交番に、どんな人が勤めているかなんて、今や知らない人が多いのではないでしょうか? これが“宮本さんってどんな人だったんだろう?”と思うきっかけでした。なぜ、そこまで、みんなに慕われていたのか? なぜ、『あの人なら危険を顧みず飛び込むだろう』と言われるのか? そして、なぜ飛び込んだのか? その答えを探しながら取材を積み重ね、できる限り事実に忠実にドラマ化しました。私たちが感じた3つの“なぜ”。その答えには、今の時代が忘れかけている何かがありました。それが番組を通して皆さんに伝わればと思っています。また、取材を通してお付き合いさせていただいた宮本さんのご一家にも、今の時代に失いつつある“家族”の温かさがありました。このような最期を遂げることになった夫を、父を、誇りに思える奥様、息子さんの思いも伝えることができればと思っています」と企画意図を話す。
殉職した宮本警部を演じるのはドラマやバラエティで幅広く活躍する三宅裕司。三宅はフジテレビのドラマ初主演、ドキュメンタリードラマ初挑戦で、難しい役に体当たりする。宮本警部を演じることについて、三宅は「台本を読んで本当にこんなお巡りさんがいるのかと信じられないくらい正義感が強くて、誠実で真面目な方だなと思いました。作家が少しオーバーに描いているのかとも思ったのですが、ご近所の方など宮本さんをよく知る方の話を聞くと、全然オーバーじゃないほどすばらしい方だとわかりました。宮本さんのような警官がいたことを視聴者の皆さんに伝えたいと思います。宮本さんはもともとは運動神経があまりよくなく、努力や精神力で克服して、警察の道に入りました。奥様の話では、下りのエスカレーターにもうまく乗れないほど不器用だったそうです。警察の不祥事が続く中、人を助けることに迷いのない、想像を絶するほどの正義感のある真っ当な警察官だったので、そこをどうリアリティーを持って演じられるかが悩みです」と意気込みを話す。
大野プロデューサーは三宅裕司を宮本警部役に起用した理由について「実録というモデルがいる配役なので、宮本警部とは、どんな人なのか? を考えたときに真っ先に浮かんだのが三宅さんでした。真面目で一生懸命で、でもちょっとぬけているようなところがあって、ご一緒に、板橋の町を歩き、お墓参りにも行きましたが、実直な宮本さんを三宅さんらしく実直に演じていただけるものと思っています」と話している。
また、宮本警部の未亡人、宮本礼子を演じる伊藤蘭は「宮本さんの殉職は私にとってもすごく印象深いニュースでした。事件が起きて一年も経たない中でのドラマ化ですので、大切な人を失ったご遺族の悲しみはこれからも続くと思いますので、それを心に留めながら演じています。ドラマでは宮本さんの人柄が過去に溯って描かれていますが、人が好きで、人の役に立ちたいという思いで、お仕事を全うされた方だったんだなと感じました。周りの人たちにも愛されていたと思います。私が奥様の礼子さんを演じることで、宮本さんが生きた証しを残せればいいなと思います。宮本さんの真摯な生き方、人の命を助けたいという思いをドラマを通して伝えたいと思います」と話す。
共演は宮本警部の人柄をよく知る西田巡査(当時)を東幹久、交番前のうなぎ屋店主の河原弘を竜雷太が演じる。
1月10日からクランクインし、1月末まで収録が続く予定。宮本警部が勤務していた町田警察署南大谷駐在所、板橋警察署常盤台交番などがドラマのロケに使用される。また、宮本警部の回復を祈って、千羽鶴を折った常盤台小学校の生徒たち(3クラス)もエキストラ出演する。
昭和51年、北海道の大学を卒業後、警視庁に採用される。
警察学校時代は誰からも慕われたが、不器用で敬礼もうまくできなかった。
剣道も決してうまくなかったが、一人黙々と素振りを続け、入段試験は同期を追い越して合格した。
そして、卒業アルバムには「誠実 誠心 誠意 宮本邦彦」と記した。
彼の愚直な性格の原点は、当時の同僚たちのエピソードからもうかがうことができる。
警察官を目指す若者たちの大半は、刑事にあこがれを抱く。
しかし、彼は「駐在になる」ことが、警察学校当時からの夢だった。
人とのつながりを大切にしたい…彼の想いは、ここにも表れている。
希望の駐在所勤務となり、地域の人たちに慕われた。
町の若者たちが、自分から「宮本さん」と声をかける。
それでも、叱るときには厳しく叱る、現代に忘れられた姿がそこにはある。
町田市の駐在所勤務時代に、長男が誕生。
「駐在さん」の父の背中を見て育った息子は、現在20歳。
「大きくなったら警察官になりたい」と話していた。
決して、厳しくはなかった父。
しかし、地域の人々のために働く姿は、子供には大きな背中に映っていた。
平成10年、15年間勤めた町田市の駐在所を異動となるが、
その後の各警察署でも、地域課勤務が続く。
平成17年、最後の勤務地となった「常盤台交番」に配属される。
事故現場となった踏切近くで、朝、夕、子供たちの安全を見届けた。
駅近くの商店街の人たちからも「頼れるおまわりさん」と慕われた。
自転車の鍵を失くして困っていれば、自ら錠をはずした。
学校の行き帰りには、必ず声をかけてくれた。
数限りないエピソード…
この交番での「宮本さん」の仕事ぶりが、どれほどのものだったかは、
交番の中には収まりきらないほどの千羽鶴が届けられたことが証明している。
都会の駅前…今、これだけ多くの町の人々に名前まで覚えられている「おまわりさん」は、
どれほどいるのだろう。
「あの人なら…」。町の人々は、そう語る。
そして、「あの人こそ…」生きていて欲しかった、とも。
午後7時すぎ。踏切に入り込み、自殺しようとする女性。
一旦は、交番に連れ戻したが、彼女は再び飛び出した。
遮断機の前に立ちはだかった宮本警部は、こう叫んだ。
「どんなに私のことを悪くいってもいい。やめてくれ」
しかし、彼女は飛び込んだ。
後を追い、ホーム下の避難スペースに彼女を押し込んだ時、
下り線が宮本警部をはねた。
その日、昼過ぎに出勤した宮本警部。
宮本一家にとって、普段どおりの一日のはずだった。
妻は、夫は泊まり勤務のため)息子の帰りを待ちながら、入浴を終えたところだった。
息子は、友人と居酒屋にいた。
何も変わらない日々を過ごしていた、二人に届いた突然の知らせ。
呆然、憔悴…着の身着のままで駆けつけた二人に、祈りの日々が続く。
発生直後、あの痛ましい現場で同僚たちによって助け出された宮本警部は、
意識不明のまま、2月12日、死亡した。
その間、交番には折り鶴、手紙、花…回復を願う町の人々の祈りは絶えることがなった。
宮本警部が交番勤務の時に、道を尋ねた男がいた。
その男は、実は刑務所を出たばかり…それでも宮本警部は優しく励ましてくれた。
しかし、その男は、また罪を犯し、事故の日、宮本警部の所属する板橋警察署の留置所にいた。
事故を知った男は、再犯の自責の念と宮本警部への想いを手紙にしたためた。
2月14日、15日に営まれた通夜、告別式には1200人もの人々が参列。
その中には町田市の駐在所時代、宮本警部に「町を守ってもらった」人々の顔もあった。
そして、妻は「夫を誇りに思う」と語った。
2008年1月22日発行「パブペパNo.08-013」 フジテレビ広報部
※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。