FNSドキュメンタリー大賞

FNSドキュメンタリー大賞

2017.9.28更新

被災しても、過酷な環境でも、力強く生きる

第26回FNSドキュメンタリー大賞 ノミネート作品
私は私を全うする~佐々木ばあちゃんの熊本地震~

10月4日(水)26時50分~27時45分

2016年4月14日、熊本地震で震度7を観測した熊本県の益城町。発生の2時間後、激震地に入ったカメラは、倒壊した家屋から脱出した佐々木君代さん(84)の声を拾います。「私が死ぬばよかった」。その後、町の避難所に身を寄せたものの、地震から約1カ月で佐々木さんは全壊した自宅にテントを建てて暮らし始め、「必ず、この地で家を再建する」と誓います。一人暮らしの女性が我が家を再建するまでの姿をつづります。

2016年4月14日午後9時26分、熊本地震の前震により震度7を観測した熊本県の益城町。発生の2時間後、激震地に入ったカメラは町の中心部・木山地区に入ります。折り重なる倒壊家屋。町内各所で下敷きとなった住民の救出作業が続けられる中、カメラマンは倒壊した家屋から脱出した高齢女性の声を拾いました。「どういう状況ですか?」、「わかりません」そう答えた声の主は、近所の人に貸してもらったレインコートに身を包んだ佐々木君代さん(当時83)。

21年前に夫を亡くし一人暮らしの佐々木さんは、自宅の一部を借家にしていました。当時、その借家の中に30代の女性が生き埋めとなり、佐々木さんは救出作業をぼう然と見守っていました。佐々木さんは周囲の人に「私が死ぬばよかった」と漏らしました。前震から28時間後、自宅はさらに崩れ、佐々木さんは町の避難所に身を寄せました。

しかし、地震から約1カ月後、佐々木さんは体育館の避難所を出てしまいます。「避難所で感じる孤独に耐えきれなかった」と言います。「これからは自分の力量で生きて見せる」と、全壊した自宅前の駐車場に廃材などを使ったテントを建てて暮らし始めたのです。猛暑が近付く中、佐々木さんは自分に言い聞かせるように誓いました。「必ず、この地で家を再建する。私は、私を全うする」と。その後、ボランティア団体が用意したトレーラーハウスでの生活を経て、地震から4カ月後にようやく仮設団地へと入居したものの、集会所での交流会などには参加せず、仮設にこもる日々が続きました。それでも「必ず、家を再建して戻る」という希望だけは失いませんでした。

熊本地震発生から1年。避難所、テント、トレーラーハウス、仮設住宅から我が家を再建する決断、一人で生きていくことへの不安。その一言一言にたくましさや生きることへの執念。生きることをあきらめない。生きた証をこの地に残したい。ちょっと頑固で、寂しがり屋の84歳。佐々木ばあちゃんの歩みを記録しました。

コメント

ディレクター・熊本竜太(テレビ熊本報道部)

「“廃材とかで作ったテントで暮らしているおばあちゃんがいる”。地震後、連日のように益城町を取材で歩いていた私が、他の記者からそんな話を耳にしたのは、地震から1カ月後のことでした。テントの中にいたのは、地震直後、救出現場でぼう然と立ち尽くしていた佐々木さんでした。にらみつけるような視線。人をよせつけないオーラ。自宅のすぐそばに避難所があるのになぜ?益城町に取材に行く度にテントをのぞきに行き、旦那さんとの思い出話など少しずつ話をしてくれるようになりました。口癖は“熊本君、子供はたくさん作っときなさい”。
熊本地震から1年が経ち、被災地にはようやく槌音が響きはじめています。そんな中、更地の中にぽつんと立った小さな平屋が、佐々木さんの家です。復興の歩幅はそれぞれ違い、もちろん、再建をあきらめた被災者もたくさんいます。復興の先頭を走る人、最後尾の人を取材する中で出会った、ちょっと頑固でたくましいおばあちゃんの物語です」

番組情報

タイトル
第26回FNSドキュメンタリー大賞 ノミネート作品
『私は私を全うする~佐々木ばあちゃんの熊本地震~』(制作:テレビ熊本)
放送日時
10月4日(水)26時50分~27時45分
スタッフ
プロデューサー
古閑康弘
構成・
ディレクター
熊本竜太
編集
可児浩二
撮影
古江智宏
語り
安住麻里
MA
森仁(U2)

※掲載情報は発行時のものです。放送日時や出演者等変更になる場合がありますので当日の番組表でご確認ください。