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EXILE NAOTO×ルーヴルNo.9

テレビスポット

バンド・デシネ作家の特色首都大学東京准教授 古永真一 

エンキ・ビラル

名画に浮かび上がる亡霊の顔。まるで心霊写真ならぬ心霊絵画である。ルーヴルには亡霊が息づいているとエンキ・ビラルは言う。亡霊が集まってくる心霊スポットとしてのルーヴル美術館……。たしかにルーヴルには墓地のような霊妙な気配がたちこめている。ビラルによれば、誰もいない美術館で撮った無数の写真のなかから、いくつか選び、彩度を落としてカンバスに焼きつけて、アクリル絵の具とパステルで描いたという。著名な亡霊もいれば無名の亡霊もいるが、名画に割り込むという不遜な振る舞いに反発を覚える美術愛好家もいるかもしれない。そんな雑音などものともせず、ビラルはブルーを基調にした独特の色彩感覚で次々に名画を自分色に染め上げていく。憂鬱や怨嗟などのさまざまな情念を亡霊の顔に塗り込むやいなや、今度は渇いた筆致でその人物の挿話を物語る。読み終わった読者は、そのときこの絵が単なる心霊絵画ではなかったと気付くだろう。

ニコラ・ド・クレシー

ニコラ・ド・クレシーの確かな画力に裏打ちされた繊細な線が繰り広げる世界に遊ぶ読者は、そのユーモラスで可愛らしいキャラクターに魅惑されるだけでなく、斜めから世界を見つめる作者のユーモア精神にも感心させられるはずだ。SF的な舞台を設定した『氷河期』では、虚心坦懐に「絵画」を見ることは果たして可能なのか、もし可能だとしたらどんな風に見えるのか、と問いかける。氷河期となった未来のパリを調査する考古学調査隊が巨大な建築物に入っていくと、そこで無数の絵が発見される。なぜこんなにたくさんの絵が存在するのか。なぜそもそも絵は壁にかけられているのか。なぜ裸の女性の絵が多いのか。おそらくここは「快楽の館」だった場所なのだろう。そんな頓珍漢な推理にクスリとしながらも、読者はいつのまにか民族誌的な視線で、ルーヴルというヨーロッパ芸術の牙城を相対化して眺めていることに気付くのだ。

マルク=アントワーヌ・マチュー

『レヴォリュ美術館の地下』では、主人公は助手とともに美術館の地下に広がる巨大な保管庫を探索する。舞台裏を覗く楽しみがあるのは確かだが、マチューの作品では単に読者の好奇心を満たすのでなく、哲学的な夢想へと誘うような趣がある。額縁の保管庫では、「額がなければ絵はただの絵です」といった何気ない台詞が印象的に使われている。額縁によって絵は芸術作品になり、額を極限まで単純化すると枠線となり、枠線で囲われたコマを組み合わせればマンガへと変貌する。マチューの手にかかると、単なる地下倉庫の調査が「表現とは何か」「表現する人間とは何か」という謎を探究する旅となる。マチューは来館者がふだん目にすることのない暗闇の現実に着目する。フロイトやソシュールが言語から接近しうる無意識の世界に着目したように、作中でマチューが多用するアナグラムは、無意識という闇を手探りで進むために必要な呪文なのだろう。

エリック・リベルジュ

耳の不自由なバスチャンが、奇数時間だけルーヴルの夜間警備を担当しているというフュ・ジ・ハと知り合う。この不思議な人物はただの警備員ではなく、日中は人目にさらされて疲れた作品の魂を慰めるという不思議な任務も担っている。彼もまた耳が不自由なのだが、それはまるでこの任務に必要な特殊能力であるかのようだ。何かの合図のように銅鑼や太鼓を叩くやいなや、作品が魂を解放し始めるのだが、その幻想的な描写が圧巻である。フルカラーが多いというBDの特性に知悉したリベルジュの実力がいかんなく発揮された見せ場となっている。耳の不自由な主人公の話ということもあって、物語のほとんどは手話で進行するが、それだけに彼が太鼓を叩く絵画の招魂の場面には心打たれる。静寂が破られて異次元の事態が出来するとき、日頃忙しく絵を見てまわることにかまけて、作品との対話を忘れていたことに気づかされるからであろう。

クリスティアン・ドゥリユー

ポール・エリュアールの詩の一節とともに『魔法』の冒頭に掲げられた以下の文章は、まさにこの作品の魅力を言い当てている。「ではこれから本当の夜とはどういうものであるか語るとしよう。魅惑にみちた、自由な夜。これ限りの夜。これ限りの女性。そう、そうなのだ、これは夜の教えである。」(フィリップ・ソレルス『ルーヴルの騎手—ルーヴル美術館を創った男ヴィヴァン・ドゥノンの生涯』(菅野昭正訳、集英社)
老いた政治家が自分の引退パーティを抜け出すと、両手で目を隠したまま絵の前に座っている不思議な女性を目撃する。彼はひょんなことから彼女との夜の美術館デートを楽しむことになる。自由奔放な彼女に振り回されるうちに、靴もネクタイも脱ぎ捨てた彼は、彼女から絵画の見方を教わるだけでなく、何か見失っていたものを取り戻してゆく。最後に二人は、愛の聖地を目指す恋人のごとく、ヴァトーの絵画「シテール島の巡礼」の中へと消えていく。作者があとがきでヴァトーを礼賛しながら述べているように、『魔法』はBDによる詩美の探求であり、読者自身も絵の中に雲散霧消する悦楽を味わえるはずだ。