タイトルにある「Stitch(ステッチ)」とは、「針を運ぶこと」という意味です。この言葉から、あなたは何を思い浮かべますか?
多くの人が想像するのは、手芸やニードルアート、もしくは伝統的な刺繍工芸や民族衣装を彩る刺繍などでしょう。本展で展示される作品は、ともすればそうした共通理解を裏切るものかもしれません。
ここで紹介する作家たちは、時間や記憶を定着させたり、自己の内面をえぐりだしたり、油絵やドローイングとは異なる描線を得たりするために、針と糸を表現の媒体としています。「Stitch」は、作家が自身を表現するために一針ごとに行う決断の集積です。そしてそれは、誰にも身近な素材によって作られているからこそ、感触や制作に費やされた時間の長さなどを身体感覚として理解でき、表現に対する新鮮な驚きや、見ることの喜びをもたらします。
本展の舞台となるのは、個人の邸宅として建てられた庭園美術館。異なる表情を持つ展示室に、それぞれの作家が独自の作品世界を織り出すインスタレーションにもご期待ください。
《作家たち》
同じく針と糸を使いながら、全く異なるテーマ、全く異なる表現を追い求める8組の作家たち。
秋山さやか Sayaka AKIYAMA/1971年兵庫県生まれ。
神奈川県を基点に世界各地で滞在制作を行う。
地図をプリントした布や紙に歩いた跡を糸で辿り、その縫い目の動きや糸の色、ところどころに縫いとめられたもの(ボタンや店の包装紙など)が、作家の行動と感情の動きを伝える。その地図の場所に数日から数ヶ月滞在し、そこで調達した材料を使って制作を行う。本展でも美術館の近くに滞在し新作を作るほか、インスタレーションを展開。
伊藤存 Zon ITO/1971年大阪府生まれ。京都府在住。
一見すると抽象表現のようでいて、山や森などの自然風景や人体や動物などが見え隠れする。地と図が渾然一体となり見る者の認識をゆるがせる描線は、ドローイングの質感や味わいを否定し、線をシンプルに実体化させた「糸」を使っているからこそ生まれるもの。言葉遊びのように様々なイメージの間を軽やかにすり抜けるその表現が、いつしか快感になる。
奥村綱雄 Tsunao OKUMURA/1962年三重県生まれ。東京都在住。
こけしを模写したペインティングなどを描き続ける一方で、切れかかった蛍光灯や酢昆布など日常的なものを使ったコンセプチュアルな個展を開く。本展では、ガードマンとして働く夜勤の時間ひたすら刺し続け、手垢がしみこみ変色した刺繍作品とその道具一式、ガードマンの制服を展示した伝説の個展「夜警の刺繍」を再現する。
清川あさみ Asami KIYOKAWA/1979年兵庫県生まれ。東京都在住。
衣装・空間・映像デザイン、広告のアートディレクションなどを手がけ、女優やタレントを動植物に見立てた作品集『美女採集』や絵本『幸せな王子』『人魚姫』などでも知られる清川は、現代美術の作家として初めて本展に参加する。少女を撮影した写真に、刺繍によってコンプレックスを顕在化させた《Complex》シリーズを初公開するほか、インスタレーションも展開。
竹村京 Kei TAKEMURA/1975年東京都生まれ。ベルリン在住。
写真やドローイングに、刺繍をした透ける布を重ねた平面作品と、割れたガラスや陶磁器を布で包んで縫う「修復された」シリーズ、そして透ける紙で作ったお面をつけて友人や身近な人の日常を演じるパフォーマンスを制作の柱としている。既に存在しないものや薄らいでいく記憶を白い絹糸で定着させるという方法は、刺繍の要する時間や身体の運動によって、より強いものになっていく。
手塚愛子 Aiko TEZUKA/1976年東京都生まれ。京都府在住。
織物から糸を引き抜いて解体し、その糸でまた織物を再構成する作品など、布や糸を使った作品制作に取り組む。キャンバスの表面に何かを載せることで成立してしまう「絵画」というものへの批判的試みとして、糸が交錯する刺繍の裏側をあえて見せて刺繍の構造を明示する作品を制作している。イメージと素材を同時に提示する手塚の作品が、庭園美術館の「大広間」を包み込む。
ヌイ・プロジェクト nui project/
10年ほど前にはじまった、鹿児島県にある知的障害者施設「しょうぶ学園」の刺繍工房の活動。クラフト製品ではなくアートとして個人の創作活動を尊重し、20人余りの縫い手それぞれが個性的な作品を生み出している。
本展では、 大島智美[おおしまともみ]のビーズ刺繍による棺桶カバーや、吉本篤史[よしもとあつし]による繊細なオーガンジーの刺繍作品などを展示する。色彩や形態へのこだわりから生み出される作品に、作り手の時間が積み重ねられていく。
村山留里子 Ruriko MURAYAMA/1968年秋田県生まれ。秋田県在住。
色とりどりに染めた布の小さな断片をモザイク状に縫いつなげて作る布の作品で知られる。2002年からビーズやフェイクパール、造花やリボンなどを埋めつくし重ねて作るオブジェ「奇麗の塊」シリーズの制作をはじめる。作家の手によって過剰なまでに積み重ねられた「塊」は、奇麗を通りこしたグロテスクさや呪術性を感じさせる。
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