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アートと科学って、対極にあるテーマでしょ。
でもあえて「アートを科学の目で分析するとどうなるのか?」ということに挑戦!
奇想天外な発想でアートにググッとせまる、世界初(たぶん)の試みです。
アートも科学も好きになるFuji-tv ART NET入魂のコラム
vol.4
「1000年の謎は解明されるのか?燿変天目の再生」
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東京美術「すぐわかる名品茶碗の見かた」より
稀代の名品「天目茶碗」
「天目茶碗」をご存じでしょうか。中国の宋の時代(西暦960〜1279年)に、おもに福建省、浙江省といった中国南部の窯で焼かれた黒釉の茶碗を指します。「天目」とは茶碗の形状ではなく、その窯の形から名付けられたものです。これらの茶碗はとても釉が厚く、しかも焼成の途中で釉に含まれた鉄分が分離して釉の表面に浮き上がるため、まったく予想のつかない文様が浮かび上がります。これがいわゆる「窯変」です。
そのなかでも茶碗全面に小さな油の滴が浮いたような「油滴天目(ゆてきてんもく)」や、油滴が流れて線状になった「禾目天目(のぎめてんもく)」は、ある程度コントロールすることができます。が、多くの窯変はまったく偶発的な原因によるもので、そのなかには人の意志では作り出せない美しさを持つものが稀に見られます。その代表が「燿変天目(ようへんてんもく)」です。
燿変天目は、茶碗の見込み(内面中央部の茶筅摺りよりも下の部分)に不規則な斑紋が多数浮かび、その周囲を虹のような光臨が取り巻くという紋様で、これは古今東西の陶磁器のなかでもっとも美しいものと評されています。しかしそんな品は滅多にありません。伝世品はわずかに5個、ないし6個。これらの多くは個人コレクターの秘蔵品となっているために、その正確な数は明らかではありません。しかし一説には燿変天目はすべて日本にあるといわれ、なかでも3品は国宝に指定されています。
不思議なことに中国本土にはひとつも残されておらず、この茶碗が焼かれた福建や浙江の窯跡に残された大量の陶片にも、燿変天目の破片は見つかっていません。はたしてこの茶碗はどうやって生まれたのか? 燿変天目を作る技術というのはあったのか? なにもかもが謎に包まれていました。

燿変天目に科学の目が向けられた
これだけの名品ですから、多くの陶芸家が燿変天目を再現しようとしました。なかでも最初に燿変天目の焼成メカニズムを解明したのは、安藤堅という作家です。奈良県の生駒に窯をかまえる安藤は、1974年に初めて燿変天目の写真を目にします。そしてこれが1000年近くも再現できずにいる幻の茶碗であると知ると、自分の手で再現しようと決心します。その時安藤は48才。それまで勤めていた会社もやめ、専業の陶芸家に転向したという経歴を持っています。彼は化学系のメーカーにいたという経歴をフルに活かし、天目釉の徹底的な化学分析を始めました。まずは焼成中の1000℃にものぼる電熱窯のなかで、釉薬の変化をリアルタイムに観察できる仕掛けを作りました。遠隔操作の拡大鏡と強力な照明、そして釉薬に含まれる微量の成分を均等に行き渡らせるためのスプレー・ガン。これらを駆使してテストにつぐテストを繰り返し、燿変天目の謎のベールを少しずつはがしていったのです。
安藤の実験以前に、燿変天目についての重要な仮説が唱えられていました。陶芸研究家小山冨士夫と無機化学者山崎一雄が1953年に発表した論文「燿変天目の研究」には、次のように述べられています。「燿変天目の斑紋は、釉薬が高温で融解するとき二層に分離し、成分の比重の小さい層が表面に浮かび上がってあぶく状に固まることによって形成される」。
そして「その周囲の光彩はごく薄い透明釉の層内で光が干渉して生じるもので、実際にそのような色素ができるわけではない」と。

科学から国宝が生まれる日
安藤が実験によって確認したのも、基本的にはこの仮説と同じ内容でした。天目釉は解ける際に現れる微量の成分があぶくのように釉の表面に浮かび上がり、そのまま固まって斑紋となります。そしてその光彩はわずか数ナノメートル(100万分の1ミリ)の釉薬の層のなかで、光が干渉して生じるものらしいこと。これを科学用語で言うと「釉薬が融解する段階で非晶性の基盤(マトリックス相)と、粒子状の結晶相に分離する」分相という現象を、あえておこさせるように調合した釉薬(結晶釉)を使って、その分相が理想的な形で起こったときにのみ生じるのが燿変天目、ということになります。もちろんこれには釉薬の成分の比率はもちろん、焼成温度や冷却のしかたなど、無数の要素がかかわってきます。これをすべて再現することは、現在でも不可能といっていいでしょう。
安藤は1977年に、いちおう斑紋の周囲に光彩を放つ、燿変天目の条件を満たした作品を完成させました。でもそれは美術的にはとてもホンモノの燿変天目にはおよばないものでした。その後も数点、燿変天目に近い作品を作りましたが、あまりに過酷な焼成中の窯の観察がたたって、安藤は心臓発作をおこします。これを期に実作からは遠のくことになってしまいます。
ところが、1989年にデビューして、1998年から燿変天目の再現に取り組み始めた作家がいます。岐阜県土岐市の陶芸家、林恭助です。林は釉薬の研究だけでなく、胎土(陶器の土)そのものにもオリジナルを求めました。そこで燿変天目を生んだ窯のあった福建省の建陽市から直接陶土を輸入し、これを用いて焼成を試みたのです。
その結果、ついに国宝の燿変天目3点のなかでも筆頭といわれている「稲葉天目」とほぼ同じパターンの斑紋と光彩を持つ作品を作り上げました。2002年にはそのうち10点が公開され、大きな話題を呼びました。彼の研究によって陶土もまた燿変を生む重要な要素であると考えられるようになりました。またそこにはまだ解明されていない微量成分が含まれている可能性も生まれました。林の研究データはいまも十分公開されているとはいえないのですが、これが明らかになると燿変天目の長年の謎が解明されるかも知れません。そして伝世品と変わらない、燿変天目の新作が購入できるようになるかも知れません。いまはその、再現の前夜といっていいのではないでしょうか。

編集長はココに納得?
茶道をやった人は、だれでも知っている名品中の名品「耀変天目」茶碗。これを新品で買えるようになったら、茶道界の大事件ですよ!
大量に作られるようになったら耀変天目コーヒーカップなんてのも出来たりして。なんて考えると謎は謎のまま残しておいた方が良いような・・・。
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