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 「Typical Japanese-English」 2005
TAIYO KIMURA |
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 洗濯物の中に映像が。 |
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 気がつけば作品の一部に。変だぞ自分。 |
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会場の一番奥は、壁一面に、鼻。それもみんな、微妙に動いている。
「作品をつくることで、自分がどういう場所にいるのか、現実ってどういうふうになっているのか、探りたいんです。そうすると自分の身体を通してしか探れない。自分がどういう場所に生きているのかって探ろうとすると、おのずと自分の身体のパーツがどういうふうに出来ているのか、というところに行ってしまうんです」。
ぽつりと置かれた洗濯カゴの中にはモニターが隠れていて、映像が流れている。映像も変だけど、実は洗濯物に顔を突っ込んで、その映像を観ている観客の姿は、もっと変でおかしい。ハサミの作品と同じだ。私たち観ている者が、作品に取り込まれている感じ。人もオブジェ。
しかし木村さんは、他人の行動を観察しているわけではない。他人のことはあんまり見えない、と言う。自分がどう感じているか、自分で自分を観察しているのだ、と。
「作品をつくるって、そういう訓練」。
自分がいる場所や自分自身を、突き放してみる。距離を置いて見つめる。その過程で、作品は生まれる。
「自分がどういう場所にいて、何をしているか、ということが理解できないと、人って、病気になったり死んじゃったりするんじゃないかと思うんです。だから、突き放してみることは必要ですね」。
まず、自分がいる。自分に没入する。自分にしか見えないものがあるから。自分の身体だから感じられるものがあるから。だからこそ、そんな自分を遠くからも、見つめてみる。自分自身を、その存在する世界を、知るために。
その「行ったり来たり」する感じが、その間で遊んでいる感じが、いい。
木村さんは静かに笑って言った。
余談。
木村さんにはお兄さまがいて、お名前は木村太郎さん、であります。ほんっとに余談。
すみません!
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