フジテレビでは、2006年のCSR推進室発足以来、多様なCSR活動を行ってきましたが、2011年3月11日の東日本大震災発生後は、これまでの経験をもとにフジ・メディア・ホールディングズ各社、系列各局と協力し、それぞれの本業を生かした被災地支援活動を開始しました。
メディア企業として情報を正確かつ迅速に伝えることはもちろん、一企業、一市民としてどんな支援ができるのかを考え行動しました。
この報告書は、2011年3月11日から2012年3月31日までの約1年間に行ったフジテレビのCSR活動の記録です。
フジテレビは、今後もグループ各社、系列各局と協働してニーズに合わせた長期的支援活動を行っていく予定です。
CSR推進会議プロジェクトチームの活動
東日本大震災発生直後に、被災した子どもたちを支援する「こどもおうえんプロジェクト」を立ち上げ、おもちゃや絵本・文房具などを届ける支援活動を実施。
フジテレビ社内やフジ・メディア・ホールディングス各社、FNS系列各局などから集まった品々を被災地や避難先に直接届けた。6月以降は、被災地のニーズに合わせて子ども達の心のケアに重点を置き『ハロー!どっこくん。』「ちびまる子ちゃん上映会」など各種イベントを実施し継続的な支援を行っている。
以上、福島テレビ・仙台放送・岩手めんこいテレビ、3局アナウンサーのべ17名、フジテレビアナウンサーのべ36名、CSR推進メンバーのべ17名ご協力のもと被災3県・53ヶ所にて各種イベントを行ってきました。(2011年6月~2012年3月)
番組による取り組み
報道番組における東日本大震災への取り組み
東日本大震災は、死者・行方不明者が1万9千人を超える甚大な被害をもたらした。地震・津波・原発の「複合災害」という日本が初めて経験するものであった。地震発生から1年が経過したが、仮設住宅などで避難生活を送る人はいまだに34万人以上に及び、就労など生活再建のめどが立たない被災者はさらに多い。フジテレビ報道局は地震発生直後からFNN28局の総力を結集して震災報道を多面的に展開。これからも被災者に寄り添った報道を継続することに力を注いでいる。これは、震災被害の風化を防ぐとともに、これからさらに日本で起こり得る災害へ警鐘を鳴らすことが報道機関の使命であると考えているためである。
『不安をあおらず、正しい情報を整理して伝える』
『被災した人々の気持ちに寄り添う報道』
『全国ニュースと地域ニュースの両立』
『原子力災害の現状と問題点を整理して伝える』
『批判よりも提言に重点を置く報道』
フジテレビ報道局は元来、次の考え方で災害報道の準備を行っている。
(1)「災害を未然に防ぐ警告報道に努める」災害を極力小さな被害に食い止めるため。
(2)「災害発生は直ちに映像で報道する」被災地域に客観情報を伝えるため及び全国の世論と機関に客観情報を基に災害対処方法を考えるよう促すため。
(3)「安全情報・危険情報は優先順位を考慮し記事編集して速報する」人命と財産の保全の急務を達成するため
フジテレビ報道局は震災発生からおよそ3分後の2011年3月11日午後2時49分に通常番組にカットインする形で報道特別番組を開始した。特別番組はCMなしで61時間、CM付きでは82時間に及ぶもので、フジテレビ史上最長を記録した。ここでは東北での津波の来襲を生中継で伝えたほか、FNNの東北の3局からの中継リポート、東京における大量の帰宅困難者の現状、余震が発生した際の視聴者への冷静な行動呼びかけなどを行った。また福島第一原発について、原子炉水位の低下と周辺住民への避難指示に始まる一連の動きを逐次伝え続けた。
(1)大津波警報・津波警報・津波注意報を速報したほか、画面に地図を表示し続けて避難を促した。
(2)生中継の映像などで津波の襲来を報道、当該地域や全国の沿岸からの避難を促した。
(3)生中継映像などを駆使したほか、FNN各局からの情報を集約し、被害の実態を伝えて、いち早い被災者の救出を促した。
(4)行方不明者数、犠牲者数、ライフライン情報を断続的に調査して報道した。
(5)FNSのテレビ放送が見られない環境にある方のために、BSフジ・CS放送・フジテレビホームページ、民間動画サイトで地上波テレビのサイマル放送を実施。
(6)震災関連ニュースを広く到達させるために、報道局で運営している携帯電話向け有料サイト「フジニュースネット」(非スマートフォン向け)で3月25日から5月2日まで「社会」ジャンルにおいて通常有料部分の記事本文と動画を無料で閲覧できるようにした。
大震災発生後4日目以降も総力取材を続け長時間報道を行った。
特に4日目は、FNN報道特別番組と情報番組で全放送時間震災報道に徹した。5日目から8日目までもFNN報道番組が1日8時間以上、情報番組と合わせると、15時間以上の震災報道を行った。
(1)余震や誘発地震と見られる地震を断続的に報道。
(2)未だ人命救助の手が及んでないところを取材で発見し報道。
(3)犠牲者・行方不明者の情報を断続的に報道。
(4)被災者の避難に関する情報を断続的に報道。
(5)被災地、被災周辺地域のライフライン状況を断続的に報道。
(6)徐々に明るみになってきた福島第一原発事故を速く、幅広く報道。技術的な内容が報道内容の核になるので有識者の解説を展開した。
(7)津波襲来の甚大さについて初期調査し報道。
フジテレビは震災発生と同時に岩手・宮城・福島の3県に中継車、ENGクルー、被災した3局へのデスク応援を行ったほか、取材にはフジテレビだけでなくFNN系列28局が一丸となり全力で取材にあたった。さらに各国に駐在するFNNの特派員も急きょ帰国して応援ローテーションに入ったほか、特別放送の送り出しのために系列局からフジテレビ本社への内勤応援体制も組まれた。
応援総数(のべ人数概算)
岩手県約400人、宮城県350人、福島県750人。総数で約1,500人。
発生から1週間は実質的に放送枠を拡大「全国からのFAXやメールを紹介」「ボランティアのやりかたの解説」なども紹介した。その後もデイリーのニュースで被災地の日々の動きを幅広く取り上げ続けたほか、ストレートニュースだけでなく被災各局やフジテレビをはじめとするFNN取材団が取材した企画を放送した。
さらに6月1日からは「復興第二章」シリーズを断続的に26回放送、南部鶏・チョウザメなどの名産品で復興に賭ける人々や、海外から炊き出しに駆け付けた有名シェフに密着するなどした。一連の取材は被災地各局からだけでなく、フジテレビから境・島田の両キャスターも複数回にわたって現地に赴き、取材を継続した。震災から1年と迎える2012年3月からは「3.11を超えて」を9回放送した。
震災発生後~4月1日までは2時間すべてを全国ネットで放送した。震災発生1か月のタイミングでは安藤キャスターが福島県相馬市から中継報告を実施。「スーパーリポート」「スーパー特報」では被災者を継続取材したほか、大火災が発生した気仙沼市の火災原因を検証するなどした。
また「文化芸能部」では発生直後から芸能界で広がった炊き出しや歌謡ショーなど「支援の輪」を紹介し被災者を元気づける姿を伝えた。
「スーパー特報」では「南気仙沼小学校の春」シリーズを4回にわたって放送、JIB-TV放送向けの英語ナレーションバージョンが「コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル」で"Honorable Mention"を受賞したほか、「アジア・テレビ賞(Asian Television Awards)」にもノミネートされた。
震災1年を控えた2012年3月9日には安藤優子キャスターが仙台市若林区の被災エリアから中継を実施した。
「米で高まる原発不信」「被災地医療の最前線」「節電列島はいま」など独自の切り口で震災とその後の被災者の姿を追い続けた。震災発生1か月のタイミングでは秋元キャスターが南三陸町に展開していたイスラエル軍の国際医療支援に密着したほか、仙台市から中継を実施した。11回にわたった「きらめきJAPAN 復興の息吹」では、震災に負けない前向きな姿を取り上げて、被災地への応援歌とした。「福島最前線からの報告」は2月までに7回を数え、福島第一原発事故の余波と「見えない放射能」を相手に格闘する人々を取り上げた。7月には来日中だったIAEA(国際原子力機関)の天野事務局長に単独インタビュー、原発事故への日本政府の対応の問題点などを質した。
地震発生直後に野島卓キャスターが宮城県石巻市を取材、街の様子や被災した漁師などの実態を放送した。さらに首都圏に避難してきた人たちの抱える問題や、行きわたらない義援金などについても取り上げたほか、週末に被災地で行われた様々なイベントなどを「きょうの被災地」として、まとめて放送した。9月には野島卓キャスターが再び石巻市に入り、地震から半年後の漁師の様子やインフラが戻らないために再開できない水産業の状況などを取材した。石本沙織キャスターは10月に岩手県山田町を取材、津波のため、経営していた病院を失った医師の3人兄弟を取材することで被災地での医療の問題を取り上げた。
震災発生直後の3月20日には福山官房副長官や福島県の佐藤知事をゲストに招いて原発事故の検証を試みるなど、震災発生後のほとんどすべての放送で震災関連項目を取り上げた。ゲストには政府から官房長官や原発担当相・復興担当相らが出演。さらに岩手・宮城・福島3県の知事も出演して、現地の現状や要望を伝えた。政府が12月に「冷温停止状態宣言」をした後には平野復興担当相、細野環境相・原発事故担当相らが出演、復興への取り組みを聞いた。
【主なテーマと出演ゲスト】※肩書は当時のもの。
震災発生から1か月後にあたる当日の被災地を中継で結び、人々の祈りと現状を伝えた。スピークの境・島田キャスターの現地報告や、がれき撤去や今後の街づくりなどの問題点も検討し放送した。
立ち入りができない福島第一原発20キロの警戒区域圏内の現状を伝える映像を特集したほか、事故から25年以上を経ても放射線の影響に苦しむチェルノブイリの現状を放送した。
「こんな時だからこそ見たい、知りたい復興へのヒント」として、復興に立ち上がろうとする東北からの生中継を実施、復興への応援歌とし放送した。
地震発生とともにはじまった自衛隊の活動は多くが記録を担当する隊員らによって写真やビデオに収められており、それらの映像を元に隊員へのインタビューや再現映像をまじえて自衛隊史上最大となった今回の震災派遣の全貌を明らかにした。
地震発生から1年目、3月11日14時46分の瞬間を含む4時間生放送。安藤優子キャスターが、福島県の警戒区域を北から南まで縦断取材したほか、高島彩キャスターが、津波被害から立ち上がる宮城県の人々を取材。木村太郎キャスターは、岩手県・三陸鉄道が当日、初めて試運転を開始した区間から、移動生中継で伝えた。
「提言する報道」を掲げて、震災発生直後の3月14日から各界の多彩なゲストを呼んで討論。「政治の役割、経済への影響、エネルギー問題」など多くの切り口で討論と提言を行った。
3月13日未明から受付が始まったフジネットワーク募金による東日本大震災支援プロジェクトの募金について、災害特別番組や通常の放送内で断続的に告知を行ったほか、寄せられた15億円もの義援金を日本赤十字社へ贈ったことを放送した。
「がれきの開拓者たち」(BSフジ)(2011/12/31放送)
被災地で長期取材、復興へ向けて前進する人々の姿をとらえた。
報道局の今後の取り組み
フジテレビ報道局はテレビ放送の公共性に鑑みて、今後も東日本大震災にかかわる事象を多角的に取材、多様な形態の番組で報道を継続する。
震災発生から1年以上となって社会の関心が薄れることがないよう、関連の報道を続けることが報道機関の責務と考える。そのためには復旧・復興という表面上の動きを伝えるだけでなく、被災者の感情に配慮した取材を継続、被災者の気持ちを理解し寄り添うことが必要であると考える。また、報道を続けることで全国の人々が震災と被災者の現状についての理解を風化させないことに寄与する。
被災地は仮設住宅への入居が完了するなど復旧から復興へと向かっているが、雇用や生活再建の問題などが山積している。そのための政治・行政の動きが迅速か、公平であるか、幅広く伝えることが必要と考える。政府が「冷温停止状態」を宣言した福島第一原発についても、いまだに帰還ができない人々が多く存在することを報道する。
地震災害が多発する日本の現状を踏まえて、想定し得る災害の情報は無用に不安をあおることなく視聴者に伝える。このために、災害で生き延びるための方策など警告報道も行い、災害による被害を抑えることをめざす。
テレビ報道における災害報道は早さと正確さが担保される必要があり、そのための取材・放送設備の拡充を図る。このためには取材ヘリコプターの安全確保、取材と放送のための機器の拡充などが必要である。また記者、ディレクター、アナウンサーのスキルアップのために災害発生時を想定した訓練を繰り返す。
情報番組における東日本大震災への取り組み
情報制作局では発生直後より震災に関わるテーマを最重要課題と捉え生放送の情報番組及びドキュメンタリー番組の特性を生かし全力で取り組んだ。今回の未曾有の災害を記録し多角的に検証することがテレビメディアに課された社会的使命であり、今後同様の自然災害が発生した際に被害を最小限に食い止める為にメディアとして何ができるのかを念頭に置きながら取材し放送にあたってきた。
被災地の被害状況、被災者の生活、原発事故の最新情報を迅速且つ正確に伝えると共に各種被害の検証・分析なども早い時期から行なった。また今回の震災が我々の生活にどのような影響を与えたのか、とりわけ原発事故の発生を受け視聴者が放射線に関する情報を正しく理解する為に必要な知識を客観的且つ
冷静に伝えた。
大震災発生後3日目から多角的な分析・検証的な緊急特番を4番組放送。
(1)「東日本大震災緊急特番第1部・検証なぜ被害は拡大したか」
(2011/3/13 19:00~)
(2)「東日本大震災緊急特番第2部・検証なぜ被害は拡大したか」
(2011/3/13 22:00~)
(3)「東日本大震災緊急特番」(2011/3/15 19:00~)
(4)「地震から10日・・・今できること」(2011/3/20 22:00~)
フジテレビホームページを媒介とするインターネットによる情報提供が出来るシステムを作り、テレビではなく、インターネットで伝えることを主とする取材を始めた。「安否を伝える」メッセージや、「被災地から伝えたいメッセージ」を取材しそのまま掲示板として誰でも見られるようにフジテレビホームページ上で公開。また各情報番組でもその一部を放送することで、その機能の周知することに努めた。
伝言板メッセージは3月21日取材分から映像の公開をはじめ、6月21日まで3か月間行った。
[ 公開した映像ファイルは1,457点、画面に登場した人物は5,000人以上 ]
「めざましテレビ」では震災直後から「被災地に元気になってもらいたい」という願いから「めざましエイド」という一連の企画を展開。被災地のために、「めざましテレビ」が出来るすべての可能性を実現するために様々なプロジェクトを継続的に行っている。
とくダネ!では震災発生を受け「テレビは何を伝えるべきか?」「情報番組は"誰に向け""何"を放送すべきか…」自問自答を繰り返しながら取材を続け年間を通じて多くの時間を割いて伝えてきた。
約130人いる常駐スタッフのうち80人が直接被災地に足を運び取材を行い、東北出身であるメインキャスター小倉智昭が節目ごとに被災地に入り中継。地元出身者ならではの感性で被災地の"いま"を伝え、5月には原発近くの福島県南相馬市の実態をどこよりも早く伝えた。阪神淡路大震災の取材経験もある笠井キャスターが直後から現地取材。壮絶な現場を彼にしか出来ない手法で伝え続け2011年11月にはそれらをまとめたノンフィクション本「僕はしゃべるためにここ(被災地)に来た。」を上梓。印税は全て被災地へ寄付した。
そのほか、各ディレクターやキャスターが取材を通して知り合った被災者に継続的な取材を行い以下のような特番や企画という形で送り出している。
「知りたがり!」はニュース解説という番組の特性を生かして、東日本大震災で大きな被害・影響をもたらした原発事故・放射能汚染・放射線防御には特に力を入れて取り組んだ。放射性物質や原発などは、これまで一般国民には馴染みがない事柄だった為「難しい用語」を「分かりやすい言葉」に置き換えながら噛み砕き「分かりにくい仕組み」などを簡略な図などに置き換えるなどして分かりやすく、見やすく、詳しく伝えることを意図に臨んだ。
「Mr.サンデー」は東日本大震災の発生当初から、17名いる番組ディレクターのほとんどが現地に入り、被災地でいま起きている現実や、そこに生きる被災者が抱えた胸中など、東北3県の状況を1年を通じ徹底的に取材してきた。
また原発事故による放射線量の実態も、「なぜ放射能が拡散したのか?」「今何を危険だと考えながら暮らしていけばいいのか?」など視聴者の喫緊の不安に対し、徹底的な検証取材を行ってきた。こうした取材を積み重ねた結果、番組としては1年を通じ多くの検証シリーズを放送。
シリーズ「市民映像ドキュメント」が7回、シリーズ「放射能を知る」が8回と長期的な検証取材として結実した。意識したのは、これだけの未曽有の災害・事故を前にして、視聴者がその時一番知りたい情報にどれだけストレートに向き合えるのかという点を常に意識。「独自検証」や「独自測定」という手法を武器に、自分たちの足で汗をかきながら丁寧に現実と向き合った。
テレビをはじめメディアの現状や未来を掘り下げていく「新・週刊フジテレビ批評」では東日本大震災以降、テレビ放送が始まって以来の未曾有の大災害を、「メディアはどのように伝えたのか…」という視点でレギュラーコーナーである"critique TALK"に各ジャンルの有識者を招いて意見を伺い検証した。
ドキュメンタリー番組における東日本大震災の取り組み
放送開始から17年を迎える『ザ・ノンフィクション』震災直後このザ・ノンフィクションのプロデューサー・ディレクター陣により緊急プロジェクトが結成され、震災で最も多くの人々が亡くなった石巻市で懸命に生きる3組の家族を取材。通常、半年から1年かけて一つの作品を作り上げる彼らが、チーム一丸となり総力をあげて取材を行い、震災1か月後にこの番組を世に送り出した。
震災後、当時まだ世に公開されていなかった映像や被災者の方々の証言を、時間をかけ丁寧に取材。その結果、震災の知られざる全容を伝えたこの番組は、当時日本でも大反響を呼び、世界中の優れた放送番組に贈られ映像界のピューリッツァー賞とも称される「ジョージ・フォスター・ピーボディー賞」を受賞。受賞によって、日本以外の方々にも被災の現実を知っていただき、「忘れない」思いを共有できる機会が増えることは大変意義のあることであり、今後も日本の復興の過程をしっかりと記録に残し後世に伝えていくことがテレビに与えられた社会的使命だと考えている。被災された方々の一日も早い復興を祈りながら、今後も「わ・す・れ・な・い」シリーズを継続的に放送していく。
未曾有の災害で15,000余の方々が亡くなり、放送時点で3,000人もの行方不明者がいた。失った命の一つ一つには、必ず語り継ぐべきことがある。思い、教訓、運命・・・私たちに、今、出来ることは、その無念を心に刻み、その魂に祈りを捧げ、語り継ぐべき「失われた命のメッセージ」に耳を傾ける・・・こと。
今回の「わ・す・れ・な・い」では、東日本大震災の新たな映像を改めて発掘することに加え、自らの命を守り抜いた人々や、尊い家族や仲間を失った方々の証言を出来る限り集め、さらに被害の実情を克明に検証し、「命の記録」を辿ることであの日"生死を分けた境"はどこにあったのか、私たちはその時どうすれば良いのか、を提示した。
東日本大震災以降、放射能という見えない脅威におびやかされている福島県・葛尾村で、決断を迫られる繁殖牛農家と酪農家を取材した。また、原発から何km離れているといった同心円的には測りきれない放射能汚染のメカニズムを日本原子力研究開発機構によるシミュレーションを基にひも解いた。
番組600回記念企画として2週間にわたって放送した。
東日本大震災が起こる1年前から、福島県浪江町の山里に住む一人暮らしの老人と一匹の老犬の生活を、山里に広がる四季折々の豊かな日本の原風景と共に記録し続けた。全てを奪われたあとに、残るものは何か?その答えを一人の老人の生き方から表現した。
バラエティ番組における東日本大震災の取り組み
東日本大震災の被災地の復興を願って27組のアーティストが生放送で熱唱。アーティストの出演料は全てFNSチャリティキャンペーン事務局を窓口として義援金とした。
「SMAP×SMAP震災特番」で集まった寄付金をフジネットワーク募金を通じて、日本赤十字社の東日本大震災義援金として寄付した。その後もSMAPメンバーの総意で、義援金の告知を放送内で実施継続中。
「東北笑顔プロジェクト」と銘打ち、地震によって被災した東北3県に対し笑顔になれるイベントを番組内で実施。
岩手、宮城、福島の東北3県に住む嵐ファンクラブ会員を収録に招待(交通費は番組負担)。収録終了後には、メンバーとの握手会を開催し、記念品も贈呈。
番組のテーマは"再起"「FNS27時間テレビ」で出張ビストロを開催した岩手県釜石商工高校のグランドで明石家さんま、木村拓哉が被災した市内の小学6年生と野球対決。(2012/1/1放送)
レギュラーメンバーが、私物を東北3県の被災地の人々にプレゼントする企画。2週連続で放送され、前編はプレゼント集め、後編は2時間の生放送で当選者に生電話、プレゼントを送った。
アナウンス室の震災特番への取り組み
CMなしで61時間ノンストップで特別番組を放送し、全番組にアナウンサーが携わった。(CM有だと82時間)その後も常にカットインができる態勢をつくり、現在も継続している。
ドラマ番組における東日本大震災への取り組み
クランクイン直前に震災が起き、当初のキャッチフレーズ「Are you Happy?」を変更、被災地へのメッセージを込めた「You are not alone.」へ。その旗印のもと、主演の香取慎吾さんがSMAPとして復興支援キャンペーンを大々的に実施。SMAPが歌う主題歌『not alone』とも連動した。
これは現在もSMAPが継続している被災地への募金運動のテーマソングになっている。
キッズ・ティーン・F2を中心に家族で楽しめる夏の風物詩としてのドラマ作りをするうえで、視聴者の"怖いもの見たさ"を健康的に満たし「前向きに頑張ろう」と思ってもらえる構成を目指した。その中でも「震災を想起させないもの」を意識し制作した。
震災を受け「とにかく明るいドラマを作りたい」と企画に取り組んだ。
内面で感じるというよりもよりわかりやすく外に外に向け、頭ではなく身体で解決する作品を目指した。日本人が身近な人々と力を合わせて復興に向け難局を乗り切ろうとする姿に、力ない人々が前向きに難問を乗り切るドラマになるよう努めた。
スポーツ番組における東日本大震災への取り組み
東日本大地震では様々な人々の人生が変わり、地震・津波・放射能・次々と押し寄せる災禍に我々は翻弄されました。スポーツ界にも、この震災で今までとは違う人生を歩むことを余儀なくされ、新たな生き方を「選択」した人々がいた。
「モンゴル人横綱白鵬」
「福島県相馬高校男子バレー部の生徒たちと家族」
「プロバスケットボール bjリーグ 仙台89ers」
番組では3人のアスリート(チーム)の三者三様の「選択」を見つめながら、その生き様と真意を追いかけた。それぞれのアスリートたちは自分たちに出来ることを必死に探し、来る限りを尽くし戦った。「もしあなたが当事者だったら、どうしたと思うか?」常に前を向く彼らの人生の岐路での「選択」とその「真意」を描くことにより、アスリートと視聴者の心の「共鳴」を目指した。
「すぽると!」では「3.11東日本大震災から1年」と題し、キャスター陣が自ら取材、2012年3月6日~3月11日まで連日帯企画を放送した。復興支援を行う2大スポーツのトップ・プロ野球コミッショナーとJリーグチェアマンの初めての同時対談を実現。
また「福島原町高校野球部の1年後」「川崎フロンターレ被災児童援助」「福島競馬復興への取り組み」「バスケ仙台89ersの復活ストーリー」Jリーグ・共に被災したチーム同士の開幕戦「ベガルタ仙台対鹿島アントラーズ」など、プロ・アマ問わずスポーツ各界の復興支援活動を「すぽると!」ならではの企画切り口で特集し、震災復興を放送を通じて支援を行った。
CS放送における震災関連番組
被災地の少年野球チームの様子を取材し放送したところ、番組に対して野球用具の提供の申し出が全国から寄せられた。そこで、リトルリーグ東北連盟の事務局を務める仙台放送とも連携し、津波で貴重な用具を失った多くのチームに全国から集まった支援品を届けることができた。
兄弟ピアノデュオ「レ・フレール」の密着ドキュメント、被災地を訪れ全てを失った子供たちに楽器と音楽をプレゼントする姿を紹介。
震災後開催されたイベントをチャリティアコーステティックライブとして開催。そこで、ファンから募集した子供達への絵本とおもちゃが大量に会場に届けられた。番組ではその絵本とおもちゃを被災地に届ける模様に密着。
TUBEの呼びかけによって、神奈川県にゆかりあるアーティストたちが復興支援チャリティライブを行った。
出演者:加山雄三、キマグレン、TUBE、つるの剛士、RIPSLYMEなど
その他全般的な取り組み
「東日本大震災」の発生直後、12日深夜からスタートしたフジネットワーク募金の東日本大震災支援プロジェクト「募金」呼びかけについて、24時間放送を続けた。
災害特別番組などの報道番組で断続的に告知を行った。
3月11日当日、15時43分から、報道特番に緊急の生字幕対応。翌日以降も、報道特番や拡大したニュース部分に生字幕放送を実施した。
震災後、震災の影響でテレビ放送が見られない環境にある方や、帰宅困難者に対する情報の手段として、BSフジ・CS放送・フジテレビホームページ、ニコニコ動画で地上波報道番組のサイマル配信を実施。その直後ユーストリームでもサイマル配信も実施した。
震災を受けて、新たに作成した概要や指針は無いが、被災者及び視聴者に、精神的、肉体的苦痛や、不安を与えない放送内容を徹底するとともに、フジテレビとして、「品位と公序良俗の保持」「人命の尊重」「正確性の確保」「生命や健康に関わる表現の配慮」「中立性の維持」「差別・いじめの排除」「人権・名誉の尊重」「プライバシーの尊重」「過剰演出&表現の排除」など制作指針の基本を改めて徹底するよう心掛けた。
多くの番組に協力を仰ぎ、番組出演者に被災3局の被災者に向けた激励メッセージのスポット収録をお願いし、3局で活用してもらうなどした。
イベント・映画事業等による取り組み
「お台場合衆国」2011 (2011/7/16~8/31)
「東日本復興」と「節電」をテーマに開催。海外からの大型発電機の導入や、ソーラー発電の活用をはじめ、震災被災地区と連携した商品開発及び地元商品の販売や、被災地とコラボした飲食物の販売、募金箱も設置した。さらに売り上げの一部を被災三県、お台場合衆国へ協力した18被災町に2011年12月に寄付をした。
「みちのく合衆国」 (2012/3/17・18)
"復興支援"をテーマに行った「お台場合衆国2011」の収益で実施した東北における2日間の無料イベント。バラエティDAY、めざましライブDAYのライブイベントにそれぞれ抽選で選ばれた6,000人を招待。
屋外エリアでは、夏のお台場場合衆国でも大人気だったB級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」と「みちのく合衆国」がコラボ。「B-1グランプリ」出展のまちおこし団体がご当地グルメを持って集合し、用意した食事が全て完売。地元の経済復興に貢献した。
於)宮城セキスイハイムスーパーアリーナ総来場者数1万8,659人
イベント初日を「バラエティDAY」と銘打ち『THE MANZAI in みちのく合衆国』と『ピカルの定理』を公開収録。『THE MANZAI in みちのく合衆国』では、優勝者のパンクブーブーなど合計8組の漫才師が出演。岩手めんこいテレビ、仙台放送、福島テレビでも生放送した。
『ピカルの定理』の公開録画では、渡辺直美が人気キャラクター"白鳥美麗"として初ライブを披露。
2日目の「めざましライブDAY」は、郷ひろみ、AI、MONKEYMAJIK、西野カナ、ナオト・インティライミ、ルンヒャンが出演、熱気あふれるステージで観客を魅了した。また夏のお台場合衆国でも好評だったトミドコロのハグ企画をみちのく合衆国でも『トミドコロ春のハグ祭り』と題して実施。2日間で2,225人とのハグを達成。さらに屋外ステージでは、『マーサ春の歌祭り』で観客を盛り上げた。。
「ふるさと祭り2012」 (2012/1/7~1/15)
毎年東京ドームで行われる"お祭り"と"食"の祭典、『ふるさと祭り東京』今年は、『がんばろう!日本』『がんばろう!東北』がテーマ。会場内ではチャリティオークションや地酒ブースを出展し、全額をユニセフヘ寄付した。
来場者数:38万3,584人
ふるさと祭り内「ふるさとステージ」にて復興支援トークショー(笠井・阿部・吉崎・桜庭・山本アナ)とチャリティオークションを行った。オークションの売り上げはFNSチャリティキャンペーン事務局へ。また会場内では実演者と共に募金を呼びかけた。
JR東日本商事と共同で「東日本復興市」ブースを出展。長びく不景気や東日本大震災の影響により国内全体の消費落ち込みという経済悪循環が続く中、日本各地の名産を取り扱うことにより地方のブームアップ、消費活動推進に貢献する一方でスポーツによる地域活性化に貢献したもの。
笠井部長のシネマン坊トークショー (2011/12/3)
笠井信輔アナによるフジテレビクラブ会員向けのお正月映画にまつわるトークショーの終演後に著書「僕はしゃべるためにここへ来た」の即売会を実施した。
「笠井アナの震災報告会」にて募金活動 (2011/7/4)
東日本大震災の被災地に真っ先に赴き、3週間に渡りリポートを続けた笠井信輔アナをはじめ、軽部アナ、生野アナによるフジテレビクラブ会員向けの報告会を開催。終演後には、笠井アナ自らがロビーに立ち、来場者に義援金を呼びかけた。(義援金総額¥132,800)
アナウンサー朗読会「ミニラ」にて募金活動 (2011/10/22)
フジテレビクラブ会員向け朗読イベント「ミニラ」において募金活動を行った。
エトワール~フランス・バレエのエレガンス (2012/1/23)
パリ・オペラ座のエトワールを中心としたバレエダンサーによるガラ公演の第4弾。招聘したダンサーの有志が被災地を訪問。石巻と仙台にて、バレエ教室に通う子供たちにレッスンを実施した。また、パリ・オペラ座のダンサーたちが制作した写真集を販売し、売り上げを東北の復興支援に充てた。
震災復興支援東芝チャリティコンサート~人と、地球と、明日のために (2012/2/11)
南西ドイツ放送交響楽団を招聘し、2012年2月10日から20日まで全国各地で開催した「東芝グランドコンサート2012」は、当初は2月11日に仙台公演を予定していたが、被災によりコンサート自体を断念。その代わりに東芝からの要請により仙台で「チャリティ公演」を無料にて実施。仙台放送と東芝が募集した1,000名が、オーケストラ有志によるアンサンブルと神尾真由子のヴァイオリンを堪能した。会場には募金箱を設置し、集まった義援金を宮城県吹奏楽連盟に寄付した。
朗読Legend III「日本浪漫~あなたに残したいことばのアルバム~」 (2011/7/2・3)
フジテレビアナウンサーと演劇倶楽部『座』とのコラボレーション第3弾。東日本大震災を受けて企画を急きょ変更。笠井アナが被災地で出会った思い出の詩を朗読。
朗読の原点に立ち返り、日本のさまざまな短文の中から忘れ難いことばの数々を紡いだアンソロジー。気仙沼出身で津波で家を失った若者2人も特別出演した。
ツタンカーメン展 (2012/3/17~)
大阪市に避難している被災者の方々を対象とした内覧会を2月21日に実施した。3月17日からの一般公開期間中には募金箱を設置。
東日本大震災関連イベントへの名義協力
「ファンラン for 東日本『ともに走ろう!』」東京マラソン財団オフィシャルイベント、「第28回全日本ウエイト制空手道選手権大会」日本赤十字社・東日本大震災義援金チャリティイベント、「3・11をこころに刻む『次世代の想像のために』東京の夜空を照らす輝き」公益社団法人東京青年会議所主催イベントへの協力。
お台場めざマルシェ (4/29、5/19、6/17、7/1、9/9、12/10)
被災で販路を失ってしまった会社や風評被害に悩む東北3県の特産品や物産を、7F「めざマルシェ」で販売。まためざましテレビと連動しOAにも反映させて応援した。
One Love Life Live (2011/5/3~5)
チャリティTシャツ、被災地の生産物等の販売やチャリティライブ等のイベントを行い、寄付を募った。
被災地写真展
アースライド
スポーツメディア事業部は、2011年度も自転車のイベント「アースライド」の企画に参加した。このイベントでは、一般参加料の一部を使って、被災地の子供たちに自転車を寄贈する計画を立て、最終的には約50台の自転車を届けることができた。
ソーシャルムービー:「JAPAN IN A DAY」プロジェクト
自分のカメラで自分の"2012・3・11の日常""軌跡の一歩"を動画で撮影・投稿してもらい、その中の独創的な映像とフジテレビの取材映像等を、フジテレビと英国の制作プロダクション「スコットフリー」が集約・編集、1本の映画を作り上げていく"みんなでつくる映画、ソーシャルムービー"プロジェクト。
映画の製作総指揮をとるのは、映画界の巨匠リドリー・スコットとトニー・スコット。同プロジェクトを今年2月末に発表後、応募があったのは、日本を含む12カ国(日本、英国、米国のほか、フランス、ドイツ、中国、南極大陸など)から約8,000件。300時間にもおよぶ、2012年3月11日の映像が届けられた。
完成した映画『JAPAN IN A DAY』は、今秋、日本を皮切りに世界でも劇場公開予定で、国際映画祭への出品も視野に入れている。またこの映画の収益の一部は被災地に寄付をする予定。
被災地での映画無料上映会
映画配給会社の東宝株式会社はこの度の震災を受け、被災した地域において無料上映会を行なった。そこで、フジテレビも幹事作品の中からロケのほとんどを東北地方で行った作品「スウィングガールズ」と三谷幸喜監督作品で愛がある映画、観終わって幸せになる映画として知られ大ヒットした作品「THE有頂天ホテル」の二作品を上映する作品として提供した。
クイズ!ヘキサゴンII 「真夏のKスタ決戦!スーパー野球バトル」 (2011/8/20)
被災地の復興を願って、宮城県仙台市・日本製紙クリネックススタジアム宮城でヘキサゴンファミリーによる野球大会、ミニライブを開催。
仙台放送まつり (2011/9/24・25)
復興がテーマの仙台放送まつりに、絵本の朗読イベントで参加協力した。
(24日笠井・佐々木アナ)(25日藤村・梅津・高橋アナ)
アイドルグループ「アイドリング!!!」によるチャリティライブと募金活動
イベント会場内での募金箱設置
FNSチャリティキャンペーンによる取り組み
「フジネットワーク募金」による義援金募集
2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0という世界でも最大級だった東日本大震災。「激甚災害」に指定されたこの震災の被災者救済の一環として、3月13日午前0時20分よりフジネットワーク募金の受け付けを開始した。この緊急募金は4月30日まで行われましたが、その後も全国から善意が寄せられ、最終的な義援金総額は15億8,118万8,611円となり、全額を日本赤十字社に寄付した。
日本ユニセフ協会を通じての募金
FNS28局が全国で募金活動を行い2億5,743万2,053円を公益財団法人日本ユニセフ協会に寄付した。この募金は、日本ユニセフ協会を通じて東日本大震災で被災した子どもたちの教育支援などに使われている。
【フジテレビの募金額1億5,351万1,278円】
~主な募金の呼び掛け~
映画興行収入の一部を日本ユニセフへ寄付
その他のチャリティ活動への取り組み
全社による取り組み
全社的な節電への取り組み
東日本大震災により福島第1・第2発電所の停止のため、計画停電を余儀なくされる程の電力不足に対して、当社も直ちに節電への取り組みを開始した。
(1)エントランス・駐車場の照明50%消灯
エントランス・エレベーターホール等空調停止
オフィス棟エレベーター4台停止
一般見学者用エレベーター2台中止
トイレのジェットタオル使用停止
(実施期間:2011/3/16~2011/6/30)
(2)節電を目的として、社内の冷房効率を上げるために、本社ビルの西側と北側を中心に
窓ガラスに2011年6月~7月にかけて遮熱塗装を行った。
(3)夏期に向けて電力不足は深刻化し計画停電を回避するために、
政府から昨年の使用最大電力から15%削減する電力使用制限令が発動されたが、
当社では上記の(1)に加え、更なる節電に取り組み、約19%削減を達成した。
(4)電力使用制限解除後も節電を継続。
(ただし段階的に緩和。停止中のエレベーターの一部稼働、オフィス照明1/3消灯の解除など)
(実施期間:2011/9/10~2011/11/30)
(5)トイレ照明の節電(省エネ)として、明るさセンサーと人感センサーの組合せにより、
明るい日中は消灯し、暗くなり人が居る時のみ点灯するように工事を行った。
(実施期間:2011/11月~2012/2月)
(6)冬については、政府方針により、東京電力管内は夏のような数値目標は設けないものの
できるだけ無駄な電力使用は控え、ピーク時の電力使用カットの
要請があったため、当社も節電を継続しつつ、無駄な電力使用を抑えた。
(実施期間:2011/12/1~2012/3/31)
※その他、各部署、スタジオ、撮影現場などで自主的に節電・省エネを心がけた。
防災への取り組み
震災への備え・緊急事態への体制づくりの強化
消火栓・階段避難車・AEDの各訓練を9月より毎月実施し、全社員・スタッフが災害時対応できることを目指す。
3・11震災後の館内被災状況のパネル展示・震災時の社内映像の公開、防災グッズの販売などで防災意識を啓発した。今後も引き続き年間を通して不定期で開催する予定。
震災発生後に携帯電話や固定電話など通常の連絡手段が使用できない状況が発生した。このような状況下の代替コミュニケーション手段としてSNS等のIP網の活用について研究をおこない、新規災害支援ツールの開発を行っている。
緊急地震速報などを安定して放送できるよう必要な設備の導入を行い、被害の軽減を図った。