2014年09月13日 新・週刊フジテレビ批評で放送
社会・公共

『個人情報保護と公益性の境界線は? 災害不明者氏名の公表』

8月20日に広島市で発生した豪雨による大規模土砂災害は死者72名、行方不明者2名(9月4日現在)を出す大惨事となりました。

この災害では、多くの行方不明者が出ていることが確認されながら、広島市によって氏名が公表されたのは発生6日目の25日でした。(氏名はフルネーム、住所は丁目、年齢は歳代までの形式)この間、広島市の松井一實市長が23日、行方不明者の安否確認を急ぐために氏名公表の意向を示しましたが、公表までさらに2日を要す事となりました。

公表が遅れた背景には、プライバシー保護の観点から法令上の問題がないことが確認されるまでに時間がかかったためとされています。2003年に個人情報保護法が制定され、各自治体は個人情報保護条例を定め、個人情報の利用と提供を厳しく制限しています。今回は広島市の条例の「人の生命、健康、生活または財産を保護するために緊急かつやむを得ないと認めて利用し、または提供するとき」目的外であっても個人情報の「利用と提供が制限されない」という規定から法令上問題ないことを確認したとされています。また広島市は公表までに、国と県と合意、さらに行方不明者の親族全員の了承を得た上でようやく公表に踏み切りました。

行方不明者が多数に上った近年の災害でも、個人情報保護の観点から氏名の公表が控えられたケースがあります。2011年9月の和歌山県那智勝浦町の水害では、十数名が行方不明になりましたが、勝浦町も和歌山県も、不明者の氏名発表を行いませんでした。2013年10月の東京都大島町での土石流でも、10人以上が行方不明となり、町は安否を把握できた順に、氏名を役場に張り出していましたが、一部の親族から非公表の要望があり、町は要望があった氏名について非公表としました。

個人情報の公表については、個人情報保護法では、「生命などの保護のために緊急にやむを得ない場合は本人の同意なしに第三者へ情報提供できる」とされ、法的根拠はあると考えられています。一方で公表した場合のリスクの指摘もされています。たとえばドメスティック・バイオレンスなどの理由から所在を知られたくない人の存在や、公表により空き巣等の被害にあうことなどがリスクとして指摘されています。

また、報道においても行方不明者の氏名公表は重要な意味を持っています。安否確認を求める人々にその情報を伝えるのは報道の使命であり、さらに行政を監視する上でも氏名公表を求める意味合いは大きいと言えます。
今回は数字のみの公表だったため、行方不明者が大きく増減する事態も見られ、被害の全体像を理解する上でも問題があったと考えられます。また一部の行方不明者の氏名は報道により明らかになったため、アンバランスな状況も見られました。

個人情報の扱いは、情報漏えいなどが相次いでおり、国民の高い関心事となっています。テレビでの災害報道も踏まえ、今後の災害において個人情報保護と情報公開による公益性をどう考えていけばいいのか?
コンパス・オピニオンリーダーの皆様からご意見をいただけますようお願い申し上げます。

オピニオンリーダーへの問いかけ

※コンパスで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
Q1:広島市は、土砂災害の行方不明者の氏名を発生6日目に公表しました。このことについてどう考えますか。
Q2:問1の回答理由をお聞かせください
Q3:個人情報保護と情報公開による公益性についてどのようにお考えですか。ご意見をお聞かせください。

オピニオンリーダーの回答

( 17件 )
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1. 評価する

村沢義久
合同会社Xパワー代表/ 環境経営コンサルタント
Q2. 「1 - 評価する」の回答理由
行方不明者の安否確認の必要性と、個人情報保護のバランスを考え、事故から数日経ってから公表するというやり方で良いと考える。
行方不明者と思われていた者が、実は、別の場所に居た、ということもある。アメリカの9.11同時多発テロの時もそういう例が多く、「行方不明者」の数は当初から大幅に減少した。その一方で個人情報の保護も必要。したがって、事故から数日経ってから、状況を勘案した上で公表するというやり方で良いと考える。
Q3. 回答する
個人情報の公表は必要最小限に抑えるべき。
 
 
安冨潔
慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授,弁護士
Q2. 「1 - 評価する」の回答理由
広島市個人情報保護条例第8条第1項第4号に基づき外部提供することは妥当と考えます。
また,6日目に公表されたのは,情報の錯綜するなかで個人情報保護の観点から,慎重に安否確認をしたうえで,行方不明者の捜索に資するために氏名を公表するのに時間がかかったものと推察いたします。このことは,適当だと考えます。
Q3. 回答する
災害時における個人情報の取り扱いについては,一般に,各自治体の個人情報保護条例において規定されている解釈運用に照らし適切に行われることが重要と考えます。
なお,運用にあたっては,取り扱われる情報が個人情報という性質上,災害時といえども慎重に外部提供(公開)されることが求められることはいうまでもありません。
報道機関においても,災害時に外部提供された個人情報をどのように利活用するのかについては,(すでに設けられているともいますが,ガイドライン等に照らして)適切に行うことが求められるでしょう。
 
 
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2. ある程度評価する

岸本裕紀子
エッセイスト,政治コラムニスト
Q2. 「2 - ある程度評価する」の回答理由
評価するというよりは、「仕方がない」といった方がいいかもしれない。
災害救助活動を、無駄なく迅速に行うため、という理由からである。

今回は、行方不明者数が当初はもっと多かったように記憶しているが、情報を整理してもっと早く公表していたならば、混乱は防げて、救助に当たる貴重な人出をしかるべきところに回せたかもしれないと思う。

行方不明者の氏名公表以前の、氏名の把握は、住民票や親族、近所の住民からの聞き取りといったことからだと思うが、たまたま事故当時、不在にしている場合もあり、親族との付き合いを断っている場合などは、本人がそこにいたのかどうかを把握できない。
行方不明者の名前を公開することで、当事者は「自分は今、そこにはいない」と申し出ることもできたり、「OOさんは別の避難所にいる」という情報も寄せられる。

今回は、行方不明者の情報開示も個人情報保護の観点から論じられている。が、「大規模な自然災害など緊急事態が発生した場合、救助活動を行うに際し、個人情報はどう扱うのか」を国民的な合意事項としてきちんと議論・整理した方がいいように感じた。
Q3. 回答を控える
 
 
岩渕美克
日本大学法学部教授
Q2. 「2 - ある程度評価する」の回答理由
 この問題はとても難しい内容を含んでいます。JR福知山線脱線事故の際にも、取材していたメディアに対して病院側が個人情報保護を理由に搬送された怪我人の方の氏名を教えなかったということを聞いたことがあります。行方不明者ないしは行方不明者と思われる方の氏名はできるだけ速やかに、わかる範囲内で構いませんが、公表ないしは問いあわせにこたえられる体制を整えるべきでしょう。公表までする必要があるかどうかわ微妙ですが、少なくともリスト化されている中に該当している方の氏名があるかどうかは確認できるようにすべきだと思います。もちろん、混乱している中でそのような対応ができるわけがないというのであれば、行方不明の関係者という、いわば「弱者」の方の利益を優先すべきではないかと考えます。ですから、6日目というのはやや遅いという感じがしましたので、ある程度評価するにとどめました。
Q3. 回答する
 前述したように、政治哲学の論争の中では「正義論」に同じような議論があります。もっとも弱い人の利益になるような場合に限り。不公平は許されるとするのが、j.ロールズの議論です。これを援用すると、当該ケースにおける「弱者」の利益を優先する場合には公益ではないが、公益を優先することもやむを得ないことになるのではないだろうか。
 ただし、この場合でもマス・メディア等によって公表する必要があるかどうか、問い合わせ等に対応できれば十分ではないのか、といったケースごとに慎重に判断する必要はある。
 しかし、こうした災害等については、東日本大震災以降かなり危機管理の問題が叫ばれていおるのだから、政府も何らかの指針を出しておく必要があったのではないか。
 
 
山村武彦
防災システム研究所所長
Q2. 「2 - ある程度評価する」の回答理由
 大規模災害時に行方不明者情報を公開する目的は、情報誤認を避けるため安否不明者の情報を広く求めることにあります。正確な行方不明者情報があれば迅速な捜索、救助活動が可能となります。また、行方不明者を案ずる親族、知人たちへ情報を提供する目的もあります。
 安否不明住民の中には、住民基本台帳では居住していることになっていても、旅行中、長期出張、届けが済んでいない転出者、あるいは、発災直後に親族や知人宅に避難している場合などがあります。
情報を公表することにより実際は無事でいる場合もあり、そうした無事情報が寄せられることも期待して公表されます。安否情報が絞られることで、捜索対象と捜索範囲を絞り込むことが可能となり、限られた人員を効果的に配備し迅速な救助活動が進み、行方不明者の生命の安全を図れる可能性が高くなります。
 災害現場は常に二次災害のリスクをはらんでいます。正確な行方不明者情報は迅速な捜索・救助に寄与すると共に、捜索・救助チームの二次災害防止、リスク軽減にも役立ちます。よって、広島市が行方不明者情報を公表したことは評価します。
 しかし、発災直後の捜索・救助活動は時間との戦いです。ですから、早い段階での公表による行方不明者情報の絞り込みが不可欠です。今回は発災後6日目の公表はいささか遅い気がします。とはいっても、自治体にとって行方不明者情報の公表は極めて悩ましい問題です。必要性は熟知しながらも公表を躊躇する裏には、きちんとした法令が整備されていないためもあります。東日本大震災でも自治体によって公表はそれぞれ大きく異なりました。
 個人情報保護法23条には原則として本人の同意なく個人情報を第三者に提供することは禁じられていますが、その例外事項には「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」とあります。この例外事項が大規模災害時に当てはまる事象とされています。私もそれで法的に問題ないと思いますが、この条文には大規模災害時における行方不明者情報の提供範囲など、提供にかかわる詳細についての規定が全くありません。そのため、クレームや紛争、情報開示による本人に及ぶ不利益などを勘案し慎重にならざるを得なかったものと推察しています。よってある程度評価するとさせていただきました。
Q3. 回答する
 大規模災害時における行方不明者の一定条件下における個人情報公開は、一刻を争う安否情報の誤認確認など情報の絞込みが期待できるからです。それにより行方不明者個人の生命を守り・迅速な捜索・救助という究極の人道に基づいて行われるものです。プライバシーの保護も大切ですが、それを上回る価値と正当性があり、極めて公益性が高いと思います。
しかし、大規模災害時における安否情報の公表は、個人情報保護法23条の例外事項となっており、法的に問題ないと思っていても、多くの市町村が公表を躊躇するのは、裁判での勝ち負けではなく、できるだけ紛争やトラブルになるリスクを避けたいがためです。そして、自治体が公表を逡巡するのは、大規模災害時における安否情報の収集・公開に関する適切な条例が整備されていないことも要因の一つです。
 従来、安否情報の収集・提供にかかわる法律上の条文はありませんでした。平成16年6月18日に公布された「国民保護法」94条の「武力攻撃事態等における安否情報の収集・提供」の条文で初めて安否情報の定義と収集・提供が規定されました。しかし、これはあくまで武力攻撃事態時のものであって、大規模災害時は対象とされていませんし、防災にかかわる関係法令では基準が明確に定められていません。
 今後、発災時の混乱の中で当該自治体が悩まないで済むように、また、迅速な捜索・救助活動が可能となるよう、大規模災害時における安否情報の収集・提供についての法整備を急ぐべきです。合わせて、安否情報の誤認・重複を避けるために、安否情報の一元化を図る必要があります。そのためにも国民保護法で推進している「安否情報システム」を大規模災害時にも運用できるようにすべきと思います。
 また、公開した場合、行方不明とされた人の親族などにマスコミの取材攻勢で行方不明者自身のプライバシーだけでなく、親族のプライバシーにも配慮するように一定の取材モラルも問われます。さらに、公表された行方不明者宅への空き巣被害などを防ぐために、火事場泥棒的犯罪は通常より罪の重い厳罰を科することや、さらにドメスティック・バイオレンスなどに悪用されないよう、公表によって生じるであろう当事者の不利益防止にも心配りした法整備を期待したいと思います。
 
 
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3. あまり評価しない

潮匡人
国際安全保障学者,拓殖大学客員教授
Q2. 「3 - あまり評価しない」の回答理由
保護すべき利益と失われた利益を比較衡量すれば、結果的にはバランスを失した。たしかにDVの被害や空き巣のリスクもあり得たが、少なくとも「緊急にやむを得ない場合」は「生命などの保護」が優先されるべき。その要件を満たすか否かの判断自体が遅延した(ないし日数を要した)ことは妥当でない。
Q3. 回答する
どちらも憲法が保障すべき基本的人権であり、それが衝突している。いずれか一方に偏した主張は妥当でない。ただし平時と緊急時(有事)は分けて議論すべき。日本国憲法には国家緊急権の規定がなく、アメリカの緊急事態管理庁(FEMA)に相当する機関もない。厳格な要件の下、例外的な人権制限を認める法整備を図るべき。泥縄式の対応こそ、自由および人権の大敵と考える。
 
 
浜辺陽一郎
青山学院大学大学院法務研究科(法科大学院) 教授,弁護士
Q2. 「3 - あまり評価しない」の回答理由
あまりにも遅すぎる。法的判断をするための時間ではなく、「責任回避」の「保身的考え」から行動が先送りになっていただけだったようにしか見えない。

土砂災害の行方不明者は、生きているのか、死んでいるかの問題になっているわけで、それを伏せなければならない「法的要請」があるという議論は、プライバシー問題における「漠然とした利益」に振り回されているよううな状況のように思われる。
Q3. 回答する
確かに、すべての問題が簡単であるわけではないし、個人情報に対する考え方にも多様な考え方があるので、典型的なケースについては、統一的なガイドラインを作る等して対応方法を明らかにすべきだろう。

現在、個人情報については、所轄官庁が業界ごとに分かれ、あるいは重層的にガイドラインを参照しなければならないような状況である(例えば、金融業者は、経産省のガイドライン、労働当局のガイドライン、金融当局のガイドラインなど、その場面ごとにいろいろとチェックしなければならず、相当に面倒な形になっている)。そのために、いたずらに分かりにくい規制となっており、何のために個人情報を守ろうとしているのかを見失い、「漠然とした利益」のために、情報公開による公益性が損なわれるような事態を招いている。
 
 
原田曜平
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー
Q2. 「3 - あまり評価しない」の回答理由
法令順守という観点では、広島市は今回、正しい手順を踏んだので問題があるとまでは言えない。
しかし、非常事態においては、原理原則に沿うのが必ずしもベストな選択とは言えないことを
今回のケースにおいて我々は学び、今後の教訓にすべきだと思う。
今回のケースで言えば、公表した場合、マイナス要素よりも、プラス要素の方が多いという判断
がなされて良かったように個人的には思う。
何故なら、公表した場合のマイナス要素には、死者を増やす可能性は恐らく含まれておらず、
逆に、プラス要素には、より多くの行方不明者に関する情報が集まる可能性が含まれており、
1人でも多くの救出者を増やせたかもしれないと言う意味では、例外的措置がとられても良かった
のかもしれない。もちろん、あくまで可能性の話に過ぎないが。
Q3. 回答する
個人情報に関する注目が過剰に高まり、また、情報が一瞬で広範囲に拡散してしまう今の世の中で、
多くの日本企業や自治体が、個人情報保護法に脅え過ぎ、「リスク回避」にばかり注力し過ぎているのが現状。
何のために個人情報を保護するのかと言えば、究極的には人を幸せにするためであって、その究極的な目的を
常に忘れない判断をすることが重要なのでは。
 
 
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4. 評価しない

伊東乾
作曲家・指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
Q2. 「4 - 評価しない」の回答理由
6日=144時間という時間がどれほど生存率を低くするか考えるだけでも答えは自明。
典型的な事なかれ主義的対応と言わざるを得ない。緊急時の情報共有にあたっては、行政の長がその責を居って早急的確の判断を下すべきであり、結果的にタイミングを逸することで確実に被害は拡大する。6日=単純計算で24×6=144時間という時間が、どれほど生存率を低くするか考えるだけでも、答えは自明であろう。
Q3. 回答する
「個人情報保護」と「情報公開による公益性」とのトレードオフという設問の考え方自体が、この問題を扱う上で適切と思われない。実際には爾後の問題を回避すべく動かない行政という典型的な日本病に過ぎず、法的免責など制度改革を含め、早急果断の処理が可能なシステムをこそ、めざすべきではないか?
 
 
武貞秀士
拓殖大学大学院特任教授
Q2. 「4 - 評価しない」の回答理由
行方不明者の数を正確、迅速に全国に公開する必要があるのだろうか。非公開を望む親族らのプライバシーがある。「70-80名の行方不明者」として、消防、自衛隊、警察、自治体らの救助隊のみ非公開名簿を共有すれば、捜索活動への弊害はない。
公表が遅れたことを評価しないのではない。公表をしてしまったことを評価しないのでもない。ひとつの方針と基準を持って、どのタイミングで公表するのか。あるいは、最後まで公表しないのか。一貫性がなかった。公表するのであれば、行政として公表するときのしっかりとした方針を持って、一貫性を保ち、住民に対して筋を通した説明ができる態勢であるべきだ。そうではなかった。そのために「評価しない」としたい。
つまり、公表するのであれば、「情報公開という観点から」なのか。「一人でも多くの人の消息を迅速に確定するという観点から」なのか。「マスコミの要請に対して行政が答えるため」なのか。公表するときに説明をすべきだろう。公表しないのであれば、「DV」を誘発するためなのか。親族が公表に反対しているからなのか。明確に説明すべきだろう。
救助作業を迅速に行うために、行方不明者、死者の氏名を公表すべきとは思わない。救助を急ぐために、テレビ、新聞を通じて全国にその氏名を公表すべきという説明はよくわからない。全国に公表したら救助、救援が効率的になるのかどうか。非公開を望む家族もいるだろう。
したがって、被害者との連絡がつかないという人々に限定して、被害にあった人の非公開名簿をみてもらうのはどうだろうか。親族の「公表してもよいです」という了解をとらずに全国に公表するという必要があるとは思えない。
 なくなった人の名前が出ると、知らない報道関係者からの問い合わせがくるかもしれない。大事な親族を失ったことを、現実のこととして受け止めるまでに時間がかかり、自分だけの時間を持ちたいと思う人々の時間まで奪うことになる可能性があると思う。
Q3. 回答する
個人情報保護と情報公開による公益性については、国民ひとりひとりが考えておくべきだと思う。誰でも事故、災害に遭遇する危険があるのだから。
今回の災害の事前対策、緊急通報、情報公開作業などについて、行政側に、おやと思うことがいくつかあった。行方不明者の人数について、公式発表の具体的数字が二転三転した。被害を受けた現場では、避難を呼びかける緊急の連絡体制がうまく機能していなかった。このような大きな災害が起こるとは、住民も行政も予測していなかったのだろう。
 ところで行政に責任を押しつけてはいけない。緊急のとき、自分の命を守るのは自分であるということを教えてくれた。奇妙な臭いがしたとき、裏山のほうでいつもは聞かない音がしてきたとき、水が奇妙なところから流れはじめた。そのようとき、秒単位で住民が、どう対処するかが決め手だ。向こう三軒両隣の人々が、声をかけあうこと、住民同士で情報伝達をすること、避難するときは助け合うという心がけが必要であり、危機管理の基本だろう。「行政が避難するかどうか判断して、なぜサイレンをならさないのか」「携帯電話で緊急避難の指示をする体制が不備だった」ということもあるだろう。しかし、10秒、20秒の違いで生死が決まるとき、行政のサイレンよりも大事なのは、自分であり、向こう三軒両隣の協力体制なのだ。普段から自分の命を守るために、数秒単位で避難行動を開始する危機管理能力を持とうと自分に言い聞かせた。
行方不明者の人数が二転三転したことについては、その背景があるのだろう。混乱のなかであり、住民同士、誰が何人住んでいたかをすぐに掌握できなかったかもしれない。仮に「70人から80人の行方不明者がでている模様という報道で、10日間、終始した」ということがあっても、誰かを責めることはできない。確実な数字をどの報道関係機関が報道したか。どの行政部門があてていたかを競争する必要はないと思う。
 
 
クロサカタツヤ
株式会社 企 代表取締役/ 総務省情報通信政策研究所コンサルティングフェロー
Q2. 「4 - 評価しない」の回答理由
迅速に公表すべきであり、対応に瑕疵があった
もっと迅速に公表すべきでした。確認できていないならさておき、確認できていたにも関わらず公表しなかったというのは、「自分の身内や知り合いは大丈夫なのか?」という疑心暗鬼を多くの人に与えてしまう以上、公共の利益に反しているとの誹りを免れないと思います。
Q3. 回答する
社会全体への情報通信技術の普及・浸透とともに、消費者保護の機運の高まりを受け、個人情報・プライバシーの保護と、主に商業目的での利活用に関する議論は、「パーソナルデータ」というキーワードも含め、注目を集めています。

しかしながら、今回はあくまで災害発生とその対応に関する問題であり、商業目的での利活用に関する議論とは一線を画するべきです。個人情報保護法制度(現行の保護法および各自治体で整備された個人情報保護条例)等でも明記されている以上、法の精神の観点からも明らかでしょう。

無論、情報公開に伴う副次的な影響を懸念する声があることは、十分理解できます。しかし今回は、公益性が優先するはずです。また副次的な影響は、個人情報の保護ではなく、それによって生じたインシデントへの枠組みで(場合によっては刑事罰を科すことも含めて)対応すべきです。

一方、今回の顛末によって、行政の現場でさえも、個人情報に関する混乱が見られることが露呈しました。商業目的での利活用の是非に関する議論や各種取組が今後進むことを考えると、行政や事業者のみならず、市民・消費者も、課題や可能性について関心を払う必要があるといえます。
 
 
にしゃんた
羽衣国際大学教授/落語家
Q2. 「4 - 評価しない」の回答理由
自然災害大国日本でのこととは思えない程の災害対応に対する地方自治体のもろさを痛感した。
法律や条例策定の際の想定の甘さが露呈された。災害発生時の「行方不明者の情報」をどう扱うかの話が詰められていない。しかも災害発生後から公表するとの結論に至るまでに6日もかかった点と、さらに6日目でそれまでの見解を変更させた点、いずれにしても驚きである。

そもそも市の条例において、外部に個人情報を提供出来るのは「人の生命、健康、生活または財産を保護するために緊急かつやむを得ないと認める時」と規定されており、そこではっきりと情報提供できる場面として、「人の生命の保護」と明記されている。躊躇することの必要性がどこにあったのか理解に苦しむ。
さらには、
両者とも同じ行政機関である市と警察が、対象となる人の命が同じであるにも関わらず、命の判断に用いる物差しの違いがあり、発表を別々で行ったことが今回の状況をより複雑化させた。二重行政の欠点・盲点と両者間の連携のなさを露わにした。自然災害大国日本でのこととは思えない程の災害対応に対する地方自治体のもろさを痛感した。
Q3. 回答する
言わずして個人情報は「命」を守るためにこそ最優先に活用すべきである。公開について法的根拠があるにも関わらず、自治体が躊躇しなければならないことがナンセンスである。
しかも国でも災害時における個人情報の共有を推奨している。確かに、個人情報の漏洩にはナーバスになっている人が多いが、その為にも行政は「本人の同意なく個人情報を公開することもある」ことについて早急に市民なりに周知することが不可欠である。また、災害時の情報公開について、地方行政が躊躇することなく公開出来る国家ベースでの制度づくりが国の急務と考える。個人の「情報」を守り、「命」が守れないとは本末転倒である。
 
 
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5. その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)

南淵明宏
医療法人社団 冠心会 大崎病院 東京ハートセンター  心臓外科医
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
ありきたりな正論で恐縮ですが、「救命、乃至は当事者の利益につながるのであれば公開も含めてなんでもやるべき」ですが、それ以外の理由では公表することもないのではないでしょうか。
あちらを立てればこちらが立たず、の八方塞がりで行政の人たちは本当に大変だと思います。
とにかくミスをしない!何が何でも絶対に自分や上司の名前は出ないようにする!責任はどこにもない!だれも傷つかない!そういう強い強い信念で行政の方々は日夜がんばっておられるご様子がありありとわかる、闘志溢れる「保身」行政の典型例を垣間見た、という意地悪な感想も持ってしまいます。
組織の人って本当に大変ですね。
さて、個人情報云々、公開の是非についてですが、
生存権
という観点から、
本人はどういう状況でも命が危ないなら何がしかの手段を講じて欲しいと必ず思うであろう!
という考え方が日本の法律にはあるようで、これを「推定承諾」とも呼ぶそうですが、
「助かるため、あるいは本人の利益のため」であれば氏名の公開もありだろうし、それをやらなかったことで本人が不利益を被ったならば「不作為行為」ということになるのかな、と思いました。
これは例えば腹部大動脈破裂で緊急手術が必要なときに「家族の到着を待ってから・・・」
とか保身に走る医者が手術の開始を待っていて、そのせいで患者が死んでしまったら
「あんた、何をやってるんですか?」
と不作為を問われる、という図式に当てはめたまでのことです。
当事者の利益につながるかどうか、という尺度で対応すべき、というありきたりな正論です。
この場合、家族の希望とか意向は最優先されるべきではないように思います。
それ以外の理由、つまり事実を有りのままに報道する、という観点では氏名の公表は必要性、あるいは必然性はないのかなぁ、と思います。
と考えていると、映画「横道世之介」を思い出しました。ありきたりな昭和の大学生が20年ほどして不慮の事故で亡くなるという話ですが、そのニュースに触れたかつての友人たちの・・・(あとは映画を充てください)ということで、こういうのは「あっていい」いや「あるべきだ」とは思います。
Q3. 回答する
公益とは権力側の利益です。弱い個人には何の利益もありません!
支払った税金のごく一部、いや一円でも、弱い個人が行政の恩恵を被ることなどありません。
ただここでいう、公益とはメディアが報道で使う公益で「一般大衆のゲスで恥知らずな好奇心を満たすための」ものであるようです。ゲスで恥知らずな私としては、いつもメディアに楽しませてもらっています。
さて、いまどき個人情報保護法ほどザルはありません。名簿業者がまず商品として扱う名簿に載せられた個人の許諾を得るべきであって、そうでない場合は処罰の対象になる、とすべきですが、名簿は権力を握りたがる俗物どもにとって、「票」でもあるせいでしょうか、そういう実質的な取り締まりが全くありません!
情報公開も不公平そのもの。
個人情報は権力者と犯罪者によって自由自在、如何様にでも利用されているのです。あほらし!
個人情報保護や情報公開が死語になっている状況で、この議論は成り立ちません!
ところで名簿業者には「名簿を売りに来る奴の名簿」もあるそうですね。
 
 
本田宏
医療制度研究会副理事長
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
氏名公表の目的を考えると①実際に該当者がその場所にいたのか等、正確な人数や所在を確認して救出活動を的確に行うため、②親族等による安否確認のため等がある。今後災害時にどのような情報公開が望ましいのか、個人情報公開が遅れたことによるメリット・デメリットを十分に検証し、今後の災害時へ活かすことが望まれる。
氏名公表の目的を考えると①実際に該当者がその場所にいたのか等、正確な人数や所在を確認して救出活動を的確に行うため、②親族等による安否確認のため等がある。今後災害時にどのような情報公開が望ましいのか、個人情報公開が遅れたことによるメリット・デメリットを十分に検証し、今後の災害時へ活かすことが望まれる。
Q3. 回答する
すべてのこと(法律)にはメリットとデメリットがある。個人情報保護法の目的を十分に活かすためにも、弛まぬ検証と運用の改善が必要。
 
 
中津孝司
大阪商業大学総合経営学部教授,国際問題評論家
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
個人情報の取り扱いについての法令、条例が乱立している現状では、市の対応は致し方なかったと思う。
広島市の対応は災害有事を踏まえると、致し方ない、あるいはやむを得ない結果だったと思う。人命救助を最優先する局面では氏名公表に関する判断はどうしても後回しになる。個人情報の取り扱いについては、国、自治体が定める法令、条例が乱立している。法的すり合わせに時間を要したと推察される。ただ、あえて氏名を公表する必要もなかったのではないかとも思う。災害時の行方不明者の氏名は関係者のみが把握しておれば問題はない。
Q3. 回答する
法的整備・整頓がまずは不可欠である。現状、個人情報保護については、国が定める法令、地方自治体が定める条例が乱立している。国、自治体をつなぐクラウドシステムの構築が喫緊の課題である。そのうえで、強力な権限を備えた第三者委員会を設置しなければならない。公益性はその段階になって初めて機能する。
 
 
飯田泰之
明治大学政治経済学部准教授
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
※「評価」の意味(公表そのものなのか早い遅いという話なのか)が分からないため「その他」

多数の被害がある状況では,「無事だが身元確認情報が把握できていない」「そもそも現地にいなかった」者の特定が急がれる.限られた人員で「当日現場にいなかった」人の家の捜索を行うことは,他の行方不明者を一人でも多く助ける妨げになるからだ.

現在のところ所在確認が取れていないという意味での行方不明者を公表することで,情報収集に一人でも多くの(ようはメディアで報道を見る人の)目を借りるというのは合理的だ.

その意味で,災害時の行方不明者情報は「人の生命、健康、生活または財産を保護するために緊急かつやむを得ない」であろう.

むしろ遅きに失したと思う.
しかし現行法制のなかでは致し方なかったという解釈も十分可能だろう.
その意味で,明確な運用の変更が求められる.

公表にまつわる問題は,ネットなどを通じて行方不明者情報が残り続けることにある.ネットにおける忘れてもらう権利=情報の削除について法整備が必要だ.
Q3. 回答する
個人情報保護法以前に,メディアでの
・犯人逮捕に資するとは思えない被害者の氏名公表
・容疑者段階での氏名の公表
・重要とは思えない一般人の犯罪(近年の典型としてはまんだらけ万引き犯)の氏名等公表
の方が大きな問題ではないだろうか.

メディア各社は是非とも相互に協調して,これらの興味本位以上の意味を持たない実名報道を控えるべきなのではないだろうか。。。
 
 
山口真由
元財務官僚
Q2. 「5 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
評価はしないが、ある程度致し方ない。
行政の対応が遅れたことを決して評価するものではないが、ある程度やむを得 ないと考える。

純粋に個人情報保護法・条例の観点からいえば、この場合には、直ちに個人の 氏名を公表してもよかったのではないか。なぜ なら、個人情報保護法は、個 人情報の保護を絶対の目的としたものではない。「個人情報の有用性に配慮し つつ」として、情報の社会 的有用性と比較衡量の上、決定すべきことが明示 されている。さらに、「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場 合」などの一定の場合には、本人の同意を得ずに個人情報を取り扱うことが、法律上、許容されている。このことからすると、純粋に個人情報保護法や条例の観点から考えると、今回の氏名の公表は遅きに失したように思える。

しかし、それでもなお、行政の対応がある程度やむを得ないと思うのはなぜ か。それは「個人情報」の保護とは別に、昨今の 「プライバシー」の保護の 風潮に、行政としては一定の配慮をせざるを得なかったであろうと思えるから である。
昨今の「個人情報」の保護の論調を見る限り、「プライバシー」と「個人情 報」の概念が多分に混同されているように思う。 「個人情報」は個人を特定 しうる情報である。それに対して、「プライバシー」は、公になることが望ま しくない情報という、評価を 含む概念である。個人情報保護が叫ばれるとき には、実際には、このプライバシー権が主張されており、だからこそ、個人情 報を公開 するなんて言語道断、人権侵害であるという方向に流れやすい。そういう傾向が、近年顕著にあるように思われる。

そのような状況の中では、行政が、純粋に法律・条例の条文に基づく判断では なく、「プライバシー保護」の風潮に配慮し て、保守的に判断せざるを得な かったことは、ある程度やむを得なかったのではないかと思われる。
Q3. 回答する
上記のとおり、これは「個人情報保護」と公益性の問題というよりは、情報化 社会の中で、プライバシー権、すなわち、自己 に関する情報の流通をコント ロールできる権利について、どう考えるかという問題である。

情報化が進む中で、ジョージ・オーウェルが書いたSF小説『1984』のような時 代がリアルになりつつある。すなわち、 膨大な個人情報を特定の機関が収 集・管理し、災害対策のほか、防犯や納税、ひいては結婚や就職活動のマッチ ングにも使用できる 「データバンク社会」である。そういう社会は便利であ るが、常に監視されているようで怖ろしい。個人の前科が検索可能となり、そ れによって不利益を被ることもある。したがって、個人の情報の流通権は個人 がコントロールすべきという「自己決定社会」の重要性 が、情報化社会の反 動として、声高に主張されるようになりつつあると感じている。
そして、今回のように、災害などの緊急時の対応が遅れたことは、この「自己 決定社会」の帰結ではないか。つまり、「自己 決定社会」を選択する場合に は、「データバンク社会」の利便性を、ある程度、犠牲にすることは避けられ ないのではないか、と思う のである。

「データバンク社会」「自己決定社会」それぞれ極端によらずに可能な限りの バランスを探るべきであるのは、もちろんだろ う。もっとも、「いいとこど り」だけではいけない。自己決定に重きを置くならば、自己責任も必ずついて くることを忘れるべきでは ない。
 
 
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