2014年07月05日 新・週刊フジテレビ批評で放送
社会・公共

『BPOが「顏なしインタビュー」に関する委員長談話を公表』

6月9日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会は
「顏なしインタビュー等についての要望~最近の委員会決定を
ふまえての委員長談話~」を公表しました。
談話では、「安易な顔なしインタビューが行われていないか」と
呼びかけ、「テレビニュースなどで、ボカシやモザイクを施したり、
顔を写さないようにして、取材対象が特定できないようにする、
いわゆる顔なしインタビューが放送されることがある。
知る権利に奉仕する取材・報道の自由の観点からは、取材・放送に
あたり放送倫理における、事実の正確性、客観性、真実に迫る努力などを
順守するために、顔出しインタビューを原則とすべきである」との要望を
出しました。
また談話は、テレビ各局に改めて“プライバシー保護の徹底”を求めると
同時に、「行きすぎた社会の匿名化」に注意を促す内容となっています。
詳しくは、下記のURLから、全文を確認ください。
http://www.bpo.gr.jp/?p=7636&meta_key=2014
一方、談話公表後、ジャーナリストやメディア論の専門家、さらに
ネットユーザーから賛否の声を上がり、報道の使命だけでなく、
プライバシー保護やネット上の匿名発言などの観点から様々な指摘が
なされています。

そうした賛否の反響も踏まえ、「顏なしインタビュー」に関する
BPO委員長談話について、コンパス・オピニオンリーダーの皆様から、
ご意見をいただきたくお願い申し上げます。

BPOはNHKと民放連によって設置された第三者機関で、放送における
言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、
放送への苦情や放送倫理の問題に対応しています。
主に、視聴者などから問題があると指摘された番組・放送を検証して、
放送界全体、あるいは特定の局に意見や見解を伝え、一般にも公表し、
放送界の自律と放送の質の向上を促します。

オピニオンリーダーへの問いかけ

※コンパスで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・組織の意見・方針ではありません。
Q1:BPO委員長談話「顏なしインタビュー等についての要望」についてどう考えますか?
Q2:問1の回答理由をお聞かせください。
Q3:談話は「行き過ぎた社会の匿名化」についても注意を促す内容となっています。
この「社会の匿名化」についてどう考えますか?

オピニオンリーダーの回答

( 18件 )
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1. 賛成である

伊東乾
作曲家・指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
視聴者の無意識にも直接強く働きかける音声動画メディアであるテレビでは、自分の顔と名を明らかにしたうえでの、責任をもった意見表明が原則であるべき。
視聴者の意識・無意識に直接強く働きかける音声動画メディアであるテレビジョン放送に関しては、
極力 自分の顔と名を明らかにしたうえでの、責任をもった意見表明を原則とすることで、責任所在の
明確でないあいまいな言説の横溢を避け、メディアが適切に機能することが期待できると考えられる。
Q3. 回答する
とりわけインターネット上での匿名行動は 昨今司直によっても裁かれているようなさまざまな犯罪が顕在化している。情報の実名発信という原則は、決して内部告発等を牽制するものではなく、あやしげな紙爆弾を避け情報化社会の健常な機能に資するものと考える。
 
 
浜辺陽一郎
青山学院大学大学院法務研究科(法科大学院) 教授,弁護士
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
健全な市民社会を構築していくためには、一人一人の市民がそれぞれの責任を自覚することが不可欠であり、委員長談話の全体的な説明は、極めて妥当である。
「安易な顔なしインタビューを避けて、可能な限り発言の真実性を担保するため、検証可能な映像を確保する」等の理由から、顔出しを原則として、例外的に、「顔なし映像の場合は、画面上でその理由を注記(字幕表示等)する」等の措置を取ることを条件として顔ナシとすることは合理的な線引きとして理解できる。

健全な市民社会を構築していくためには、一人一人の市民がそれぞれの責任を自覚することが不可欠であり、委員長談話の全体的な説明は、極めて妥当である。
Q3. 回答する
「行き過ぎた匿名化」は、時に無責任、時に感情的で恣意的、時に非論理的などと、極めて危ない言論状況を生み出してきている。それぞれの立場や関係を踏まえた健全な対話のためには、顔出しが原則となるべきであろう。

その点で、ネット社会においては匿名による無責任な言論が跋扈しているわけで、マスメディアはそれとは一線を画して顔出しを原則とした信頼こそが生命線となるのではないか。

もっとも、プライバシーや匿名性の保護の要請が合理的に認められる例外的な場合もあることを委員長談話はふまえているわけで、すべてが顔出しとなるわけではない。

昨今は、社会の匿名化が、その必要以上に行き過ぎて、市民として責任をもって考えたり、議論したりする姿勢が弱まっている点で、これに注意を促すことは正当なものである。
 
 
石澤靖治
学習院女子大学長
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
 賛成である。むしろ遅すぎた感がある。私は2008年12月23日付の『民間放送』(民放連)で「行き過ぎた『顔なし映像』――報道の信憑性低下を危惧」を投稿して、この問題を指摘している。
 顔なし映像では、報道の信憑性を担保できない。すなわち可能性として、ある事件について周辺の人、あるいは関係者の人から話を聞いたということであっても、その顔が映っていないのであれば、可能性として全く関係のない人にコメントさせることもできるからである。一般の人たちはテレビに一定の信頼をもっているために、多くの人はそのようには思っていないだろう。しかし顔なし映像は報道の信憑性を担保していないのである。
 現在はデジタル技術が普及しているため、コメントした人の顔の映像の保存や検索が容易である。そのために、ある犯罪者に否定的なコメントをしたり決定的な情報を提供した人が、後日その犯罪者や関係者に報復を受けるということも考えられる。そのようなことが予測される場合には、ニュースソースを守るという意味において「顔なし映像」は許容できる。しかし安易にメディアの側が最初から「顔は出しませんから」と切り出して、ニュースソースに取材するのは誤りである。
 取材を受ける側も、顔なし映像だと発言に対する責任感が薄くなりがちである。そのため、ある犯罪者に対しては、自分の想像も加えてより否定的な発言をすることもあるだろう。それが最終的に冤罪だった場合には、その発言とそれを報じたメディアは冤罪を形成する環境づくりに加担したことになる。また有罪であった場合でも、必要以上にその犯罪者の人格を貶めることにもつながる。
 最後にもう一つだけ指摘しておきたいのは、これはテレビメディアだけではなく、活字メディアにもありうる問題だということである。テレビの顔なし映像に類するのは、活字メディアの場合、ある人の発言を掲載したあとに「関係者」として、ニュースソースを曖昧にするものである。2003年にアメリカのニューヨークタイムズである記者が、ニュースソースを曖昧にして大量の誤った記事を掲載する大スキャンダルになったこともある。
Q3. 回答する
 日本は以前から匿名化社会である。アメリカと比較するとわかりやすいが、活字・映像メディア問わず、実名でのコメントが日本では非常に少ない。以前、米紙に勤務していた際に、日本人から話を聞いて名前を載せようとすると拒否される一方、米国本社では実名を載せるよう言われて苦悩したことがあった。日本社会において人間関係が密であることがその背景にあるのかもしれないし、日本人の本音は匿名でしか出てこない社会なのかもしれない。それは表と裏を使い分ける文化なのかもしれないが、その辺は社会学者の領域であろう。
 インターネット時代になって、人々が容易に情報発信をできるようになって、この匿名化がさらに進んだ。実名社会のアメリカでもネットにおいては匿名化が進んでいるようだ。
 「行き過ぎた匿名化」については、発言者のプライバシーを守るという意味での匿名化は理解できる。しかし問2で答えたように匿名化とは無責任化と裏表であり、それが行き過ぎた場合、無責任な発言の擁護につながることにもなる。そしてこのようなことを書くと、「匿名」の人から激しい非難を受けるかもしれないが。
 
 
上昌広
NPO法人医療ガバナンス研究所 所長
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
 あくまでケースバイケースですが、最近の報道を見ると「行き過ぎた自粛」になっていると感じます。そこにあるのは、メディア関係者が「問題を起こしたくない」という責任回避ではないでしょうか。当たり障りのない意見を流し続けているだけでは、メディアは社会の信頼を失います。
 そもそもメディアが「顔なしインタビュー」を導入した経緯、さらにその弊害を、メディア関係者自身で議論し、国民に情報を伝えられたらどうでしょうか。
Q3. 回答する
 社会の問題ではなく、メディア内部の問題だと感じます。メディア関係者が「問題を起こしたくない」という責任回避ではないでしょうか。メディア関係者で議論頂きたいと思います。
 
 
潮匡人
国際安全保障学者,拓殖大学客員教授
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
談話が指摘するとおり、匿名にしなければならない具体的な理由が見当たらないケースでも、顔なしインタビューが行われている。先日、同一の女性が複数のテレビ局で「顔出しインタビュー」に応じたことが話題となった。「顔なし」が横行すれば、そうしたリスクが増大し、放送局への信頼をより低下させるであろう。報道の自由を担保するためにも必要な原則と考える。
Q3. 回答する
Twitterのアカウントは匿名が原則であるかのような状態になっている。Facebookでも「顔なし」のユーザーが多い。それらの多くが情緒的な主義主張を掲げてたり、事実無根の誤情報を拡散させてたりしている。本家本元のアメリカでは「顔出し」が原則であり、日本社会の匿名化は問題をはらむ。
 
 
江川紹子
ジャーナリスト
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
努力すれば顔出しでできるのに、安易な顔なしで済ませていないか?
テレビにおける報道では、事実における「いつ、どこで、だれが…」という5W1H、証言やコメントにおける発言者の特定が基本であり原則だと思う。原則には例外はあるが、例外はあくまで特別な場合に限るべき。
 池袋の脱法ハーブ男の暴走車事故で亡くなった事故についても、被害者の中国人女性の友だちは、NHKが顔出しなのに、私が見た某民放のニュース番組は顔なしだった。
 NHKが顔出しなのに、なぜ民放が顔なしなのか。
努力すれば顔出しでできるのに、安易な顔なしで済ませていないか?
インタビューは、言葉の内容だけでなく、声、表情、しぐさなども含めて大事な情報。
安易な顔なしインタビューですませる癖がついていないだろうか、と思う。
Q3. 回答する
 マスメディアに限らず、あらゆるところでその兆候がある。
「公開」が憲法で保障されているはずの裁判ですら、本来は性犯罪の被害者など
ごく例外的な対応策だったはずの、遮蔽措置が、被告人の情状証人にまで行われている。
 法廷も、テレビ番組も、いわば「公の場」。「公」の概念が崩れているのではないか。
 また、ネットなどで、匿名で公に向かって発言することが容易になり、そこでは、
面と向かって言えないような暴言や誹謗中傷、激しい非難などもなされている。
 さらに、個人情報を過剰に意識することで、名簿を作成しないなど、人と人とのつながりを
増やしていく機会を奪っているのではないか。
「行き過ぎた社会の匿名化」が、「個の分断」や孤立を招いていると思う。
 
 
原田曜平
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
あくまで原則、ということですので、この要望は正しいと思います。
私はあくまで生活者(視聴者)という観点でお答え致しますが、私もたくさんの調査業務を
行っていますが、やはり、調査対象者の顔出しが原則でないと、臨場感や雰囲気も含め、
なかなか視聴者に届かないと思います。
もちろん、インタビュー対象者の希望や権利や安全が最優先されるべきだと思いますが、
原則的には、局も対象者もある程度の責任を負い、視聴者に正しく臨場感のある情報
を届ける責任がメディアにはあると思います。
Q3. 回答を控える
 
 
山田昌弘
中央大学教授
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
多分、バランスの問題だと思います。
情報提供の弱者保護と、発言の責任の所在の確認という二つの相容れない価値がぶつかり、そのバランスが求められるのだているのだと思います。
結局「顔なしインタビュー」が中途半端なのではないでしょうか。
弱者を保護するのであれば、音声だけとか文字だけにすればよいと思います。
Q3. 回答する
メディアの発達と変化により、無責任に発信できる機会が増えてしまった。
昔は公での発言と、私的な発言の境界がはっきりしてきた。
しかし、今は、私的な発言と公的な発言の中間領域ができて、それが拡大の一途をたどっている。
誰でも公的に発信することができる代わりに、私的なことも公的になるリスクを負う。
中間領域に、何か準公的な規則、倫理のようなものを確立する必要がある。
 
 
稲増龍夫
法政大学教授
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
ほぼ全面的に委員長談話を支持します。ネット上の意見・コメントがおおむね匿名である以上、逆に、テレビにおける、原則「顔出し」は信頼性を担保する上で重要である。ただし、その上で、犯罪を目撃した人や隣人などが「顔をさらす」ことで、後で危険な目に遭わないようにとか、内部告発などで不利益が予測されるためとかで、「顔を隠す」際は、その旨をはっきりテロップで明記すべきである。この原則を各社で徹底すれば、混乱はなくなるはずである。
ただし、この話題から離れる一般論であるが、街頭インタビューを多用するのは、きわめた安易な構成手法で、最近では、視聴者がインタビュー慣れして「予定調和」の内容しか語らず、さらには「やらせ」の温床になったりしているのが残念である。アンケート調査なども効果的に用い、多角的番組構成を期待したい。
Q3. 回答する
「個人情報保護法」以降の流れで、プライバシー保護に過剰に反応する傾向が強まっているが、もっとも、ブログやSNSでは、プライバシーの「垂れ流し」も激しく、そうした意味での二極化によって、一方で「匿名化=クローズ化」が進行し、一方で「公開化=オープン化」も拡大しているのが現状である。
 
 
武貞秀士
拓殖大学大学院特任教授
Q2. 「1 - 賛成である」の回答理由
インタビューを受けて、自分の意見を述べるときは、顔を出して、つまり、誰であるかが明確になる形で意見を述べるべき。この見解には自分が責任を持ちますという場合に、社会に向けて発信してほしい。
なぜ委員長談話に賛成をするのか。
 第1に、顔なしインタビュー数が増えすぎたように思う。顔なしインタビューの場合、発言者が誰なのか特定できない。それを「活用して」、本当にその発言をする資格があるのかどうか不明である場合、発言者の本人が内容に自信がない場合、本当にそうは思っていないのに発言しようと思っている場合、特定の人に対する個人攻撃になる恐れがある場合でも、比較的気軽に顔なしインタビューで報道してしまっている場合が増えていることはないだろうか。
 発言のウラがとれないけれども、報道のなかのポイントを浮き立たせるために、あいまいな内容でも顔なしインタビューで補強しているという場合があれば、それは大いに問題だと思う。
 新聞記事においても同じことがあると思う。重要な判断の決め手になるようなところで、具体的な引用源をボカシながら、(朝鮮半島筋)(日米軍事筋)(防衛関係筋)といった表現で、情報源を特定できないように配慮して、大胆な説明をする記事が増えているように思う。重要な発言であるが、発言者を特定してしまうと、その人の立場に影響があり、不公平な扱いを受ける可能性があるので引用源を曖昧にするというのであれば、許容の範囲内だろう。
しかし、大事な説明、引用部分であり、「その証言があるのなら、認めざるをえないかな」という部分を(○○○筋)で書いてしまっては、記事全体の信頼度が落ちる。もともと、証言のウラをとらずに記事にしていたのではないかという疑問が残る。研究者の世界でいえば、これは許されない。必ず注釈という形で情報源、資料源、参照先を明記して、第三者があとで検証できるようにしたあとで、公に対して公開しなければ、研究成果として認められない。
 インターネットによる書き込みという形式が発達してきたことで、顔なしインタビューには、人々に抵抗感が無くなってしまったのかもしれない。自分の経験では、無記名の書き込みが掲載されているサイトで、自分のテレビ番組での発言について、読者に対して誤解を与えるような書き込みがいくつもあるのを発見したことがある。あいまいな事実、根拠がないこと、大胆な憶測、妄想の類でも、人は特定されなければ発言してしまうという事例が、いまの社会には増えているのではないか。それに歯止めをかけるためにも、顔出しインタビューを原則とすることを徹底していただきたい。
第2に、インタビューを受けて、自分の意見を述べるときは、顔を出して、つまり、誰であるかが明白になる形で意見を述べるべきだと思う。この見解には自分が責任を持ちますと明確にしてこそ、社会に向けて発信することが許されるようにしていただきたい。どうしても個人が特定される可能性があるときはどうすべきか。インタビュー映像の放映を断念すればよいではないか。
第3に、顔なしインタビューがどうしても必要であるときもあるだろう。そのときは、顔なしインタビューを認めることの是非を検討した上で、なぜ顔なしインタビューが必要であるのかを社会に説明をすればよいではないか。その説明まで省く必要があるというのであれば、「匿名性」によって、映像の「きわどさ」を鮮明にしようという狙いがあるのかしらと視聴者は深読みをしてしまうかもしれない。
 
Q3. 回答する
確かに、報道のなかに匿名化が行き過ぎる傾向がある。いまのままであれば、ボカシのはいった報道が多数を占めることになる可能性がある。顔なしインタビューが多数になると、視聴者はメディアによって情報操作をされていると感じるようになるのではないか。それは報道にとって自殺行為になると思う。匿名で特定の国家、団体、個人を誹謗中傷する媒体がある。名誉毀損、人権蹂躙といいたくとも、相手は匿名だ。無くすのは至難のことらしいが、困ったことだと思う。テレビ、新聞といった公器には、やはり、ボカシなど加工を施して匿名にしたまま映像を使用することはしないという勇気を期待したい。
 
 
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2. 反対である

中津孝司
大阪商業大学総合経営学部教授,国際問題評論家
Q2. 「2 - 反対である」の回答理由
事件性の高いケースを想定して、原則、反対。
原則、反対だ。さまざまなケースが想定されるが、事件性の高いケースの場合、インタビュー対象者の安全、生命をどのように担保するのか。匿名であるからこそ、得られる情報がある。
Q3. 回答する
匿名で良い。情報源を特定するのは治安当局の仕事。一般市民に知る必要性はない。
 
 
にしゃんた
羽衣国際大学教授/落語家
Q2. 「2 - 反対である」の回答理由
顔出し、無しは、今まで通り記者の良心、倫理感に委ねて良い。BPOには、国民が最も知りたいエネルギー、憲法、安全保障、選挙、大企業の利益誘導等々、もっと大きな枠組みの題材について、メディアが倫理的に「国民の知る権利に奉仕」しているかを追及してもらいたい。
BPO放送倫理・番組向上機構「放送と人権等権利に関する委員会」委員長がメディアに対し「原則顔出しインタビュー」を要望し、同時に取材を受ける側の「プライバシー、名誉、肖像などは、みだりに侵害されることの内容保護することも必要」と表明した。今でも原則そうではないのか、現状と何が違い、何が変わろうというのだろうか解りにくい。顔なしインタビューの場合の理由の提示を求めているが、インタビューを受けた人間が単純に出たくないか、後になって不利益を被る可能性を警戒しているのか、顔出さない、理由がわざわざ書かなくても、今までと変わらず決まり切ったことではないのか。その前に「放送と人権等権利に関する委員会」委員長の要望とは、組織としてのBOPの要望なのか、一個人の主観を述べているだけなのか理解に苦しむ。

要望者が今まで以上に、インタビュー受け手の顔出しを促したようである。理由は「国民の知る権利を保障・貢献」するためと言っている。国民が知りたい最優先的内容は何か、それは「真実」であり、情報提供者の顔を知りたいは、二の次三の次、極論言えば、知らなくても良い。政治、企業、マジョリティーetcの権力に対し、権力をもたない一人間がメディアを通して問題提起することもある。顔出し前提なら、権力にとって不都合な真実を暴いたために、反撃されるのではないか、攻撃されるのではないかと委縮するに決まっている。たとえ公益性のある真実を公表したいと考えても、顔を出さない限り無理と言われた場合、国民が失う知る権利をBPOの彼がどのように考えているのだろうか。それともこれは「物言うな!」という圧力をかけているのか。勘ぐられても仕方がない。

情報統制されかねないと懸念される今、今後の日本にとって最も必要なのは、あらゆる「真実」を知る権利の保障である。BPOに必要なのは、力をもたなくとも「真実」の送り手(インタビューの受けて)となり、権力と向かう人間の人権を守ることなのではないか。

一昔前と比べて「テレビ」は変わってきている。かつて一回放送で終わりだったテレビの放送も今はまるで違う。今のテレビは、テレビ放送に、ビデオ録画、インターネット上の録画再配信、ブログやTwitterなどと幅広く連携し合っている。つまりテレビ一回発した情報は、BPOの管轄であるテレビ放送の域にとどまらず、違法も含め二次利用三次利用と簡単に展開され、大いに悪用もされる。テレビで取り上げた人間の家族構成、自宅住所までの個人情報が、テレビ放送後一時間もすれば、ネット上で簡単に手に入る。かつてのテレビなら、インタビューの受け手の人間の顔がくっきり映されていたところで、時間の経過とともに脳裏から消え去ったでしょうが、このご時世は、映像としてまたは、インタビュー内容が活字化され、ネットにアップされ、二次利用、三次利用され、永久にだれでもアクセスできる形で、デジタルタトゥとして世に存在する。顔出しインタビューを受けることは、一生を棒に振ることになりかねないとも考えられる。

顔出し、無しは、今まで通り記者の良心、倫理感に委ねて良いのではないか、BPOには、もっと大きな枠組みでのメディアの倫理観について追求することを求めたい。国民が最も知りたいエネルギー、憲法、安全保障、選挙、大企業の利益誘導等々、についてメディアが「国民の知る権利に奉仕」しているかなどの倫理追求こそBPOに厳しく取り組んでもらいたい。
Q3. 回答する
確かに、社会の匿名化が行き過ぎている。自ら名乗らずして人々を罵倒し攻撃する。テレビというより、ネットはこの傾向が甚だしい。テレビがネットと連携した番組作りが盛んになってきている。ネットの呟きが番組で取り上げられる時代である。現時点では一意見として、コメントとして紹介するところで留まっていることが多い。真実を暴くなど、信ぴょう性の追及に活用されているということはまだ珍しい。今度、双方メディアの発展に伴いテレビがますますネットのなどの情報を活用するようになると、現状匿名化されている情報送り手に対して個人情報を保護する形での人物特定はもちろん、情報の信ぴょう性の確認する作業をテレビが独自で行う必要があろう。

テレビはともかく、ネットにおける匿名化が気持ち悪いほどである。社会貢献や建設的な内容に関しての情報発信なら大いに歓迎したい。しかし現実は、特定個人を蹴落としたり、罵倒したりを匿名でやっている。日本の場合、メディア・リテラシーは全くもって育っていない。国民に対し、子どもの頃からのメディア扱いについての教育を行う必要があろう。匿名で、何の生産性もなく、ひたすら人を罵倒することを趣味にしている送り手のメディアを閉鎖する措置をとることを大いに期待したい。テレビは、今度ますますネットと連動していく以上、これもBPOの仕事内容になっていくのかもしれない。
 
 
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3. どちらでもない

坂野尚子
株式会社ノンストレス社長
Q2. 「3 - どちらでもない」の回答理由
自分の意見に責任を持つことの大事さはよく理解できます。特にネット社会の匿名性故の無責任さ、事実誤認をエスカレートすることによる破壊力など、その怖さは指摘の通りだと感じます。

一方、以前テレビの報道に関わっていた人間としては、匿名やぼかしがあるからこそ、真実を語っていただけた経験があり、特に事件報道の周辺にいる一般人への取材に、実名や顔だしインタビューはありえないのではと思います。

よって、この二つは、分けて考えるべきだと思います。
言論や表現の自由とその反対にある責任を理解しつつ、きちんと顔だしで名前を出し発言をする、ということと、事件報道の一般人への取材を一緒に討議することはできないと思います。
Q3. 回答する
無責任に発言できる時代です。その無責任さが時として破壊力を増し、社会を混乱させます。
IPアドレスで特定できることを明記するなど警鐘はならすべきでしょう。
口コミサイトの信頼性も含め、世の中の道しるべは匿名では成り立たないと思います。
 
 
南淵明宏
医療法人社団 冠心会 大崎病院 東京ハートセンター  心臓外科医
Q2. 「3 - どちらでもない」の回答理由
この議論は不毛だ。そもそもインタビューなど、トリミング、加工、やらせ、誘導、さらにそれらが編集されてメディア側の意図通りの発言の部分だけが放送されるのだから、発言者もいい迷惑である。また、顔隠しを無くすと貴重な情報提供の機会が失われる、との反論もあろうが、報復を意図する側にとって、発信源を特定することなど簡単。そういう意味でもメディアなど信用できない、チンピラの集まりであることを社会はしっかりと認識している。そういう現状を自覚せず、顔出し、顔隠しを議論するなど茶番だ。なるほど自分の保身だけで現実が何も見えていない社畜どもの支配するメディアらしい不毛な議論だ。
Q3. 回答する
社会に行きすぎた匿名化が蔓延している、というのは言い換えれば卑怯者が闊歩する情けない世の中で、憂うべき状況だ。その状況に嫌悪感、危機感を持つ良識は未だ存在している、と信じたい。
卑怯者はクズ、という価値観が社会に存在に存在していると信じたい。
卑怯者はオンナには絶対にもてないのである。
ところだが、都議会の自民党らしき議員どもによる下劣な匿名女性差別ヤジ(暴言)が不問にされた事実は、一億総匿名化、一億総卑怯者、の時代に突入したことを表しているように思える。
あんな卑怯者を決してサムライとは呼べない。
企業の不祥事や裁判所の不手際でも責任者が出てこないで「再発防止に努めます・・・」とせこいコメントだけ残して責任者は出世に響かないよう、こそこそと逃げ回る醜態を演じている。そんな姿を子供はしっかり見ている。
そんな卑怯なおっさんらの「保身テクニック」がこの匿名化の強力なドライビング・フォースだ。
BPOで問題視された報道についても、だ絵が責任者なのかわからないでうやむやにされて幕引きされ、我が国特有の組織といった小社会単位内の堅固なる風土について、まず議論されるべきではないだろうか。
重要な提案だが、今後、刑事事件や行政裁判では検事や裁判官が必ず名前と顔を出してコメントしてほしい。そういう報道をしっかりとメディアはしてほしい。どうせ無理だろうが。
 
 
岩渕美克
日本大学法学部教授
Q2. 「3 - どちらでもない」の回答理由
 まず委員長談話という形をとったことから、機関決定まで強く言うわけにはいかないが、昨今の安易な番組つくりに警鐘を鳴らしたいとの思いは十分に伝わります。取材源の秘匿という観点と顔無しにすることによるやらせなどの横行を戒める働きを持たしています。その意味で、この談話については、意図は分かるがその内容がどこまで番組制作者を縛るのかが不明である点で、いたずらに騒ぎを起こすだけになる可能性も排除できないので、あえて賛成も反対もできないという答えになりました。
 「談話での原則禁止」の効力があまりに玉虫色すぎるので、もっと議論になるくらいに過激な内容にするか、製作者を全く拘束しないお願い程度にするかの両極端の方が議論がより喚起されるという意味で興味深かったような気がします。
 こうした問題は制作者を性善説でとらえるか性悪説でとらえるかによって、意味内容が変わってきます。性悪説にとらえている要素が強いので「原則禁止」となったと思われます。善意を持つ製作者からは反感が出ることを承知の上での談話であれば致し方ないし、それほど報道や番組制作の現場が倫理観が欠如していると捉えているのでしょう。どちらにせよ、倫理観についてはメディアの現場で徹底させていただかなくては名rないと思います。
 話を大きくすると、現在の就職試験等でこうした倫理観に関する番協をしてきたかどうかといったマスコミ論の受講経験などが全く考慮されていない状況についても考えなくてはいけないかもしれません。
Q3. 回答する
 ネット社会の登場と匿名化の問題は切り離しては考えるべきではない。しかしながら、ネット上の一見した匿名化はよほど慎重にしなくては匿名足りえず、すぐに名前等が特定されてしまう。そうしたことを考えると、行き過ぎた社会の匿名化が現実にはどの程度存在しているのかということから考えていかなくてはいけません。一見した匿名化や本人だけが匿名と思っている疑似匿名化が社会問題化することになると感じています。
 
 
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4. その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)

本田宏
医療制度研究会副理事長
Q2. 「4 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
匿名化以前に①賛成・反対問う設問の場合にはインタビュー対象者の数と賛否の割合等を明示すべき②インタビューの一部のみ切り取られ結果的に個人の名誉や権利が侵害される危険あり③非匿名化で少数意見を持つ者がその後の社会的影響を懸念しインタビューに消極的になる危険性あり。
 「行きすぎた社会の匿名化」という問題意識については賛同できる。しかし以下の点で報道の現状を改善することも同時に行わなければ、インタビューが恣意的に利用される危険性がある。
①賛成・反対問う設問の場合には、インタビュー対象者の数と賛否の割合を明示しなければ、恣意的な世論誘導が可能となる。可能な限りインタビューに用いた時間や場所さらに対象者の数(インタビューに応じたか否かの割合も)を明示すべき。
②現実にはインタビューの一部のみ切り取られて報道がなされ、その結果個人の名誉や権利が侵害される危険性がある。
③非匿名化することで少数意見を持つ者がその後の社会的影響を懸念し、インタビューに消極的になる危険性がある。結果的に国民の意見が伝わりにくい社会となる。
Q3. 回答する
 実名公表して意見を述べることは、民主主義社会の必要最低条件。しかしそのためにはそれを理解・許容する社会と、国民のメディアリテラシー向上が必要。
 一方、匿名化するか否かは個人が選択する権利を有する。もし日本で実名で意見を述べることを躊躇する人物が多いとすれば、日本社会やメディアにも責任の一端があるという視点も不可欠。
 
 
森信茂樹
中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員
Q2. 「4 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
私はインタビューされる立場から、基本的に実名で行うべきだと考える。それは、有識者という立場でのコメントが求められているからという理由である。

他方、事件のような場合の関係者については、プライバシーという問題があり、異なる考え方があってもいいような気がする。つまり、ケースを分けて考えるべきではないか。
Q3. 回答する
自分の意見をネットなどで述べる場合は、原則実名にすべきと考える。

「綸言汗の如し」というのが私の信条である。
 
 
安冨潔
慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授,弁護士
Q2. 「4 - その他(設問・選択肢以外の視点・考え方)」の回答理由
「委員長」談話の「安易な顔なしインタビューが行われていないか」という前提
事実についてどのような事実を想定しているのかが不明です。
その意味で,具体的な前提を明らかにしないまま,\\\"行きすぎた社会の匿名化“と
結論づけるのはまったく説得力がありません。そもそもここでいう「社会の匿名
化」とはなにを意味するのかがわかりません。
これまでも報道機関は, 顔出しインタビューを原則としてきたと理解しています。
その運用に疑問があるというのであれば,具体的な事実を摘示すべきです。
Q3. 回答する
社会の匿名化ということの意味が明確ではありません。
 
 
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