フィリピン共和国

フィリピン台風被災地取材17日間を語る
■FNSチャリティキャンペーン推進室 川口哲生

4月22日。
首都マニラから約1時間のフライトで、僕らはレイテ島のタクロバン空港に降り立った。タラップを降りると同時に、 灼熱の太陽光線が肌に突き刺さる。サウナ風呂のように蒸せる外気。吹き出す汗。
乗客のスーツケースを乗せて回るはずのターンテーブルはまったく動く気配もなく、まるでガラクタ市の陳列棚と化して、そこに重々しい荷物が廃棄物のように積まれていく。押し合い圧し合い、必死で自分の預け荷物を探す人々…。
何だこりゃ!?
… 僕らの現地取材はこうして始まった。

フィリピン共和国序の口だった。現地ユニセフのスタッフにいざなわれて向かった先は、タクロバン沿岸部の貧民地区(アニボン)。
車から降りた途端に、目の前にバーンと飛び込んでくる異様な光景。船だ! しかも住宅街に。10mはあるだろうか。
一瞬、これは船の形をした“建物”なのではないかと錯覚する。 巨大な船体は陽光を遮り、そこにできた日陰には多くの住人達が屯している。
ある者は食べ、ある者は洗濯し、ある者は昼寝し、そしてある者はひたすら語らっている。
驚いたのは、そんな住人の多くが、見知らぬ僕らを見て明るく微笑みかけてくることだ。手を振る者もいる。
特に幼い子供達は、どこでも人懐っこく近寄ってくる。「Hello!」「Hello!」…。最初はこちらがちょっと警戒していたけれど、 決して物乞いなどではなかった。
みんなが、大きな目で、大きな声で、とびっきりの笑顔で、異邦人の僕らをオモテナシしてくれているのだ。
自宅周りでも職場でもめっきり気軽な挨拶をしなくなった日本人の自分にとって、これは正直言って"衝撃"だった。
フィリピン共和国でも、彼ら彼女らの多くが、実は親兄弟・姉妹を失い、家や職を失い、体力や気力さえも失っている。だから、屈託の ない笑顔の裏側には、"修羅場"を味わった者のみが抱える言いようのない深い深い憂鬱がある。彼らはひょっとして、 ひたすら微笑むことが、自らの心の傷を癒やす唯一の処方箋だと本能的に感じているのかもしれない…。
いっぽうで国内外からの来訪者や観光客(多くはNPOやNGO関係者)は、こんな被災者達の気持ちなど慮る気配もなく車で乗りつけてくる。そして、陸に乗り上げて行き場を失った巨大船舶と“微笑みの民”を巻き添えにして、能天気に記念 撮影などを済ませるやいなや、再び車に乗り込んで足早に立ち去って行く。住民達の笑顔に安堵し、復興が順調に進んでいるのだと錯覚しているかのだろうか。観光地ではよく見かける光景。
だが、そこに佇んでいる僕には、それがまるで「地獄絵図」のように見えた。

フィリピン共和国来る日も、来る日も、猛暑の中でひたすら被災地の取材が続く。レイテ島、そして隣接するサマール島。数百kmに及ぶ海岸線に沿って、延々と続く台風被害の爪痕。全東京都民の数よりも、さらに多くの数の住民が被災した。彼らの多くは 高潮や暴風雨で家を失い、ブルーシートやベニヤ、錆び付いたトタンや瓦礫を掻き集めてバラック小屋を作り、そこで 犇めき合って暮らしていた。電気もガスも飲み水も布団もない。もちろん風呂やトイレさえない。そしてひどく暑い。
「過酷」という言葉などでは到底言い表しきれない事態。僕は、猛暑の中なのに、何故だか感性だけが凍りついてしまう ような不思議な感覚に襲われていた。
多くの人々が死んだ。高潮に飲み込まれ、暴風に吹き飛ばされ、さらに竜巻も発生したらしい。道端の空地に作られた夥しい数の仮設墓地。日暮れ時、普段は陽気なはずのフィリピン人の遺族が、静かに蝋燭に灯をともし、暗がりの中、身じろぎもせず手作りの墓標の前に蹲っている。無言で。丸い肩が悲しげに震えている。けれど、その表情は見えない。
2週間におよぶ滞在中、いったい何人の人々にカメラを向けただろうか? 多くは子供達だった。不幸を背負わされてしまった少年・少女のかけがえのない人生や、今を生き抜く源となる感情の深部を必死で切り取ろうとする。どれだけ切り取れたのかは分からない。
フィリピン共和国台風襲来当日の絵を黙々と描き続けるニコ。引き籠りになりながらも必死で笑顔を作るエリカ。ガラクタ集めをしながら5人兄弟の長男として家族を支えようとするジェラルド。頭に深い傷を負ったアンジェリカ。ひたすら材木運びに精を出すベンジャミン…。みんな言葉数は少なかったけれど、誰もが強い"目力"を持っていた。そして控えめな笑顔があった。

子供達一人一人の顔が今でも忘れられない。
5月7日、帰国。
僕のフィリピン取材の趣旨を知らない日本の仲間達からは、明るく声をかけられた。
「フィリピンに行ってたんですって? 楽しかったでしょう。」
そう、楽しかった…。少なくともフィリピンの人達からは、「楽しくなければフィリピンじゃない!」と、教えられたような気がしていたから。
フィリピン共和国でも、本当にみんなが楽しくなるためには、このままじゃいけないのだ。彼らが心から楽しく暮らせるためには、絶対に助けが必要なのだ。東日本大震災で日本が苦しんだあの時に、真っ先にアクションを起こしてくれた国の一つが、 他ならぬフィリピン共和国であったことを知る日本人は少ない。今度は僕達がアクションを起こさなければならないと、 真剣にそう思う。
たかが募金、されど募金。僕らが無心に財布から差し出したお金が貴重な"燃料"になる。それはフリーズしていた生活のターンテーブルを動かす。そして、そのうねりの中から生まれた一陣の風は、あの笑いながら泣いていた子供達の涙を乾かすに違いない。
必ず…。

2014年度、FNSチャリティキャンペーンはフィリピン共和国を支援します。
被災したアジアの同胞達の、本当の笑顔のために。
僕らは、本気です!

(株)フジテレビジョン
FNSチャリティキャンペーン事務局
現地取材プロデューサー
川口 哲生