フィリピン共和国

「フィリピン レイテ島」取材報告
■フジテレビアナウンサー 森本さやか

「台風?本当に?」
フィリピン共和国私がフィリピン・レイテ島タクロバンで見た被害の爪痕。「これは台風によるものなんかじゃない、もっと違う何かだ」。街の光景を見た時、そう思わざるを得ませんでした。去年11月8日にタクロバンを襲った巨大台風ハイエンは、私たちが思い描くよりはるかに大きく、また、それは台風に慣れている現地の人にとっても、今まで経験したことのない、想像もしていなかった勢力だったのです。

フィリピン共和国真ん中でポッキリと折れたヤシの木や、あちこちに点在する焼け焦げた車。陸地に打ち上げられた大きな貨物船4隻はそのままの状態で放置されていました。沿岸部だけでなく、都心部まで浸水した街には約半年経ってなお、至るところにガレキが。今回被害を受けた地域が広範囲のため、フィリピン政府また行政は、新たに仮設住宅を建てる土地や、復興予算の確保がうまくいかず、復興が進んでいるとはとても言えない状況です。
フィリピン共和国そんな中で、家を流された人々は、国の支援など待っていられず、ガレキの中から使えそうなベニヤ板やトタン、段ボールを自分たちで集めてきて、とんかちを片手に釘を打ち付け、家を作って住んでいました。手作りのため、お世辞にも立派とは言えない、ちょっとした雨風を凌げる程度の簡素な家です。「もうすぐ来る台風シーズンで、また飛ばされませんか」と聞くと、「飛ばされたらまた作ればいいんだよ!」と笑顔で明るく答えるその姿は、日本人の私にはとても逞しく見えました。フィリピンの人たちの決して立ち止まらずに前へと進もうとする人間の底力を感じた瞬間でした。

頑張っているのは大人だけではありません。現地で出逢った多くの子供たちもまた、大きな悲しみを抱えるには小さすぎる身体で必死に生きていました。高潮に流されても何とか助かった子や流された際に怪我をして体に大きな傷が残っている子、家族を全員失ってしまった子。あの日、あの朝方、あの瞬間に、全てが変わってしまいました。

フィリピン共和国家族を失い、現在は義理の兄と二人で暮らす14歳の少年ニコ。知人の家に避難しようと外に出たところ水にのまれ、離れ離れにならないようと両親と弟2人と手を繋いでいました。しかし、高潮の威力の前に力尽き、その手は離れてしまったのです。彼に今もきっと残るであろう、家族の手の温もり。そのことを思うだけで、胸が苦しくなりました。でも、ニコは自分が経験した台風のことを忘れたくない、覚えていたいと言うのです。そのためにニコがしていること。それは、あの瞬間何があったのか、思い出したくないはずの光景を、何枚も何枚も絵を描き続けるということ。「両親に起こったことを描けば、いつでも両親のことを思い出すことができる」。ニコは私の目を見て静かにそう言いました。家族を思い出すために、絵を描き続ける。それは、ニコにとって辛い作業であるとともに、家族を近くに感じられる温かい瞬間でもあるのです。

フィリピン共和国沿岸部で出会ったジェラルド9歳は一生懸命働く男の子。家族は全員無事でしたが、家は破壊され、海のすぐ近くに建て直した家も一時的なものです。何より大変なのは魚市場で働いていた父親が職を失い、収入がゼロになってしまったこと。長男である彼は、いつも険しい顔をして、まるで小さな大人のようです。苦しい生活を助けるため、毎日ガレキの中からプラスチックなどお金になるものを拾い集め、わずかな小銭を手にするジェラルド。そのお金で夜になると真っ暗になる部屋に明かりを灯すための灯油を買います。兄弟のお世話に洗濯、掃除、炊事と遊ぶことより仕事が優先の暮らし。それでも「家族のために働くことが好き」と純粋な目で言います。知り合いが何人も亡くなった現実を目の当たりにして、苦しくても辛くても、家族全員が揃っていること。それこそが彼にとってこれ以上ない生きる希望なのです。パイロットになる夢を語った瞬間、子供らしい笑顔がこぼれました。親に甘えたり、友達と遊んだり、ジェラルドが子供らしくいられる時間が少しずつ増えることを願って、別れを言いに行きました。「明日から寂しくなる」と言った彼の目が忘れられません。

フィリピン共和国笑顔を絶やさない子もいます。台風で両親、兄妹を亡くし、一人ぼっちになってしまったエリカ12歳。彼女は訪ねて行った私を笑顔で迎え入れてくれました。今、面倒を見てくれている叔母さんに対しても、可愛らしくニコニコとほほ笑んで会話をしていました。高潮が襲ってきた時のことを聞いた時も、涙を流しながら、同時に笑顔を見せるエリカ。悲しいことしかないはずなのに、何を思ってほほ笑むのか。「周りのみんなを悲しませたくないから。心配をかめたくないから」。台風後、外出するのが怖く感じるようになったエリカは、少しずつ近所の教会や市場まで出かけるようになり、これまで一切しなかった料理の手伝いもするようになりました。彼女の踏み出す一歩はわずかかもしれません。でも彼女なりに覚悟を持って、前に進もうとしています。

被災地を訪れて感じたこと。街のインフラなどについては1日も早く復興をと思いますが、心の復興は人それぞれのペースがあります。私たちができる支援というのは、落ち込んでいる人を前から無理矢理引っ張るのではなく、時間がかかってもゆっくりとでも前を向き始めた人たちを、しっかりと後ろから支えることなのではないでしょうか。

フィリピンの国民性というのか、大人も子供もほとんどの人たちが日本から来た私たちを明るい笑顔で迎えてくれました。しかし、心の中にはさまざまな悲しみを抱いているはずです。心の奥にある「本当の笑顔」が見られる日まで。その心に寄り添い、見守り、支援していきたい。そう心から思いました。

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