「地震から半年たった今も、街の中の瓦礫は片付けられていません」
私が最初に東日本大震災の被災地に入ったのは震災から1ヶ月ほどたったころで、発生直後に現地入りした先輩からは、「テレビで映し出される以上の惨状だ」と聞いていましたが、実際に仙台空港の上空から見た町は、美しい海岸の景観などすべてが変わり果てていました。この状況で、どこまで被災地の皆さんの本音を聞き出せるだろうか、多くのメディアが押し掛け取材疲れしていないだろうかなど、いろいろな不安が心の中に去来していました。
被災地へは4月に続き、『トクだね!』で放送するFNSチャリティキャンペーンの番組の取材で6月に1週間入りました。
あるお母さんは目に涙をためながらこう話してくれました。
正直なところ、私はどう答えていいのか分かりませんでした。ちょうどそのときに、阪神大震災を経験した兵庫県警の女性警察官の方が、優しくお母さんにこう声をかけたのです。
確かに子どもたちはしっかりとこの現実を受け止めていました。
まだまだ震災以前の状態からほど遠い被災地の現実。1ヶ月、3ヶ月、半年、そして、すぐに1年…。震災後、あれから何ヶ月という特集をテレビや新聞で何度も見ましたが、決して「区切り」をつけたり、報道することを止めてはいけないとも思いました。 |
震災から2ヶ月がたとうとしているゴールデンウイーク明け。取材は、岩手県から宮城県の沿岸部で、被害の大きかった幼稚園を訪ね、話を聞くことから始まりました(当事、福島県は原発事故の問題で立ち入ることが難しかった)。
「子供たちが津波ごっこをする」「近しい人を亡くした子供がふさぎ込んでいる」。どこかで目にし、耳にした情報を頭の片隅に向かった幼稚園で出会った子供たちは意外にも、もちろんそれぞれに複雑な状況を抱えながらも、明るく、元気な様子で生活していました。
しかし、その一方で予想もしなかったことが起きていました。 子供たちが、一人、また一人と町を去っていたのです。
考えれば当然のことです。育ち盛りの子供にとっての1日1日は、大人のそれよりも大きな意味を持ちます。「何もかもがなくなった町で、まともな子育てはできない…」。子供の教育環境を優先し、いち早く故郷を後にした親たちは少なくありませんでした。
何もなくなった町から、さらに子供たちが消える…。それは、本当に恐れるべき事態だと感じました。5年、10年後、町が復興を果たしたとしても、その町の未来を担う「人」がいない。 「幼稚園が復活しなければ、この町に未来はない…」。
今回、番組で取り上げた幼稚園以外にも、多くの幼稚園が早期の再建を望んでいました。しかし、残念ながら震災から7ヵ月が経った今も、その状況はあまり変わっていないという話も聞こえてきます。被災した人が、家族が、そして町が、本当の意味での復興を果たすためには、幼稚園の再建は、いち早く取り組まなければならない課題の一つであることは間違いありません。
被災地で出会った人たちは皆、本当にすてきな人たちばかりでした。避難所では、段ボールの仕切りの中で、「こんな場所で申し訳ないが…」と言って、お茶をいただきました。取材した園児のお宅では、決して十分でない支援物資で生活する中で、ご飯をごちそうになりました。もちろん、被災地を取材する者として、それに甘えてはいけないのですが、こんな悲惨な状況のなかでも、他人を気遣うことのできる人たちに、本当に頭の下がる思いでいっぱいでした。
「こんなすてきな町を、故郷をなくしてはいけない」。その思いを強めると同時に、未来を担う子供が安心して成長することのできる町を、早く取り戻さなければいけないと思うのです。 |