津波被害から3年後のバンダアチェ
〜人々の逞しさに感動〜
【1ページ】 2ページ→ 3ページ→ 4ページ→
FNSチャリティキャンペーン推進室
田中亮介
photo12007年10月31日(水)11時20分。スタディツアー参加者の様々な思いをのせた日航機はインドネシアジャカルタへ向けて成田空港を飛び立ちました。
FNSチャリティキャンペーンでは、過去の支援国や、今後支援するかもしれない国々を訪れ、各国の実情を視察する『スタディツアー』を行っていました。
ところが、1997年10月末にラオス北部のシェンクアン県に行ったのを最後に、『スタディツアー』は行われていませんでした。
そこで、昨年度より各局に働きかけを行い、今年ようやく10年ぶりのスタディツアーを再開の運びとなりました。
フジテレビと系列局からの参加者は5人でしたが、日本ユニセフ協会より2人のスタッフに同行していただき、合計7人の『スタディツアー』となりました。
今回の目的地は、2005年12月26日にスマトラ島沖地震で津波の大きな被害をうけ、10万人以上がなくなった、インドネシアアチェ州のバンダアチェです。

photo2私自身は2年4ヶ月前に取材に訪れていましたので、どのような変化を遂げているのかを見るのが大きな目的でした。
私たちを乗せた日航機がジャカルタのスカルノハッタ国際空港に到着したのは現地時間の17時30分(日本時間19時30分)、入国審査後、遅めの夕食をとり翌朝の早い出発に備えました。

photo3そう、翌日11月1日(木)は、スカルノハッタ空港を6時10分発のガルーダ機に乗らなくてはなりません。全員、ちょっと寝不足気味の表情でホテルロビーに集合し、空港に向いました。ジャワ島西部のジャカルタからスマトラ島最北部のバンダアチェまでは直行便で2時間45分。日本で言うと東京から沖縄までの飛行時間とほぼ同じです。

photo4定刻よりやや遅れて9時にバンダアチェ空港に到着。さすがにむっとくる暑さが私たちを出迎えました。空港にはユニセフバンダアチェスタッフの皆さんが迎えにきてくれており、挨拶もソコソコにまずホテルへ荷物を置きに向いました。

photo5.6景観はどう変わったのだろう?2年4ヶ月前とどこが変わったのだろ?胸がドキドキしながら町に向いました。途中、3万人が埋められた墓地に寄りましたが、ここは変化はありません。静かに両手を合わせました。
いよいよ町の中へ、でこぼこがあった道路はほぼ綺麗に治され、町並みもにぎやかさが戻っています。相変わらずオートバイの多さが目に付きました。
驚いたのは、40分後、宿泊ホテルに着いたときです。2年前は2軒のホテルしかなかったものが、なんと、真っ白な真新しいホテルが建っていました。そう、まるで地震などなかったかのように・・・・

photo46チェックイン後、ブリーフィングを受け、いよいよ視察開始です。
先ず、海岸線から3キロから5キロにわたってまるで爆撃を受けたような状態であったあの瓦礫の山の地域です。

photo7.7a地域に入ってビックリしました。本当に驚きました。あの時復興までに10年はかかると思われていた地が、人家の波に変わっていました。
画一的ではあったものの、赤い屋根の一戸建てが整然と並んでいるではありませんか。

photo8.9.10.11.12.
その中に、あのプレハブだった小学校があります。そこも、コンクリート製の綺麗な小学校に生まれ変わり、プレハブだった校舎は、コミュニティ施設へと生まれ変わっていました。子どもたちは芝生の上で、はだしでサッカーを楽しんでいました。もうこの後は驚きの連続です。

photo13あの内陸までうちあげられていた台船の周りにも人々の生活が始まっていました。
  2ページへ→
BACK
このページに掲載されている写真はすべて著作権管理ソフトで保護され、掲載期限を過ぎたものについては削除されます。無断で転載、加工などを行うと、著作権に基づく処罰の対象になる場合もあります。 なお、『フジテレビホームページをご利用される方へ』もご覧下さい。
フジテレビホームページをご利用される方へ