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アンゴラと聞いて皆さんはどんな国を思い浮かべるでしょうか?
私の周りのスタッフに聞いてみても、「ダイアナ元皇太子妃が地雷処理の現場を視察した所」と説明して、「あー、あの国か・・」とやっと思い出す程度でした。
そもそも今回の取材の話を頂いたのは去年の暮れのこと。FNSチャリティも30回を超え、今回はこれまであまり行ったことのないアフリカも候補地に含むとの事でした。さて、広大なアフリカでどこの国を取材したものか・・・。

アフリカのイメージというと、どうしても難民・飢餓といったネガティブなイメージが付きまといがちですが、なるべく前向きな作品にしたいと考えながら候補地の選定に当たりました。

結局、取材における現地の安全状況などを確認した後、およそ40年戦争が続き2年前に終戦を迎えたばかりのアンゴラに決まったのですが、局内に残っている過去のニュース映像を出してみると、やはりどれも戦時中のものばかり。ぼろぼろに崩れた建物、逃げ惑う人々、道に無造作に捨てられた遺体・・・と悲惨さばかりが目立ちます。
終戦から2年たったとはいえ、未だに暗い気持ちを引きずって生きているんだろうなと漠然と思いながらアンゴラへと旅立ちました。
最初の取材地は激戦地クイト。事前に見たおよそ10年前のニュース映像の中で人々が逃げ惑っていた街です。建物は未だに崩れたままで、電気・水道もない状態なのですが、唯一戦争中と違うことがありました。
人々の表情が底抜けに明るいのです。椅子を頭に載せて学校に通う小学生達、戦時中大勢の家族を失いながらも一生懸命勉強しようとする母親達。そして地雷原のすぐ脇で行なわれている、地雷の悲惨さを訴える寸劇を見て大爆笑する足を失ったおじさんを目の当たりにした時は、どうにも理解に苦しみました。
今回最も取材に時間を割いたのがフェリシアーノという少年兵の取材でしたが、彼もまた、時間が経過する内に心を開き、自らの戦争体験を赤裸々に語ってくれました。
17歳の時に、戦場で人を殺害するという経験をした彼はTシャツ1枚しか持っていません。取材を終えた別れ際に、私と田中アナが持っていた服を数枚あげたのですが、ギュッと胸に抱きしめ涙を浮かべながら「僕の事を忘れないでね」と語った彼の表情を今も忘れることが出来ません。

これまで私は、「チャリティ」というとどうしても悲惨な人々を哀れみ、寄付をするものという冷めたイメージを持っていましたが、今回の取材を通じ人間が本来持っている生きる力強さを彼らから教えてもらった気がします。

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