FNSドキュメンタリー大賞
江沢民主席歓迎夕食会で口にした「おゆるしください」という言葉…
中国とゆかりの深かった故・菅野俊作東北大名誉教授が、戦争を引きずりながら歩んだ人生とは?

第8回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『最後のことば 〜菅野俊作の戦後〜』 (制作 仙台放送)

<9月29日(水)深夜26時10分放送>

 時間は傷ついた人の心を癒す最高の治療薬だ。徐々に徐々に、「つらい記憶」を薄れさせてくれる。しかし、時にして歳月は、我々が忘れてはならないものまでも忘却の彼方に押しやろうとする。先の大戦から既に半世紀以上の年月が経過した。この間に多くの日本人の心から、戦争というものが“風化”していったのは事実だ。

 昨年11月28日、国賓として来日していた中国の江沢民・国家主席が、魯迅ゆかりの地である仙台市を訪れた。その晩、市内のホテルで開かれた宮城県、仙台市主催の歓迎夕食会には、宮城県側からは県知事や仙台市長をはじめ日中友好協会の関係者など61人が出席していた。その夕食会の半ば、一人の男性が江沢民主席に歩み寄り、挨拶を交した後、突然「おゆるしください」と二度言った…。
 その男性は、東北大学名誉教授菅野俊作(すがの・しゅんさく)さんだ。そして、菅野さんは翌日朝早く、急性心不全の為77年の生涯に幕を下ろした。
 9月29日(水)深夜26:10〜27:05放送の第8回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『最後のことば 〜菅野俊作の戦後〜』(制作 仙台放送)は、中国にゆかりの深かった菅野俊作さんの、どこかにあの戦争を引きずりながら生き抜いた人生を追った迫真のドキュメンタリーだ。

 1921年(大正10年)11月、山形県尾花沢市に生まれた菅野さんは、幼い頃に凶作に苦しむ山村の農民を目の当たりにした。その体験が、その後、専門の農業経済学に足を踏み入れる一つのきっかけとなる。
 やがて、「大東亜共栄圏」という名のもとに菅野さんは、「アジアの繁栄」を夢見て1941年(昭和16年)に上海へ渡り、東亜同文学院大学に入学、中国で青春時代を過ごすことになる。既に日中戦争に突入していた現地で目の当たりにしたのは、日本が中国大陸で戦線を拡大しているという事実だった。苦しむ中国の人々と故郷山形の農民たちの姿が重なっていくと同時に、“何か”が菅野さんの中に芽生えていった。
 その後、菅野さんは学徒兵として現地召集され、東南アジアに見習将校として送り込まれたが、そこでは多くの若い兵士たちの死を否応なく目にすることになる。
 戦後、日本に戻り、昭和28年に東北大学の大学院を終えた菅野さんは、母校で教鞭を執るかたわら、中国との付き合いを深めていく。宮城県の日中友好協会理事長を務めたほか、専門外に魯迅研究にも手を染め、1986年仙台市で行なわれた魯迅没後50周年記念祭では、実行委員に名を連ねたほどだった。
 東北大学を定年退官した後、菅野さんは私財を投じて仙台市内の自宅の敷地に「思源寮」を建てた。この「思源寮」は中国人留学生のためのアパートだ。経済的に余裕のない留学生たちの暮らしを多少なりとも手助けができれば、と周辺の賃貸アパートの家賃の相場の半額ほどで提供している。「思源寮」が始まって10年。これまでに30人あまりが、ここで勉学に励み、巣立っていった。夫人の貞子さんとともに、日本での父母として留学生たちの面倒を見てきた菅野さん。どの留学生も異口同音に、「菅野先生のことは忘れない」と言う。
 そんな彼が、「おゆるしください」という言葉を残して、この世を去った…。

 菅野俊作という人物を番組で取り上げたきっかけについて、取材に当たった仙台放送の岩田弘史ディレクターは、こう語る。
「私は、生前の菅野さんに会ったことはありません。菅野さんのことを知ったのは、今年の1月に別の番組の取材で、88歳の老歌人と一杯やっている時でした。この老歌人は菅野さんと同じく、長年東北大学で教鞭をとり、名誉教授という肩書きも持っています。なごやかに歓談していた最中、彼がボソリとつぶやいたのです。『なかなかのヤツがいたんだ。おもろい男だった』。それは唐突でしたが、場の雰囲気にしっくりとした響きを持っていました。『その男は、菅野俊作という男だ。去年の11月の終わりごろ江沢民さんが来ただろ。その時に“おゆるしください”と言って、次の日亡くなったんだ。なかなか、最後までやる男だった…』。その時私は、『あっ』と感じました。はっきりと言葉には出来ない、何かを。こんな風に、こんな言葉で語られる男のことを知りたいと思ったのです。それが、この番組の始まりで、全てです」
 そして、こんなことをつけ加えた。
「実をいうと、生前の菅野さんの映像はほとんどありません。周辺取材で彼と彼の人生にどこまで迫れるかがポイントですね」
 番組では、菅野俊作という人物の生き様を、周辺の人の証言と遺稿、さらに彼の足跡をたどった中国の取材を通して浮き彫りにし、彼が終生問い続けた「平和」ということと合わせ、「生命」の尊さについてもう一度考える。


<番組タイトル> 第8回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『最後のことば 〜菅野俊作の戦後〜』
<放送日時> 1999年9月29日(水)深夜26:10〜27:05
<スタッフ> プロデューサー : 吉田荘一郎
取材・構成・編集 : 岩田弘史
ナレーター : 菅原美千子
朗   読 : 坂本益夫
撮   影 : 久保田和寿、今野智道、渡辺勝見
音   声 : 川上裕彦、高橋勝彦
<制 作> 仙台放送

1999年9月21日発行「パブペパNo.99-309」 フジテレビ広報部