FNSドキュメンタリー大賞
39年前、われらがスーパーヒーローの遺品が里帰りした。
こともあろうに、それをくわえ去ったやつがいる。
いま、暴かれる“やちもない”(ばかばかしい)地方政治の真空領域いま問う、土佐人が負う歴史への義務とは、真の勇気とは・・・

第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『消えた龍馬の兵法目録〜翻弄される幕末ヒーローの遺品〜』 (制作 高知さんさんテレビ)

<12月10日(火) 深夜26:33〜27:28>
 ★それは一本の電話から始まった
 土佐が生んだ幕末のスーパーヒーロー、坂本龍馬は、慶応3年(1867)11月15日、テロリストの凶刃に33歳の生涯を閉じた。
 激動の時代を駆け抜けた龍馬ゆかりの品々は、その多くが大切に保管・展示されている。これら遺品のうち、若い龍馬が武術一筋に汗を流していた江戸修業時代のころのものは極端に少ない。その貴重な遺品のひとつに安政5年(1858)に伝授された「北辰一刀流長刀兵法目録」がある。
 このドキュメンタリー番組の企画は、平成13年春、実際に高知さんさんテレビの報道部にかかってきた一本の匿名電話がきっかけになった。
 電話の主は、龍馬の“一刀流の免状”が目下、行方不明になっている、と告げた。「イヌかネコか知らんが、くわえてもっていったんじゃ」という謎めいた言葉を残して・・・。
 調査・取材を重ね合わせてみると、それは若い龍馬が江戸で鍛錬に汗を流した北辰一刀流の武術のうち、長刀兵法目録(なぎなた・ひょうほう・もくろく)であることが分かった。
 目録は、千葉道場の道場主、千葉定吉の娘さんたちの名前が連なっているユニークな形式から、一部研究者の間で本物かどうか疑問を呈する向きもあるという。が、龍馬自身が乙女姐やんに宛てた手紙が見つかり、目録の存在そのものに言及しているくだりがあった。真贋論争に終止符を打つ事実関係を確認することができたのは今回の取材のひとつの収穫であった。
 維新史に詳しい高知県出身の漫画家、黒鉄ヒロシさんは「龍馬さんの数少ない青春モニュメント、重文級の価値がある」と太鼓判を押した。

★記述ミスの歴史にピリオド
 目録は戦前、何らかの理由でいったんアメリカに持ち出された。そして、奇跡的に龍馬の故郷へ戻ってきた。
 私たちは、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」にも大きな影響を与えた史家、故・平尾道雄さんの名著「龍馬のすべて」に記述されている「高知県南国市白木谷出身の竹内氏」を手がかりに、目録の持ち帰りに大きな役割を果たしたという人物の取材を始めた。
 確かに、白木谷地区には「竹内」や「武内」の姓が数多くあったが、該当者はいなかった。そして、とうとう、「そりゃ竹内じゃなく竹中じゃ」という94歳の古老の証言に行き当たる。
 目録は、竹中清水さん(故人)という南国市白木谷出身で、当時シカゴに住んでいた人物の手により昭和38年2月、奇跡的に龍馬の故郷・高知に里帰りしたことが判明した。
 平尾さん以降、自ら検証の努力をすることなく「竹内」なる記述を丸写ししていた史家も少なくない。しかも、あたかも自分の研究成果であるかのように取り繕う鼻持ちならぬエピゴーネンのたぐいには辟易させられた。この番組は、龍馬の兵法目録に関して歴代史書が犯してきたミスの歴史にピリオドを打つ役割をも担わせてもらった。

★運命の糸にだぐり寄せられて
 昭和38年段階で、ほぼ正しい情報を提供していた資料(サンケイ新聞)も見つかったので、そこから少し時代をさかのぼって、目録のたどった経路を追いかけた。竹中清水さんの縁者、親戚筋を八方手を尽くして探した。が、時間の経過と希薄化した記憶の壁は険しく、関係者の証言が食い違うケースにも出くわした。
 大きく分けて、高知県内で継承された目録が竹中さんの手によって持ち出され、再び日本の土を踏んだという「県内譲渡・持ち出し説」と「サンフランシスコの骨董市でたまたま見つけた」と竹中さん自身が語ったように「海外流出・購入説」に分かれる。
 私たちは改めて、龍馬関係のデータベースをつくり、遺品がどのように継承・保存されているかを調べた。番組では図解も試みた。確かに、残念ながら一部は売り払われ、海外へ流出した遺品もあるらしい。
 龍馬の甥で、北海道・北見のクンネップ原野の開拓に龍馬の見果てぬ夢を実現させようとした坂本直寛の孫、土居晴夫さんにもマイクを向け、維新研究者としての成果を披露してもらった。
 また、竹中清水さんの長男でピッツバーグ在住のフレッド・タケナカさんは、第二次大戦中、ヨーロッパ戦線のフロントラインに投入され、ほとんどが死んだ日系442部隊の生き残りであることも分かった。電話インタビューは、自らの命を代償にアメリカへの忠誠を強いられた日本人移民史を垣間見る機会にもなった。
 いずれにせよ、譲渡か海外流出かの決め手には欠けるが、目録は運命の糸にたぐり寄せられるように龍馬の故郷・高知に里帰りした。

★持ち去られた?兵法目録
 昭和38年、日本に一時帰国した竹中清水さんが、目録を当時の溝渕増巳知事に購入もしくは寄贈を持ちかけ、結局、溝渕さんの個人所有となった。
 目録は各種展示会などに引っ張りだことなり、溝渕家に長くとどまることはなかったという。関係者の記憶を整理すると、ここでも「購入説」「寄贈説」に分かれる。アメリカ在住の竹中さんの子孫筋は「ドネイテッド」(寄贈)と信じているが、溝渕さんの三女、千香子さんは「10万円で購入した」と明確な証言をしてくれたので、私たちは前者の説を採用した。
 当時の県関係者の証言によれば、溝渕さんは文化基金のような予算もなく財政が窮屈だったため、いったん個人所有にしておき、頃合いを見計らって県へ寄贈しようという意思を持っていたようだ。
 目録が溝渕家の所有のままだったら、ハッピーエンドの歴史追跡番組で終わってしまうところだ。  昭和59年1月に溝渕元知事が亡くなって間もなく、ある人物が遺族の住むマンションを訪ねた。以降、目録はその歴史的価値とは無関係に、地方政治の様々な思惑に翻弄される経過をたどる。
 男は遺族に譲渡を迫る。戸惑う遺族に「個人で持つより、もっと人目に触れるところがよかろう」と口添え役の県会議員も介在して譲り渡しを勧める。そして、ついにその男の要求をのむ。男は溝渕元知事の霊前に現金100万円を供える。
 男の名は弘瀬勝さん(62)。昭和40年代、桂浜で闘犬の興業で成功し、「土佐闘犬センター」を経営するとともに、ソフトボール・チームのオーナーとして県体育協会に強い影響力を行使する。また、高知県政、高知市政の歴代トップに食い込むフィクサー的人物である。暴力団山口組三代目の故・田岡組長を尊敬してやまないと公言するこの男に行政も警察もマスコミも沈黙するという極めて不自然な状況が常態化していたのだ。
 ここにきてようやく、匿名電話の「イヌかネコか…」という謎めいた言葉の意味が分かった。
 弘瀬さんへの所有移転を裏付けるように、昭和60年4月に刊行された歴史雑誌には兵法目録は「桂浜龍馬会蔵」となっている。また、その後、桂浜にある「うぶすな博物館」に展示されていたという情報もあった。が、この博物館の事実上の閉館とともに龍馬の貴重な品も消えた。

★やみ融資にかかわる人物
 高知県政は26億円に上るやみ融資問題で揺れた。同和行政絡みで、「モードアバンセ」と呼ぶ縫製工場への直貸しが直接のきっかけとなるが、県民の目の届かないところで、行政に影響力のある人物の求めに応じ、特定企業にズルズルと公金を貸し続ける。年度替わりには、金融機関とはかってつなぎ融資を行い、知事の目さえ欺くという手口だ。
 平成12年、県議会に地方自治法百条に基づく調査特別委員会が組織された。警察も捜査に乗り出し、13年には元副知事や担当部課長が背任容疑で逮捕されるなど、戦後の県政では最大級の不祥事であった。
 その渦中で、「別件やみ融資」と呼ばれた9億5000万円に上る単独融資が橋本大二郎知事の知るところとなり、知事の反対で融資は中止された。何と「別件やみ融資」の融資相手は弘瀬さんだった。
 さらに、こうしたやみ融資は少なくとも15年(昭和62年)も前から行われていたことが明るみに出た。その当事者も弘瀬さんだった。私たちは平成13年6月、当時の中内知事の指示でやみ融資が実行されたという決定的証言を当時の別役喜幸商工労働部長から得た。別役さんはこの証言の21日後に急逝した。
 公金の注入を拒否された土佐闘犬センターは平成13年1月、民事再生法の適用を申請し事実上、倒産した。負債総額は24億円に上った。よさこい高知国体(平成14年秋)開催時、県体協の会長のいすを狙っていたといわれる弘瀬さんの影響力は、橋本知事の積極的介入もあって急速に後退する。
 戦後の高知県政に蓄積した悪玉コレステロールが極点に達して爆発したといわれている一連の県政不祥事だが、ここに至って龍馬の遺品行方不明問題と重なり合っていることがはっきりしたのだ。
 この遺品行方不明問題の顕在化は、戦後の高知県政の根深い腐敗を掘り起こした「やみ融資問題」の副産物と言えなくもない。と同時に、改めて坂本龍馬の存在の大きさを印象づけた。

★いま龍馬の目録はどこに?
 それにしても、貴重な龍馬の遺品はどこに消えたか?点と点を結びつけながら、戦前から今日に至る時間軸に沿って関係者の証言をたどり、目録の行方を追跡した。 私たちは繰り返し弘瀬さんとその関係者に兵法目録の所在確認と撮影を求めた。いろいろな手段でアプローチを試みたが、「目録は桂浜龍馬会が現在も所有している。撮影には応じられない」という回答があっただけて、最終のハードルを越えることはできなかった。
 私たちの取材はここで止まってしまった。それにしても、遺品の保管はこのままでよいのか。
 坂本龍馬は、明治維新実現の原動力となった薩長同盟成立に中心的役割を演じ、「船中八策」で近代日本の基本デザインを提起しながら、テロリストの凶刃に倒れた。全国に熱烈なファンがいるこのヒーローの貴重な遺品の保存の在り方として、いま私たちは歴史から求められる義務を果たしていないのではないか。
 「やちもない(ばかばかしい)話じゃ。おまんらぁ土佐の人間が。ええかげんにしいよ」
 桂浜に立つ龍馬銅像を撮影していた私たち取材スタッフには、ご本人の声が聞こえてきた。


<番組タイトル> 第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『消えた龍馬の兵法目録〜翻弄される幕末ヒーローの遺品〜』
<放送日時> 12月10日(火)深夜26:33〜27:28
<スタッフ> 構    成 : 鍋島康夫(高知さんさんテレビ)
編    集 : 明神康喜(高知さんさんテレビ)
ナレーション : 小澤良太(高知さんさんテレビ)
撮    影 : 小林一行(高知さんさんテレビ)、新谷卓史(フリー)、森本光行(フリー)
<制  作> 高知さんさんテレビ

2002年12月5日発行「パブペパNo.02-325」 フジテレビ広報部