FNSドキュメンタリー大賞
今年3月に、74年という長い歴史に幕を降ろし閉校した大分県立大野高校
過疎とは、教育とは何なのかを消え行く学校の1年を通して考える


第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『消える母校〜最後の卒業生が過ごした日々〜』 (制作 テレビ大分)

<6月25日(火)深夜27:10〜28:05>
 2002年3月。山々に囲まれた田舎の町、大分県大野町にある町に唯一の高校が74年という長い歴史に幕を降ろしました。
 過疎の進む町にあるこの学校は募集定員割れが続き、とうとう高校統廃合の波に飲み込まれて、大分県で初めての統廃合対象校として閉校となってしまったのです。
 大分県立大野高校は多い時で1学年250名を超える生徒数を誇り、地域の中心校として多くの卒業生を送りだして来ました。
 しかし、近年徐々に生徒数が減少し、一学年でも2クラス、たったの50人しかいなくなってしまいました。
 大野高校の募集停止が決まったのは3年前の夏、最後の卒業生たちが1年生のころでした。
 あれから月日は経ち、とうとう学校最後の1年を迎えたのです。

 「高校が無くなる」とはどういうことなのか、その場所でその現実をただ静かに見守るだけでも何か意味があるように思え、2001年4月、カメラは回り始めました。

 生徒数が少ないということは必然的に学校の活動にも影響が出てくるのです。
 自分の好きな部活動を楽しむこともほかの学校に比べれば制限されてしまいます。
 大野高校のほとんどの部が活動停止状態、数人の部員がいたとしても試合に出るには人数が足りないのです。
 野球部もまた、部員不足に悩まされていました。
 そんな状況の中で、野球部の部員たちは学校最後の大会を自分たちのチームで出場し、大野高校の最後を飾りたい、とほかの生徒たちに呼び掛け、なんとか夏の甲子園大会の予選に出場することができたのです。

 4月、たったの5人しかいなかった部員もほかの部からの助っ人で9人が揃い、6月には13人の部員が集まりましたが、そのほとんどが野球未経験者です。
 大野高校を率いる監督の佐藤先生は、高校・大学と野球部に籍を置き、自らも甲子園を目指した元高校球児。
 一時は出場を諦めていた大会に向け、熱血監督とボールを捕ることもままならない生徒たちとの挑戦が始りました。
 毎日グランドで汗を流し、母校の最後を飾るべく頑張り続けました。
 大会当日、全校生徒が見守る中、グランドには堂々とした部員の姿がありました。
 結果は1回戦コールド負け。

 しかし、「最後まであきらめない」ことの大切さを学んだ夏になったのです。
 大会が終わり、大野高校の生徒たちにとっては卒業まであとわずか。
 そんな中、「ネバーエンド」というスローガンを掲げて行われたのが、夜通しのマラソンソフトボール大会でしたが、夜になって降り始めた雨は強くなるばかりで、とうとう中止になってしまいました。

 生徒たちの気持ちとは裏腹に、どうすることもできな状況は統廃合とダブり、学校が無くなってしまうという思いが実感となり始めます。
 そして、卒業パーティーなど高校生活のすべてが、思い出として生徒たちの胸に刻まれていくのです。

 いよいよ迎えた卒業式、在校生のいない大野高校では先生一人一人が送辞を贈ります。
 50人の仲間と過ごした最後の1年。
 先生も生徒もこの日ばかりは、耐えていた涙があふれて止まりませんでした。
 残された時間を、閉校という現実に揺れるながらも過ごしてきた生徒と先生の間には、ほかの高校では決して体験することのできない、温かで微笑ましく、しかもしっかりとした信頼関係が育まれていました。

 岩尾保次プロデューサーは、
「誰が悪いわけでもなく、どうすることも出来ない現実─『統廃合』。  この『時代の瞬間』に目をそらさず向き合ってきた生徒たちの1年を見つめ続けたことは、都市で暮す私たちにも現実としての過疎や教育のあり方を実感させてくれました。
 基本的人権を踏まえてすべての国民に平等に教育を受ける権利があるはずではあるが、現実は過疎地域に生まれ育ったがゆえに、その権利を行使できない現状が存在することを、そこに生きる生徒たちの、やるせなさの中にも明るく現実を受け止めようとする人生を、今回のケースを通じて少しでも認識してもらえればと思います」

と語っています。

<番組タイトル> 第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『消える母校 〜最後の卒業生が過ごした日々〜』
<放送日時> 6月25日(火)深夜27:10〜28:05
<スタッフ> ナレーター : 桝 亜希子(テレビ大分)
構    成 : 松石 泉(フリー)
撮 影・編 集 : 広瀬泰弘(映像新社)
M    A : 小田健敏(映像新社)
ディレクター : 横山隆富(テレビ大分)、山田勇人(映像新社)
プロデューサー : 岩尾保次(テレビ大分)
<制  作> テレビ大分

2002年6月11日発行「パブペパNo.02-148」 フジテレビ広報部