FNSドキュメンタリー大賞
「艦長さん、人間として我々の前で謝罪を、土下座をしてください…」
届かぬ「えひめ丸」行方不明者の家族の思い浮き彫りになった「日米のはざま」

第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『謝罪 と Apology 〜日米のはざまで見えたもの〜』 (制作 愛媛放送)

<10月24日(水)深夜26:55〜27:50>
 今年2月10日(日本時間)、ハワイ・ホノルル沖で発生した宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」とアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」との衝突事故。この事故で、高校生4人、指導教官2人、船員3人の合わせて9人が行方不明となった。この事故では、操縦席の民間人搭乗をはじめ、事故原因に注目が集まったが、同時に日本とアメリカの「謝罪」概念、国民性の違い、いわば「日米のはざま」が改めて浮き彫りとなった事故と言える。

 山口県長門市に住む中田和男(なかた・かずお)さんと幹枝(みきえ)さん夫妻。中田さん夫妻の長男・淳(じゅん)さんは指導教官としてえひめ丸に乗船、事故に遭い行方不明となった。和男さんは、事故直後に現地・ホノルルに向かってから、原潜の事故当時の最高責任者だったワドル前艦長に対する米軍査問委員会の全審理の傍聴記録までをひとつのノートを取りつづけてきた。突然我が身を襲った悲劇の中、ノートを取りつづけることで自分の気持ちを整理しつづけてきた中田さん。中田さんはその中で、日本とアメリカの大きな「はざま」を感じることになった。査問委員会のある一場面を例にあげ中田さんは言う。
「乗組員で艦長はすばらしいとか私たちは完璧だとか証言する日があったんですよ。その時、傍聴していて『ぐらぐら』しましたね。日本ならそこまでは言わないですよ。そういう風に褒め称えることは考えられんね。(日本なら)事故について謙虚に受け止めながら発言するんだけど、向こうでは自分とこの乗組員が自分の上司を褒め称える。初めて経験しましたね。(アメリカは)自分たちの描いた自分たちのシナリオの中でね、自分たちで芝居をして幕を降ろそうとしているんですよね。もうすでに降りたかもしれんですけどね。その中に、私たちに対する配慮とかね、日本国民の感情に応えていただくとか、そういう部分がすごく欠けてますよね」

 今回の事故の原因は、原潜の突然の緊急浮上が原因だった。しかも、事故当時、原潜の操縦席には民間人が乗っていたことなど原潜側のミスが次々と明らかになった。このため、アメリカ側も地元・宇和島市に大統領の特使を派遣するなど、行方不明者の家族や救助された人、えひめ丸の関係者に幾度となく謝罪を繰り返してきた。しかし、家族が、そして日本人が求めていた謝罪は全く違うものだった。行方不明となった宇和島水産高2年・寺田祐介(てらた・ゆうすけ)君の父・亮介(りょうすけ)さんは、現地・ホノルルで開かれた記者会見の席上、怒りをあらわにした。
「当事者に謝っていただきたい、というのがずっと我々の気持ちでした。それより偉い人の、潜水艦に乗っていない人の謝罪はいくら聴いてももう十分聴きましたから、とにかく潜水艦の艦長さんに来ていただいて、なぜそういうことに至ったのかを生の声を聴かしていただきたい。艦長さん、人間として我々の前で謝罪してください。我々の前で土下座をしてください。男だったらどんなことがあっても出て来い!!」

 ニューヨークに住むコラムニスト、リチャード・コーエンさん。事故直後からの日本側の相次ぐ謝罪要求に関してワシントンポスト紙上に「我々は日本に十分謝罪した」というコラムを執筆したコーエンさん。コーエンさんはアメリカの「Apology」(=謝罪)は日本の「謝罪」とは全く違うものだとして日本側に理解を求める。
「多くのアメリカ人は、必要以上に謝罪を繰り返すことでかえって謝罪の言葉から誠意が消えてしまうと考えています。さらにには職務怠慢という問題がからめば、安易に謝罪しないのが普通です。自分の責任外のことまで責められる可能性がありますから。アメリカはすぐに謝罪しないのは当たり前なんです。行方不明者の家族がすぐに謝罪するべきと考えたのは当然です。しかし、責任の所在を明確にするには時間がかかります。だからすぐに謝るのは、かえっておかしいと思います」

 行方不明者の家族たち、日本人が強く望んだワドル前艦長の謝罪。それがようやく実現したのは、前艦長に対する米海軍の査問委員会が始まってから4日目の3月9日(日本時間)、事故から1ヵ月目のこととなった。行方不明者の家族たちを前にし「ベリー・ソーリー」と、大きな涙を流して謝罪した前艦長。しかし一方で、前艦長は、軍法会議が開かれた場合に自らの証言を証拠として採用しないという「証言免責」を米海軍に要求、査問委員会で証言しない姿勢をとり続けた。最も重要な前艦長自身の証言を司法取引することで、査問委員会は有利に進めようという弁護士の戦略に従ったワドル前艦長。「涙の謝罪」と「免責要求」、行方不明者の家族たち、そして日本人から見たら全く相反する行動だった。この一連の行動の中、ワドル前艦長の思いはどこにあったのか。前艦長の一連の行動を見つめつづけていた愛媛県松山市に住むアメリカ人のジョー・ストラウドさん。在日30年以上にもなり自ら海軍経験もあるストラウドさんは、前艦長の立場を自らと重ね合わせながら、行方不明者家族だけでなく、前艦長も苦しかったであろう当事者たちの真意に思いをはせていた。
「本人は謝りたい、謝ったということは疑いたくないんですね。演技だとかそう思いたくない。始めのうちには自分自身の身を守るためだったと思うし、自分の身を守るためだったと思います。当事者、被害者から考えるとこれは怒りしかないと思います。しかし、加害者の立場に立ってしまったら、ある意味ではね、人間はそうなってしまうんですよ。おそらく、こういう風に私たちは簡単に言うんですがね。自分のことになった場合に、自分はどうだったかということ、また私も自分の身を守ろうとしてたかもしれない…」

 「処分は減給50%2ヵ月と戒告処分」 査問委員会を終えアメリカ海軍が事故に対して出した結論。それは前艦長の刑事責任を問う軍法会議は開かず、減給などの行政処分で終わらせるものだった。米海軍が処分を発表した日、行方不明者・中田淳さんの父・和男さんはアメリカ海軍、そして、アメリカという国への怒りを改めてあらわにした。
 「軍隊の統率と士気に影響しないような過保護的なやり方で、軍人に過保護的な裁定を聴いて『反省の無い国』の軍隊だなとすごく感じます。あれほど査問委の中でいろいろなことが出て、ワドル前艦長自身も、『事故の責任は自分にある』と言いながら、まるで簡単なスピード違反の交通反則金のチケットを切るがごとく軽微な罰則。話す気にもならないくらい馬鹿げたようなことですよ。(息子も)悔しいでしょうね…」

 米海軍が処分を発表してから半月後、行方不明者・寺田祐介君の父・亮介さんは、大多数の行方不明者家族と行動を別にし、一部家族とともに別の弁護団を結成した。アメリカ海軍の、そして、アメリカの責任をあくまで追及しようという弁護団だった。会見で寺田さんはこう発言した。
「事故が起きてから、なぜ素早く責任者であるワドル前艦長を我々の前で謝罪させなかったのか。私たち日本人にとって加害者側の総責任者であるワドル氏がやはりあそこで謝罪していれば、まだ少しは気持ちが和らいだかもしれません」
 一方、行方不明者・中田淳さんの父・和男さんは、山口県長門市に帰った今も、アメリカ海軍が地元・愛媛県宇和島市でえひめ丸の引き揚げなどについての説明会を開くたびに、片道約7時間をかけて必ず出席している。そこには、事故によって現れた「日米のはざま」を何とか自力で越え、事故を真正面からとらえようという不明者家族の姿があった。
「今、息子に飲みに連れて行ってやったり、何か好きなものを買ってやるわけにはいかないから、息子にためになることといえば、息子に起こったことを理解することしかない。こういうことが2度と起こらないように一生懸命自分で全てのことを知って…。手を抜くということは自分を裏切るということになるんですよ。と、いうことは、息子を裏切るということになるから。それが息子への愛情と僕は認識している。違私としては私の残り少ない人生のなかに、息子をしっかりこの胸に抱いてやりたいと思って…」

 えひめ丸事故の発生直後から愛媛放送とFNNが総力を挙げて取材した膨大な取材テープに加え、行方不明者の家族たちやアメリカ側の関係者、さらには、地元・愛媛に住むアメリカ人や同様の問題を抱えている沖縄などへも追加取材。番組では、えひめ丸事故の一連の経緯を、「謝罪」を補助線に振り返りながら、事故を契機に改めて見えてきた日本とアメリカの国民性の違い、「日米のはざま」と、その違いの間に今も大きく揺れている関係者、そして日米両国の人たちの思いを探っていく。

(番組内では「ワドル前艦長」としていますが、現在の肩書きは「元艦長」です)


<番組タイトル> 第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『謝罪 と Apology 〜日米のはざまで見えたもの〜』
<放送日時> 10月17日(水)深夜26:55〜27:50
<スタッフ> プロデューサー : 岡石 啓(愛媛放送報道情報局長)
ディレクター : 清水幸一(愛媛放送報道情報部)
ナレーター : 山田幸子(愛媛放送報道情報部副部長)
カ メ ラ : 阪和洋一、立川 純(共に、愛媛放送報道情報部)
編   集 : 尾崎 浩(クロステレビ四国)
<制 作> 愛媛放送

2001年10月15日発行「パブペパNo.01-344」 フジテレビ広報部