FNSドキュメンタリー大賞
全国に62万人いる永住権を持つ在日コリアン
冷戦構造の崩壊と南北和解、そして世代交代…
在日コリアンの社会は揺れている


第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『ムグンファの歌がきこえる 〜福岡 在日コリアンの旅路〜』 (制作 テレビ西日本)

<10月9日(火)深夜26:31〜27:26>
 在日コリアンが日本社会の住人として日常生活を営むようになって、既に100年近い歳月が流れている。その異邦での100年間は日本の近、現代の激動の時代だった。その激動の時代は、同時にまた朝鮮半島の近、現代史の激変の時代でもあった。在日朝鮮人・韓国人は、同じ地の住人である日本人よりも、2国間、さらにはこの半世紀に至っては3国間にまたがる激動の波をかぶり、長い慟哭の時代を経て、今日を迎えている。
 現在、日本には62万人あまりの永住権をもった在日コリアンがいる(1999年1月現在)。そのうち福岡県には在日朝鮮人・韓国人合わせて22,000人にも及ぶ人々が生活している。この数字は関東や関西、それに東海地方といった人口の多い都市には、実数で叶わないものの、割合にすると高い数字といえる。何故これほどまでに多くの在日コリアンが福岡県にその生活の足場を築いているのだろうか。そして彼らはこの日本で、福岡で、これから先、どう生きて行こうとしているのだろうか。

〜福岡の在日一世〜
 福岡は在日コリアンにとって特別な場所のひとつといってもいい。昭和20年8月15日、朝鮮半島は日本の植民地から解放された。それ以降、日本の最大の引き揚げ港だった博多港には大陸から戻ってくる日本人で溢れたが、同時に大陸へ戻る朝鮮半島出身者でも溢れた。西日本各地から集まったその数は日に日に増え、埠頭には寝泊りする人々でごった返した。彼らの多くは強制連行され、日本へ徴用された人々であり、一様に故郷へ帰れる喜びに安堵の色を見せていた。しかし希望に満ちた時間は長くは続かなかった。もともと船の数も不足している中、韓国内でコレラが流行し、また当時国内から国外へ持参できる財産も制限されており「故郷へ帰るのは暫く待とう」という空気が流れた。その数は翌21年には25,000人にも達した。そして昭和25年に朝鮮戦争が起きたのである。博多に集まった人々は故郷へ帰れなくなり、結局バラックを近辺に建て、住み始めた。
 通称「金平団地」と呼ばれる福岡市東区馬出の浜松町団地に住む在日朝鮮人一世のキム・クァンベ(70)は半世紀以上経った今でもその頃のことを鮮烈に記憶している。彼らや彼らの子孫がその後、日本で永住権を持った外国人として生きてゆくことになる。食うものもろくに食わず、まさに身を粉にして垢まみれで働いた彼らは、その身の内に21世紀への哲学や人間への希望や、未だに読み解かれぬ前近代の遺民の心を包み込んでいた。今世紀を統括せねばならないほどの絶望と、それは抱き合わせにもなっていた。そうした混乱の中、朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日本朝鮮人総連合会(総連)と大韓民国を支持する在日本大韓民国居留民団(民団)が生まれ、日本の在日コリアンもその後、長い確執の旅に出ることになる。

〜半世紀以上の時を経て、海を渡る遺骨〜
 飯塚市に住むペ・レソン(79)は過去、強制連行で日本に徴用され筑豊の貝島大辻炭鉱で労働に従事させられた。何度か脱走を試みるがその度に見つかり、理不尽な暴力の下、連れ戻された。
 朝鮮総督府の統計によると昭和19年には、募集も含めて200万人以上が朝鮮半島から日本国内に労務動員されている。戦後、祖国の混乱と貧困により日本に住むことを余儀なくされた彼は、飯塚市でホルモンを売って生計を立てた。そして戦後半世紀近くたったある日、筑豊のある寺で放置されたままの若い朝鮮人の遺骨を偶然に目にし、呆然と佇んだのである。それ以降、彼は追悼碑建立に向けて奔走する。彼の熱意は市町村の重い腰を上げさせ、多くの人々の共感を呼び、今世紀の問題は今世紀のうちに解決を、という合言葉のもと、追悼碑は2000年12月2日に完成した。最終的には納骨堂内には160体以上の遺骨が安置される予定だが、そのうち幾体かは身元が判明している。彼はその僅かな手掛かりをもとに遺族を探し出すべく、韓国へと旅立った。しかし韓国で彼は予想もつかなかった出来事に遭遇する。

〜新しい時代へ〜
 現在、福岡の民団に所属する在日三世以降の若者たちによる自分たちのルーツ調べが始まっている。福岡市に住む申淑子(20)には、もうひとつの名前がある。その名はシン・スッチャ。彼女は在日韓国人三世。一世に対しての地道な聞き取り調査を続けている彼ら。そこには時代の流れに流されるだけでなく、速度を早める同化の流れのなかで、もう一度立ち止まる姿があった。名前や国籍など韓国と日本の狭間で揺れている彼女は…。

 新しい世紀を迎え、在日社会がこれまでになく揺れている。冷戦構造の崩壊と南北和解、そして在日社会の世代交代や日本社会の価値観の変化の中で、在日社会はひとつの大きな転換期にさしかかっている。南北会談以降、テンポの早い本国同士の動きに年老いた一世は戸惑うばかりだし、また韓国籍の三世、四世の若者たちは、その民族的アイデンティティも希薄になる中、日本への同化を強め、この国で生きるために参政権問題や国籍条項の撤廃問題などに取り組んでいる。そして故郷へ帰る意思を持たなくなった朝鮮籍の三世、四世の思いもまた、理想と現実の中で複雑に揺れているのが現実だ。
 インターネットなどの普及によりボーダーレスといわれ始めて、もうかれこれ久しい。そんな世界の潮流の中、これまで単一民族国家として長く内外にアピールし続けてきた日本は、今その殻を破らざるを得ない状況にあると言える。現在の国際社会で異民族との共生はひとつの理念となっていて、21世紀の国際社会の到達点のひとつとして先進国がそれぞれ目指している課題でもある。今後、大量の他国民、異民族の流入が予想される日本で、この問題の鍵は日本の最大のマイノリテイである『在日』と呼ばれる彼らが握っていると言ってもいいほど彼らの存在は大きい。
 時代はかなりの早さで変化している。朝鮮半島の文化や政治、また南北それぞれに住む市民に対しても、日本人の見る目はここ数年確実に変りつつある。新しい世紀、彼らを知ることで、現在日本のおかれている現状や、世界が日本に何を求めているかを知ることができれば、と思う。


<番組タイトル> 第10回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『ムグンファの歌がきこえる 〜福岡 在日コリアンの旅路〜』
<放送日時> 10月9日(火)深夜26:31〜27:26
<スタッフ> プロデューサー : 明石哲也
ディレクター : 正木伸一郎
ナレーター : 桜内良憲、室屋典子
撮    影 : 馬場尚秀
編    集 : 古城信義、岡本浩明
選 曲・効 果 : 漆原 功
<制 作> テレビ西日本

2001年10月11日発行「パブペパNo.01-342」 フジテレビ広報部